Michiruブログ

バイク、ツーリング他 グルメ、日常生活などをつれづれに・・・(^^)

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2015年12月

台湾 4日目 VOL8☆ 九份(きゅうふん)

今日から1月3日まで帰省しま~す♪

ここのところ沖縄も寒くなってきましたが、内地に比べるとまだまだ暖かいんだろうなあ~~。

1月3日までブログ更新、コメント返信等できなくなります。ご了承くださいませ



さて、今年最後の記事になります。  台湾旅行の最後の記事です。



(前回記事)
  ↓





台湾旅行最後のお宿は、台北にある圓山大飯店。

少々お部屋は古さを感じるところもありましたが、格式あるホテルのようです。


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小高い丘の上にある圓山大飯店から見える台北の景色。

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さて、この旅の最後に訪れたのは九份(きゅうふん) 

ツアーのバスは、どんどん山に登っていきます。

ツアーのバスでは途中まで。  そこからは、一般のバスで目的地まで行きます。



道も片側1車線道路。大勢の人が訪れるので、観光バスは交通制限されているようです。



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かなり高いところにあります。




細い路地にはたくさんのお店が軒を連ねています。

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路地の中は、独特な雰囲気 

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台湾旅行の中で、ここが一番気に入りました 






今回は、高雄、台南、台中、台北 3泊4日の弾丸ツアー。

台北だけでもっとゆっくりしてもよかったかな・・・(^^;



=  九份(きゅうふん) =
九份(きゅうふん、ジォウフェン)は、台湾北部の港町基隆市の近郊、新北市瑞芳区に位置する山あいの町である。


歴史
金鉱の町
その昔、九份は台湾の一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展し、日本統治時代に藤田組によりその最盛期を迎えた。九份の街並みは、日本統治時代の面影を色濃くとどめており、路地や石段は当時に造られたものであり、酒家(料理店)などの建物が多数残されている。
しかし、第二次世界大戦後に金の採掘量が減り、1971年に金鉱が閉山されてから町は急速に衰退し、一時人々から忘れ去られた存在となっていた。

観光地化
1989年、それまでタブー視されてきた二・二八事件を正面から取り上げ、台湾で空前のヒットとなった映画『悲情城市(A City of Sadness)』(侯孝賢監督)のロケ地となったことにより、九份は再び脚光を浴びるようになる。映画を通じて、時間が止まったようなノスタルジックな風景に魅せられた若者を中心に多くの人々が九份を訪れ、メディアにも取り上げられるなど、台湾では1990年代初頭に九份ブームが起こった。
ブームを受け、町おこしとして観光化に取り組んだ結果、現在では街路(基山街など)に「悲情城市」の名前を付けたレトロ調で洒落た喫茶店や茶藝館(ちゃげいかん)、みやげ物屋などが建ち並び、週末には台北などから訪れる多くの人々で賑わっている。
また、世界の旅行ガイドブック(台北付近)にも多数紹介されており、今では台湾を代表する観光地のひとつとして定着している。
宮崎駿のアニメ『千と千尋の神隠し』のモデルになったという噂もあり、日本の観光客への知名度が高まったが、ジブリ・宮崎により公式に否定されている。





(撮影:2011.9.18)









麺屋 だるま☆ (沖縄県豊見城市)

今日のお昼は何にします???

ラーメンかな?  見てたら食べたくなりませんか?  






ということで、昨日のお昼はむしょうにガッツリラーメンを食べたくなりまして、行ってきました 




訪れたのは、ココ!

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豊見城市にある「麺屋 だるま」さん 

店舗裏にある駐車場に車を停め、雨の中 小走りでお店に駆け込みました。






(店舗の表のメニューの看板)



今回はふつうにラーメンを注文 


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味の濃さ、麺のかたさ、油の量はお好みでオーダーできます。




しばし待ちます。

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登場~~~~

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横浜家系ラーメンです。




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セルフでアイスティーだけでなく、ご飯もお代わりし放題! 







