Michiruブログ

バイク、ツーリング他 グルメ、日常生活などをつれづれに・・・(^^)

1.初コメ大歓迎です。コメ主様のブログのリンク機能がありませんので、コメント欄でurlをお教えいただくか、「メッセージ」でurlを教えていただけますと、お邪魔させていただきます。

2.記事のコメントとは別に、直接メッセージのある方は右欄の「メッセージ」をご利用ください。

3.TOP画面の「読者登録用QRコード」で登録していただけると、新着情報がLINEで通知されます。

2020年06月

激ウマ! 四川風炒飯!! 

今日は、お料理記事でやんす 

以前、 牛丼チャーハンを作った記事を覚えてる!?


最初は、吉野家さんで牛丼を買ってきて、炒飯にしたんよね。





で、この時、美味しいんやけど、もうひとつ味のバランスでひっかかったんよね。

牛丼のタレの甘さが”おもて”に出すぎっていうか・・・。

で、思いついたのが、吉野家の牛丼に四川風の味付けをした炒飯 

作ったのが、これ!!





これが大当たり~~~ 

抜群の旨さ 


で、さらに思ったんよね。

基本的に牛丼のタレの甘さというかコク、それとそれに負けずかつ調和する味付けで豆板醤を使ったんやけど・・。

だったら、牛丼のタレの甘さ(コク)に代わるものがあれば、吉野家行ってわざわざ牛丼買ってこなくても え~いんちゃう

普通に四川料理の調味料を使えば、ウマウマ炒飯が作れるんちゃう

作っちゃいましたよ 

ジャ~~ン 

04s-DSC01733


準備するものは、

01s-DSC01727

02s-DSC01729

以下二人分

・ニンニク 一片(みじん切り)

・甜面醤(てんめんじゃん) 大さじ 1

・豆板醤(とうばんじゃん) 小さじ 2 ・・あまり辛さがおもてに出すぎないようにわざとこの位にしました。

・豆鼓(醤) 小さじ 1

・花椒(ホアジャオ) 適量・・ホールの場合は事前にすっておきます。

・ねぎ (みじん切り) 適量

・ご飯 2人前+玉子 2個 ・・冷凍してたご飯をチンして、卵かけご飯状態にしときます。

・中華調味料・・今回は創味シャンタン 粉末タイプ 小さじ2 を卵かけご飯に混ぜ合わせました。

・塩 ひとつまみ  (書き忘れていました)

・豚肉 適量・・小さく切っておきます。

・ラード、ごま油、サラダ油

(・料理酒 適量・・今回使用しませんでしたが、甘みが気持ち足りませんでした。料理酒を入れた方が美味しいと思います。)


じゃあ、作っていきまっせ~~~ 

中華鍋をサラダ油で馴染ませます。

余分なサラダ油を捨て、ラード+ごま油を投入。

豚肉を炒めます。

程々炒められたら、ニンニク投入。 その後、豆板醤、甜面醤、豆鼓を投入し、豚肉と一緒に熱を入れます。

03s-DSC01731

強火にして、卵かけご飯(ご飯、玉子、創味シャンタン)を投入。

ネギ、塩を入れ、出来上がる直前に花椒(ホアジャオ)を入れ、出来上がり~~~ 

形が崩れたけど、そこはつっこまないで~~~ (・∀・)つ

04s-DSC01733

お味は・・・

グフッ (*´థ.థ`*)  美味しっ💛

まじ激ウマ~~~~


基本、甜面醤と豆板醤の組み合わせなので、間違いないお味 

今回は四川風炒飯といいながら、辛さはおさえました。

これぐらいが、炒飯にはいいかも~ 

コクと適度な辛さのパラパラ炒飯ざんす 

皆さんもお試しあれ~~~ 



太陽の周りに虹

今日は、疲れました・・・。

普段歩かないワタシが、頑張って歩きました。

ヘトヘトざんす。

晩酌のビールが、めっちゃうまいに違いないっす 

たぶん、夜もバタンキューで寝ちゃいそうざんす。

そんなわけで、皆様んちのブログ訪問&いただいたコメのリコメが明日になりまんねやわ。

ごめんやしておくれやして ごめんやっしゃー


今日、行った先で見たもの 

空を見上げると ・・・ Σ(゚д゚;)

s-DSC01800

太陽の周りに虹が 

これはまさしく神が降臨する兆し






・・・なわけはなく・・・。

”ハロ”でんがな 


【ハロ】
太陽の周りに現れる、虹のような光の輪のことをハロ・日暈(ひがさ)ともいいます。
ハロは、雲の中にある氷の粒に太陽の光が屈折してできる現象。うす~い雲が太陽にかかった時に見えます。

