昨日の記事で、昔 ホンダ CT110ハンターカブを持ってたで~~
って、書いたやろ 

今日は、なんで このハンターカブを買ったのか
 ってところを書いていきまんねん 



時は2001年。  えらい古い話でっしゃろ 。

歳とると、どうしても昔話をしとうなるんじゃあ~
  許せよ~~、ゴホゴホッ・・


当時は、トライアルのMFJ選手権以外にも、ツートラとか遊びの大会も出まくっていた頃。

練習も一生懸命やってました。


ただトライアル歴はけっこう浅く、この頃はトライアルをはじめて6年目ぐらい。



当時のトライアルを取り巻く環境は、と言うと 

マスコミ等の情報関係では、

1997年、トライアル専門誌の「トライアルジャーナル」が、親会社の都合で廃刊になるような大きな出来事がありました。




この時は、トライアル関係の情報は Nifty通信の「岩部屋」だけが頼りとなりました。

その後、N巻さんが中心になった「自然山通信」が発刊され、時 ほぼ同じく「トライアルジャーナル」のM編集長が立ちあげた「ストレートオン」誌も発刊の運びとなり、多くのトライアルファンが胸をなでおろしました。









トライアルバイクに目をやると、

当時のトライアルバイクは、国産ではホンダ、ヤマハのみ。

ホンダは、100%自社生産は断念し、エンジンのみスペインのモンテッサに提供するようになりました。 

どうしても海外のトライアルメーカーに勝るバイクが作れなかったようです。

ヤマハは、しばらく 自社製で頑張っていましたが、後年 ホンダと同じようにエンジンのみの提供で海外トライアルメーカに作ってもらうようになりました。


で、海外メーカーは、ベータ(イタリア)、GASGAS(スペイン)、あとはファンティック(イタリア)、アプリリア(イタリア)がトライアルから撤退し、スコルパ(フランス)、シェルコ(スペイン)が参入してきた頃でした。


ちなみに、この頃のわたいは、GASGASからシェルコちゃんに乗り換えた頃ざんす

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どのバイクも、当時でだいたい80~90万円 

そんな高価なピカピカ新車を、崖の上から放り投げたりして、知らない人からみたら、すごい競技かも~~~(笑)



こんな時代背景もあって、

このまま トライアルってどうなるんやろ

一部のマニアな人しか知らない世界になってしまうんやないやろか 

と、危機感をつのらせる人が私のまわりにも けっこういらっしゃいました。


「ストレートオン」を立ちあげたMさんも、「自然山通信」のNさんも そんな危機感を持って、立ち上がった人達でした。



前述の方々とは違うアプローチで行動された方もいらっしゃいました。

大阪のOさんです。 当時 アチェルビスの日本代理店をやっていて、デュアルスポーツの創始者であります。


ツーリングトライアル大会は、公道を移動しながら、所々に設置されたセクションを走行し、減点方式で採点されるトライアルの大会ですが、デュアルスポーツは、同じようなところを走るものの、採点はありません。

走行困難な場所をみんなで助け合いながら、決められたコースを走行するバイクイベントです。 

優劣を競い合うコンペではなく、バイクも普通のオフロード車でOKなイベントなんです。


トライアルの垣根を低くして、多くの人にこういう楽しみを知って欲しいという思いではじめられたものだと私なりに理解しています。


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2001年デュアルスポーツIN小豆島の模様。



当時、ストレートオン誌のM編集長と、こんな会話をしました。


わたい:「ねえねえ、Mさん。 Oさんの立ちあげたデュアルスポーツ(DS)も最近盛り上がってきていますやん。 DSのようにトライアルをトライアル車以外でも楽しめる雰囲気作りがあってもえいんちゃうやろうか 
  だってトライアル知らない人が、いきなり高価なトライアルバイクをなかなか買わへんで。  たとえばカブでトライアルできたら面白いけど



M編集長:「おおお、Michiruさん 
 できますよ、できます
  実はこの僕が、若い頃 カブで真似事してたんですよ
   フロントアップもやろうと思えばやれますよ
  ただしエンジンが低い位置にあるので、ステアケースはやりませんでしたが・・・」



わたい:「そうなんや 
  これは面白そう
  カブでトライアルかあ




はい 

   長文につき、今日はここまで 

今からお風呂に入って、晩酌タイムやけん 


じゃあ、また明日。  バイバイキ~~ン