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当然、黄金の炭水化物コンビ! 






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超辛い辛し高菜!  取り過ぎ注意 



うまかったあ~~~ 
   お腹もいっぱいで満足、満足 





お店情報 「麺屋 だるま」
住所:沖縄県豊見城市字名嘉地333 1F
営業 :(平日)11:30-23:00
     (土日祝)11:30-16:00、18:00-23:00
休み: 火





 ☆ 美味しい℃ ☆

<う~ん><普通><普通の上等><うまし!><最高> 
  
    
     
       




PS:今日から、1月3日まで帰省します。 その期間ブログ更新、コメ返信等できませんのでご了承くださいませ~~~




台湾3日目 VOL7☆  台中から台北へ♪

台湾旅行の続きです。


高雄から台南を訪れ、そして台湾3日目は、台中、台北と場所を移します。



(前回記事)
 ↓




ハワードプリンスホテル台中福華大飯店ホテルを出発し、宝覚寺(ほうがくじ)にとうちゃこ!


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う~~~~ん、正直言ってイマイチ・・・ 

ぐっ!っとくるものがないなあ・・・・ 


= 宝覚寺 =
宝覚寺(ほうがくじ)は、台湾台中市北区にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は鷲屏山。金色の弥勒大仏像(布袋)で有名。
歴史
日本統治時代の昭和3年(1928年)に建立された。
<引用:ウイキペディア>




宝覚寺を後にして、台北の国立故宮博物院に。

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さすがの所蔵品と展示品。  団体ツアーの時間ではゆっくり見て回れず残念でした。

中は当然撮影禁止なので、写真はありません。

(今年6月に再訪し、ゆっくりと見学してきました 
 )





ツアーバスは、次々と場所を移動します 



忠烈祠!    衛兵交代式が見ものでした
   

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↑ のお二人さん。  超蒸し暑いなか、微動だにしないんです 



ふつうの人だったら、ぶっ倒れそう・・・




= 国命忠烈祠 =
国民革命忠烈祠(こくみんかくめいちゅうれつし)は、中華民国台北市中山区剣潭山にある、辛亥革命を始めとする中華民国建国および革命、中国大陸での日中戦争などにおいて戦没した英霊を祀る祠で、中華民国国防部の管轄下にある。
一般には台北忠烈祠、圓山忠烈祠あらいは大直忠烈祠とも呼ばれている。

概要
日本統治時代は台湾護国神社が当地に建立された。その跡地に1969年に創建された。
大門をくぐると中央広場があり、その奥に中国の宮殿様式の大殿があり、左右の文烈士祠、武烈士祠がある。  武烈士祠には、革命・建国の為に亡くなった志士約33万人が祀られている。

衛兵交代
忠烈祠は、衛兵交代のセレモニーで有名である。陸・海・空軍より選抜された兵士が、1時間交代で大門と大殿を各2人ずつで守っている。
任務に就くと1時間微動だにせず、瞬きも控えている。側には世話係がつき、ハンカチで衛兵の汗を拭いたりしている。
衛兵交代は1時間毎に行われる。毎時ちょうどになると引率の兵士1人を含む5人(任務に就いていた兵士とこれから就く兵士)で隊列を組んだ儀杖兵が、大門から大殿に向かって銃を背中に背負ってゆっくりと行進を開始する。大殿に到着すると、儀杖兵は任務に就いていた衛兵2名と合流して、殿内の位牌に向かい敬礼をする。その後、銃を交換、またそれを振り回す儀式を行い、次に任務に就く2名を残して、5名で大門に戻って行く。そして、大門に行くと大門守護の任務に就く2人が門の前に行き台の上で任務に就く。セレモニーの所要時間は約20分間。
儀杖兵の資格だが、高卒以上で犯歴がなく、身長175cm - 195cm、体重65kg±1kgが条件で、その上に厳しい訓練が課せられ、それを成し得た者のみが儀仗兵になれる。




