今回 向かうのは、新聞のローカル面に載ってたうどん県大野原地区。
古墳があったり、水車小屋があったりするなんて、知りませんでした。
大野原町に向かう途中、いつもの無人販売所に立ち寄りました。
↑画像をクリックすると拡大して字が読めますよ。
ほ~、江戸時代 この地出身の「大砂」さんって強いお相撲さんがいたんですって。
大野原八幡宮に向かって左には、
中鳥居の横にクロスカブ子ちゃんを置かしてもらいます。
随神
ご社殿や神社社地などを守る神さまをさします。 その神さまは、随神門などに安置されていて、矢大神(やだいしん)・左大神(さだいしん)という俗称で呼ばれることもあります。 左右二神共、弓と矢を携え剣を帯びていますが、これはその昔、武装して貴人の護衛にあたった近衛府(このえふ)の舎人(とねり)の姿で、彼らは「随身(ずいしん)」と呼ばれていました。 その随身が転じて、主神に従い守護するという意味で随神となったのでしょう。
ご社殿や神社社地などを守る神さまをさします。 その神さまは、随神門などに安置されていて、矢大神(やだいしん)・左大神(さだいしん)という俗称で呼ばれることもあります。 左右二神共、弓と矢を携え剣を帯びていますが、これはその昔、武装して貴人の護衛にあたった近衛府(このえふ)の舎人(とねり)の姿で、彼らは「随身(ずいしん)」と呼ばれていました。 その随身が転じて、主神に従い守護するという意味で随神となったのでしょう。
<「神社と神道」ウェブサイトより引用>
世界の平和を祈念しました。
知らんけど。
本殿の横の建物に飾られていたのが、
1枚目のタイトルには明治28年 「平壌攻撃之?」と書いてあります。
平壌(ピョンヤン)攻撃といえば、日清戦争の最初の戦闘ですね。
平壌を陥落し、日本軍が清国の人達を捕らえてる様子が描かれています。
2枚目は、劣化が激しくてよくわかりません。
3枚目は、「北清事変凱旋記念」と書いてあります。
北清事変、教科書では「義和団の乱」で教えられたような・・・。
当時は軍国主義で大陸への侵攻が勇ましく描かれ、国民もそれに酔いしれていた時代かもしれませんが、いまだにこうやって神社に祀られていることに違和感を覚えます。
本殿の横を進むと、
ベロンチョしていた紙はこちら ↓
石垣向こうの小高い山が 椀貸塚古墳 のようです。
この小高い山に沿って進んでいくと古墳の反対側に出ます。
小さい祠ですが縁結びの神社があったり、
古墳に眠る御霊を祀る石があったりします。
さらに奥へつながる道を進んでいくと、旧社がありました。
すいぶんと広い立派な神社でした。
誰もいません。 おそるおそるドアを開けると、
んでもって、ここからさらに山の方へクロスカブ子ちゃんを走らせます。
知らんけど。
グローブのテストの結果です。