ハロが見られるときは、実は天気下り坂のサインといわれており、低気圧や前線が接近して天気が崩れる前触れといわれているのです。低気圧や前線が接近してくると、空高い所から空気が湿ってきて薄い雲ができますが、そこでハロ(日暈)が発生するのです。

ちゅうことで、今晩あたりからお天気は下り坂のうどん県でおまっ 

ps: お日様にカメラを向けると、口径の大きなレンズだとかはセンサーを壊しちゃう可能性があるので注意しましょうね(^^;


弘法大師さま生誕の地を訪れる

昨日の記事の続きざんす 

古代山城 城山(きやま)で、木陰で優しい風に吹かれながら眼下の風景を楽しみました。

31-s-DSC01697

いい時間を過ごせました (*゚▽゚*)

城山を下り、さらに西に向かいます。

お昼前なので、ここでお昼ご飯にしましょ 

この看板にひかれました 

50s-DSC01702

おじゃましまんねやわ 

メニューだす。

51s-DSC01703

表の看板にも書いてた 海老天丼390円 

これはお得ちゃうん (゚∀゚)アヒャヒャ

海老天丼ちょう~~だい 

ジャ~~ン  

52s-DSC01706

ご飯に天丼のタレがかかっておらず、天ぷらを端っこによけて、自分でかけやした。

390円で文句を言ったらバチが当たります(^^;

ごちそうさまでした。  しゅっぱ~~つ 



城山から約25km。 目的地にとうちゃこ 

お寺でおまっ 

「屛風ヶ浦 海岸寺(びょうぶがうら かいがんじ)」


53s-DSC01707

54s-DSC01712

山門には、金剛力士像ならぬ お相撲さん 

これは珍しいっす。

案内板がありました。

55s-DSC01716


二王門(二カ士門)

正式には金剛力士といい、仁王という。但し、昔朝鮮に王(ワン)と いう兄弟があり、佛門の警固に当たったことに因み二王とも。当門 は、その故事による。

貧寺として、後世に残る像を造る資力なく、郷土出身の力士の顕彰を兼ねて造立。多度津町内の彫刻家 神原象峰氏により一旦 造象されるも象徴的すぎるなどとの申し出があり、琴ヶ浜の親友であった観音寺市 松本三郎氏が再彫刻。 大豪については、なかなか資料がいただけず、ただ入手した写真により横から見るにはそっくり。

場所中、杉山家を訪れたことがあるが、たて長い顔はお父さん、横幅はお母さんそっくり。 お母さんは取り組み中目を伏せていられたが、勝ったあとのビデオを安心してみていたのが印象的。

本山寺(重文)八脚門をモデルに庭瀬文部技官の設計により 昭和四十年落慶。


お金がなくって、金剛力士像が作れなかったんだって(笑)  ホンマイカイナ

60s-DSC01708

61s-DSC01709


  ことが はまさだお
 琴ヶ濱 貞雄(佐渡ヶ嶽部屋)
●本名 宇草貞雄   
●生年月日 昭和2年10月10日  
●出 身 地 香川県観音寺市観音寺町

体は決して大きくはなかったが、けいこで鍛え上げた赤銅色の体は、四国出身から,南海の黒豹 と呼ばれた。琴ヶ濱といえば、内掛けと言われたほど。そのタイミングがよく、一発で相手を倒した内掛けの切れ味は、まさに名人芸と言える。 また腰を振って相手のまわしを切るのも独特のうまさがあった。 大関在位五年二十九場所、朝潮と優勝決定戦をやり、柏戸と優勝を争ったこともあった。 佐渡ヶ嶽親方(元琴櫻)のよき相談役であった。