忠烈祠の衛兵交代式の見学を終え、この日最後は台北101へ。




台北の超有名な商業ビルです。



ビルの中のとあるお店では、モデルらしい人達がたくさんいてカメラ撮影をしていました。  プロのカメラマンに紛れ込んで、写真を撮らしていただきました 

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101に入っている小籠包で有名なお店 鼎泰豊(ディンタイフォン)で夕食。

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うまい 


でも、次から次にいろんな小籠包ができきたのですが、さすがに食べきれませんでした・・・

このお店、今は日本にも出店してるんですね 



= 台北101 =
台北101(タイペイいちまるいち、中国語: 臺北101)は、台湾台北市信義区にある超高層ビル。高さ509.2mで、地上101階、地下5階からなり、名前はこれに由来する。
建設段階の名称は台北国際金融センター(中国語: 臺北國際金融大樓)。7年間の工期を経て、2004年に世界一の超高層建築物として竣工した。
設計は李祖原建築事務所、施工は熊谷組を中心としたJVにより行われた。総工費は約600億元。
2004年12月31日、エントランスでオープンを祝う式典が催され、陳水扁中華民国総統も出席してのテープカットが行われた。
また、2005年12月31日の大晦日にはこのビルのある市政府で、カウントダウンイベントが行われ、台北101から電飾と共に2分強の間、
「節」などから大量の花火が打ち上げられた。
毎年5月(開催当初は6月)には、このビルの1階から展望デッキのある91階までの2046段の階段を駆け上がる「台北101國際登高賽」レースが開催されている。
 


=鼎泰豊(ディンタイフォン) =
鼎泰豊(ディンタイフォン)は台湾台北市に本店を置く、小籠包が看板料理の上海料理レストラン・チェーン。
日本、アメリカ合衆国、中国、オーストラリア、インドネシア、タイランド、マレーシア、シンガポール、韓国にも店舗を持つ。

沿革
1958年、中国山西省出身の楊秉彝(ヤン・ピンイー)によって、台湾台北市信義路(永康街)に第1号店が開かれた。  
鼎泰豐は、食用油を販売する油問屋として開業した。小籠包の販売は、本業の食用油の売り上げが落ち込んだ時期に、副業として開始された。   その後、鼎泰豐の小籠包は地元民に評判となり、1980年代には本業であった食用油の販売を取りやめ、小籠包の専業食堂に商売替えをした。
当時は近隣住民が利用する地元の食堂にすぎず、台湾国外の観光客をターゲットにした商業形態は採っていなかった。   1993年、アメリカの『ニューヨーク・タイムズ』紙で「世界の10大レストラン」に選ばれた。  同紙の紹介によって一躍知名度が上がり、台湾国外から多くの観光客が、台北の店舗に来店する転機となった。   その後、台湾国外店舗としてロサンゼルスと東京の店舗を開店させ、続く国外の店舗を次々と開店していった。

日本における展開
日本においては東京都内の中央区・港区・渋谷区・世田谷区・立川市のほか、横浜、名古屋、京都、大阪、福岡、熊本などの各市に店舗を持つ。  大半の店は高島屋内への出店である。これは、高島屋の子会社である「アールティーコーポレーション」が運営している事による。  また、同社は香港の糖朝の日本支店も運営している。




(撮影:2011.9.17)







まぐろ食堂☆ (那覇市港町)

そのまんまやないか! 
 
