さてここ最近、諸々の記事と、「ヒロシマ」の写真を交互にUPしています。
今日は「ヒロシマ」の写真の続きです。
重いテーマですが、見ていただければさいわいです。
もともと2月にupするつもりでいたのですが、今回の震災と福島原発事故により自粛していました。
「ヒロシマ」の写真は、この写真を撮りたいがために、今年2月に 2回にわたって撮影旅行してきて撮っ
たものです。
広島への原爆投下。
魔の惨状から、まだたった66年しか経っていません。
実際におこったこと。 それも天災でない人間のおこなったこと・・・。
何を感じ、何をすべきか・・・。
平和で安全な世の中であって欲しいと、切に思います・・・。
今回は、 「ヒロシマ VOL3 破壊Ⅱ」 です。
過去UPしました 「ヒロシマ VOL1 悪魔の閃光」、「ヒロシマ VOL2 破壊Ⅰ」 もあわせてご覧くだ
さい。
「ヒロシマ VOL1 悪魔の閃光」
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「ヒロシマ VOL2 破壊Ⅰ」
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アジアにおける欧米列国の植民地支配の開放をうたい、大東亜共栄圏の名のもとに、アジア諸国へ侵
攻した日本。
開戦当初こそ、勢いはよかったものの、1942年のミッドウエイ海戦で大敗をきしてからというもの、翌
43年 ガダルカナル撤退。 44年、レイテ沖海戦の大敗と、アジアの拠点をことごとくなくし、撤退の一
途をたどる。
45年 ついに硫黄島において日本軍玉砕。 沖縄においても悲惨な殺戮が行われ・・・。
同年7月26日 アメリカ、イギリス、中国より日本の無条件降伏を求めるポツダム宣言発表。
8月6日 マリアナ諸島テニアン島から出撃したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」号が、広島上空にいた。
午前8時15分17秒、 エノラ・ゲイ号から原爆リトルボーイが投下され、相生橋よりやや東南の島病院
付近高度約600メートルの上空で核分裂爆発を起こした。
爆心地500m圏内では閃光と衝撃波が殆ど同時に襲った。巨大な爆風圧が建築物の大半を一瞬にして
破壊した。 木造建築は全数が全壊した。 鉄筋コンクリート建築である産業奨励館は垂直方向の
衝撃波を受けて天蓋部は鉄骨を残して消失、一部の外壁を残して大破した。 相生橋や元安橋の石
の欄干も爆風で飛ばされた。
また強力な熱線により屋外にいた人は、内臓組織に至るまで全身の水分が蒸発・炭化した遺体が道路
などに大量に残された。
爆心地を通過していた路面電車は炎上したまま遺骸を乗せて、慣性力で暫く走り続けた。 吊革を手
で持った形のままの人や、運転台でマスター・コントローラーを握ったまま死んだ女性運転士もいた。
これは実戦で使われた世界最初の核兵器である。
この一発の兵器により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち約14万人が死亡したとされる。
(引用元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
資料館で写真など見ましたよ。
泣いてしまった友達も何人かいましたけど、
しっかり語り継ぐべき事だと思います。
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が
しました