●四股名 宇草→琴ケ濱→年寄名 尾車 
●所属部屋 二所ノ閔→佐渡獄 
●初土俵 昭和20年11月場所 
●十両昇進 昭和24年10月場所 
●入幕 昭和25年5月場所 
●最終場所 昭和37年11月場所 
●最高位 大関
●幕内在位59場所 
●幕内成績 441勝352敗92休 
●勝率 0.556 
●三賞 殊勳章2回、敢闘賞1回 技能買5回 
●身長177cm 
●体 重 117kg 
●得意手左四つ、内掛け、上手投げ 
●没年月日 昭和56年6月7日


64s-DSC01711

65s-DSC01710

  だいごうひさてる
 大豪久照(花籠部屋)
●本名 杉山昇
●生年月日 昭和2年9月3日
●出身地 香川県丸亀市土居町

体に恵まれ、早くから大器と言われ、事実三十五年夏には平幕優勝を飾ったりしたが、関脇で終わったのは彼の場合もの足りない。左四っからの寄り、優勝したはなかなかいい突っ張りを見せたが「バンザイ三杉」と言われるほどわきが甘かったのが欠点で、突っ張りもいつの間にか消えてしま った。 有名な汗かきでもあった。由緒ある三杉磯を名乗 ったこともあり本名の杉山、若三杉など改名七回。 元若乃花の妹と結婚した。

●四股名 杉山→国風→三杉磯→杉山→若三杉→大豪→年寄名 荒磯 
●所属部屋 花籠部屋 
●初土俵  昭和30年3月場所 
●十両昇進 昭和33年5月場所 
●入幕 昭和33年11月場所 
●最終場所 昭和42年5月場所 
●最高位 関脇
●幕内在位 51場所 
●幕内成績387勝374敗4休 
●勝率 0.509 
●三賞 殊勳章2回、敢闘賞3回、優勝1回 
●身長188cm 
●体 重 133kg 
●得意手左四つ、上手投け、寄り切り 
●没年月日 昭和58年11月2日

改名が7回!!(^^;    でも幕内765戦で4休ってすごくない !?  


今の大相撲で香川出身の幕内力士は、琴勇輝関。 ガンバレ~~ 

コロナの影響で大相撲が中止されれいますが、7月場所は開催されるといいなあ~


さて本坊に入って参拝。

68s-DSC01713

何故、ここに訪れたかというと、ここは弘法大師様こと空海生誕の寺院なんです。

 「屛風ヶ浦 海岸寺(びょうぶがうら かいがんじ)」 

海岸寺(かいがんじ)は香川県仲多度郡多度津町西白方に所在する真言宗醍醐派の寺院。詳しくは経納山 迦毘羅衛院(かびらえいん) 海岸寺と称する。

寺院本尊は聖観世音菩薩。大師堂は奥之院と呼ばれ弘法大師誕生仏が本尊で、それぞれに納経所があり、それぞれの本尊の納経をしてもらえる。

<歴史>
寺伝によれば、ここは空海(弘法大師)の母親である玉依御前の出身地とされる。更に空海は奈良時代後期の宝亀5年(774年)に当寺奥之院で生まれたとされており、弘法大師出化初因縁(しゅっけしょいんねん)の霊跡と言われる。

平安時代初期の大同2年(807年)空海が本堂を建立して正観音ないし弥勒菩薩を安置したのが当寺院の開創と伝えられている。弘仁6年(816年)には空海が自身の像を刻み、大師堂を建てたことにより奥之院が開かれたとされる。

戦国時代には土佐の戦国大名・長宗我部元親の進攻に遭い天正11年(1583年)には伽藍が焼亡し、天正18年(1590年)より随時再建がなされた。

文化年間(1804年から1818年)には、白方屏風浦が空海の誕生地とし当寺が誕生所と名乗ることを不服とした善通寺との間で誕生所争いが勃発し、ついには江戸幕府の寺社奉行をも巻き込んで、文化13年(1816年)に嵯峨御所の「善通寺は誕生所で当寺は弘法大師出化初因縁の霊跡と称する」との裁決を受ける事態が生じた。

明治16年(1884年)琴平松尾寺多聞院より当寺と合寺の依頼があり、その後、多門院は廃し当寺と合寺した。

明治38年(1905年)本坊の裏の海岸にロシア兵捕虜収容所(善通寺俘虜収容所)が造られ約千名が翌年まで収容された。


ちゅうことです。

「善通寺は誕生所で当寺は弘法大師出化初因縁の霊跡と称する」って、結局どっちやねん!?(笑)