 
と、つっこみを入れたくなる名前のお店 「まぐろ食堂」をご紹介しま~す 
 
 
 
那覇漁協の中にあるお店で、 鮮魚卸売市場に隣接しています。
 
建物もいかにも!って感じです(笑)
 
 
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天井は、大漁旗でおおわれています 


 
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メニューは、当然おさかな中心です。
 
この日は、事前リサーチで評判の良かった「なかおち丼」を注文しました。
 
 
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じゃ~~ん!  まぐろの中落ち丼、700円なり~~


 
まぐろの中落ちもボリュームたっぷりで大満足 


 
 
 
おすすめで~す 
 
 
 
<まぐろ食堂 お店情報>
〒900-0001
沖縄県那覇市港町1-1-9
泊いゆまち奥

営業時間
10:00~15:30(ラスト・オーダー)
 
定休日
毎週水曜日
 
駐車場
あり
 
  ☆ 美味しい℃ ☆
<う~ん><普通><普通の上等><うまし!><最高> 
  
     
      
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

台湾2日目 VOL6☆ 日月潭と文武廟

台湾旅行の続きです。

台南 赤崁樓を後にし台湾2日目最後の日月潭(にちげつたん)にとうちゃこ!



(前回記事)
 ↓





まずは、日月潭の山手にある文武廟から。

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文武廟
日月潭北側の山に位置する文武廟は日月潭の開拓と深いかかわりがあります。
1932年、日月潭の水をダムに引くことになりましたが、これによって水没の危機に瀕した湖畔の龍鳳廟と益化堂が文武廟として現在の位置に移設再建されたのです。工事は4年の歳月をかけて、1938年に完成しました。その後、1969年から1975年にかけて全面修築が行われました。

この間、計7回視察に訪れた蒋介石総統は同廟の完成が中華民国の建国60周年に間に合うよう、工事の進行具合を気にかけ、予算の調達をしたり、各界の人士に全面支援するよう指示したりしました。このため、当時の黄杰台湾省政府主席は建築様式に「北朝式」を用いることを決定、現在の風格ある姿はこうやって生まれました。

文武廟は台湾で唯一、正門が開いている孔子廟で、参拝者に対する占いを行っているのが特徴です。
このほか、本殿前には美しい龍の石彫刻が彫られており、多くの人が観賞に訪れています。
<引用:台湾観光局HP>






文武廟をひとまわりした後、バスに戻るころには、日月潭(にちげつたん)にも夕日が・・・。


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日月潭(にちげつたん)
日月潭(にちげつたん・じつげつたん)は、台湾南投県魚池郷に位置する湖。台湾で最も大きな湖である(ダム湖を除く)。
湖の北側が太陽(日)の形、南側が月の形をしていることからこう呼ばれる。略称は明潭(みんたん、日と月の合字で明)。

地理
日本統治時代(1918年)に、当時台湾総督だった明石元二郎と高木友枝率いる台湾電力株式会社が水力発電所を建設するため、
台湾で最も長い川である濁水渓から地下導水路で水を引く計画を立案。翌年台湾電力株式会社を設立し建設を開始するが、
途中資金不足や関東大震災による影響などで計画は中断。
1928年に松木幹一郎が台湾電力社長に就任したことにより計画が再開され、1934年6月にダム湖と発電所が竣工した。
結果、湖面の面積は4.55km²から7.73km²に拡大した。
この発電所は、戦後1948年7月に「大観水力発電所」となり、現在、発電量は台湾の水力発電全体の半分以上を占めている。
また日月潭周辺は台湾原住民のサオ族(邵族)の居住地であり、日月潭に浮かぶラル(拉魯)島はサオ族の祖霊が宿る場所(聖地)とされている。

観光
日月潭は「国立風景区」に指定されており、人気の観光地となっている。
日月潭から見る夕日は特に美しいと言われ、また「双潭秋月(日月潭で見る秋の月)」は台湾八景のひとつに数えられている。
湖の周りには8本の遊歩道があり、文武廟や慈恩塔などのいろいろな名所を回ることができる。
また、約39kmある周回道路は、サイクリングや貸しバイクによるツーリングに適している。
湖上には、遊覧船が運航されている。手こぎボートの貸し出しもあり、湖の上からも風景を楽しむことができる。
<引用:ウイキペディア>



(撮影:2011.9.16)




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