空海:父 佐伯直田公(さえき あたいのたぎみ)、母 玉寄御前(たまよりごぜん)の間に生まれた空海は幼名・真魚(まお)と名付けられました。

幼少の頃より優れ、後には遣唐使として現在の中国に渡ります。西安にあった青龍寺で恵果(けいか、746年~805年)の下で、真言密教を修めました。

「善通寺」の“誕生院”とも呼ばれる“西院”は空海が誕生した佐伯家の邸宅地にあたると伝わっているところが、善通寺が空海誕生所とする由縁のようです。

一方で、ここ海岸寺こそが空海誕生の地とする理由を海岸寺のHPで見つけました。

「その理由は、海岸寺に残されている出産にまつわる様々な痕跡とお大師様自らが残された文字などから海岸寺が大師誕生の産屋跡と考えられるからです。

周辺の情景からみていくと近隣には母・玉寄御前のお住まいの跡として確定している「仏母院」や産土神社にあたる「熊手八幡宮」があり、出生の場所として昔から“讃岐国多度郡屏風ヶ浦”とよくいわれますように古い道標の「屏風浦」をしめすものは海岸寺へ向いております。

なにより海岸寺大師堂本尊が日本で唯一、赤ちゃんのお姿の大師像を祀る寺であることをはじめ海岸寺に残る寺宝の数々がそれを物語っています。

しかしながら様々な説・諸事情があるため現代では海岸寺は「知る人ぞ知る」霊跡となっています。」


弘法大師様の生誕の地をお参りするには、ここ「海岸寺」と「善通寺」 両方参拝すれば、間違いなしってことでえ~いんちゃう  ガハハ

本坊から屛風ヶ浦へ。

しばし海風にあたり、帰路につきました。

70s-DSC01714

71s-DSC01715

弘法大師様と同じ風にあたったかも~~~ 

古代山城 城山~空海生誕の海岸寺のプチ・ツーリング。

身近な歴史と優しい瀬戸内の風を感じるツーリングになりました~~~


クロスカブで古代山城「城山(きやま)」に vol2

昨日の記事の続きだす 

クロスカブで古代山城の「城山(きやま)」にやってきました。

山頂部分には展望台が設けられていました。

20s-DSC01695

めちゃ見晴らしいいっす 

東には高松市内方面。

21s-DSC01693

讃岐富士こと飯野山。

22s-DSC01680

そこから西の方。

そうそう。 香川県の山って特徴があるらしいですね。

私はこれが普通だと思ってたんやけど、サラリーマン時代 転勤でこの地を訪れた人達が決まってビックリするのが香川の山。

「ポコッ、ポコッとした山ばかり」

言われてみればそうかも~~

23s-DSC01692

画像だとわかりにくいけど、奥に広がるのは瀬戸内海。

こんな案内板もありましたよ。

25s-DSC01674

 瀬戸内海の生い立ち

今から約200万年前に始まった日本列島の新しい地殻変動によって、中国山地と四国山地が隆起し、瀬戸内一帯は、沈降して東西に広がる大き な平坦地ができました。

その後、50万年前には、北東一南西方向にいくつかの隆起があり、淡路島や、小豆島、備讃諸島、芸予諸島などの骨格ができ、平坦部、盆地に分断されました。

そして、1万年前までくりかえされた、氷期と間氷期によって、海面も上昇と低下をくりかえし、 陸地が大きくひろがったり、海水が陸地の奥まで 進入したりする時期が続きました。

しかし、約3万年前のウルム氷期最盛期を最後 に世界の気候が温暖になり、大陸の氷河がとけて 海面が上昇し、瀬戸内に海水が進入して内海となりました。

そして、6000年前には現在の瀬戸内海の姿となりました。

平成4年度 香川県


いろいろ年代が出てくるけど、どういう時代だったか? 学校のお勉強が苦手だったmichiruくんはピンとこんがな・・ 


ちゅうことで調べましたよ。

中生代(約2億5000万 - 約6500万年前)

2億5000万年前 - 爬虫類から双弓類を経て進化した恐竜の出現。中生代の三畳紀、ジュラ紀、白亜紀を通して恐竜が繁栄。
恐竜は気嚢をもち低酸素環境に対応できた。哺乳類の祖先の横隔膜をもつ単弓類は低酸素環境に対応できずに衰退した。

1億年前 恐竜の全盛時代

6550万年前 - 生物の大量絶滅(白亜紀末)。この頃、恐竜が絶滅。アンモナイトも絶滅。
隕石の落下による環境の激変を原因とする説が有力と考えられている。

恐竜は、2億 3000万年前から6600万年前までの約1億 6000万年もの長い間生きていたのです。


新生代(約6500万年前 - 現代)

推定約600万 - 400万年前 - 琵琶湖の形成。
琵琶湖は世界に現存する湖の中では3番目に古い湖と考えられている。

370万 - 100万年前 - アウストラロピテクス(猿人)
最初の人類とされる。一定の道具使用した。

約200万年前 - フィリピン海プレートに乗って移動してきた伊豆半島が北アメリカプレートに衝突し、富士山や箱根などの噴火の引き金になった。

⇒この頃に、中国山地と四国山地が隆起し、瀬戸内一帯は、沈降して東西に広がる大き な平坦地ができたようですね。 中四国だけでなく、日本各地で地殻変動があったんでしょうか?


概ね70万年前頃
この頃から10万年周期の気候変動が見られるようになる(氷期・間氷期)。

約50万年前 - 北京原人。

⇒北東一南西方向にいくつかの隆起があり、淡路島や、小豆島、備讃諸島、芸予諸島などの骨格ができ、平坦部、盆地に分断されたのがこの頃。
今の香川と岡山、愛媛と広島、徳島/淡路島/兵庫あたりが陸続きだったんですね。


約40万年前 - マンモスは、北東シベリアで誕生したとされている。

約23万年前 - ネアンデルタール人の出現。
この頃、温暖期のピーク。
この後、緩やかに寒冷化へと向かい、14万年前頃に氷期のピークとなった。

約20万 - 19万年前 - ホモ・サピエンス(現在のヒト)の出現。16±4万年前のミトコンドリア・イブの存在。
アフリカに出現、10万年前頃にユーラシア大陸にも拡大したと考えられている。

約14万年前 - 氷期(リス氷期)のピーク。
この後、急速に温暖化へと向かった。

約13万 - 12万年前 - 温暖期のピーク。
現在よりも温暖であったと考えられている。この後、急速に寒冷化し、約11万年前頃から緩やかに
上下を繰り返しながら徐々に氷期へと向かった。


約2万年前 - ウルム氷期(最終氷期)のピーク。気温は年平均で7 - 8℃も下がった。そのため地球上で氷河が発達し、海水面が現在よりも100mから最大で130mほど低かったと考えられている(海水準変動を参照)。
その後、温暖化と寒冷化の小さな波をうちながら、長期では徐々に温暖化に向かった。


約1万6000年前 - 東南アジアにあったとされるスンダランドが、海面上昇により徐々に後退。
海面の上昇により、他にも、アラスカとロシアの間にあるベーリング海峡(氷期には陸続きだった)の海没や、大陸と地続きだった日本も徐々に島化が進んだ。

約1万3000年前 - 日本列島が大陸から完全に離れ、ほぼ今の形を整えたと考えられている。
マイナス約60mの宗谷海峡が海水面下に没した。対馬暖流は一進一退を繰り返しながら日本海に流入していき、
約1万から8千年前の間に、現在と同じような海洋環境になったと考えられている。

約1万3000 - 1万年前、温暖化が進行しつつあったが寒冷気候に戻った時期である。
グリーンランドの氷河に彗星からの隕石が衝突したのが原因という説もある。北ヨーロッパなどでは「新ドリアス期」と呼ばれている。


約1万年前 - この頃、最後の氷期(最終氷期)が終わったとされる。
約1万年前 - この頃、ヨーロッパ中部の火山活動が終息へ。


前5000年 - 前3000年頃 - 完新世の気候最温暖期。
この頃、海面は現在よりも数m(4mから10mまで諸説あり)程度高かったと考えられている。→ 海面上昇、縄文海進。


こうやって見ると、長い地球の歴史の中では、温暖化と氷期の繰り返しなんですね。

今、しきりに環境破壊による地球温暖化が叫ばれていますが、このままずっと温暖化が加速するのでしょうか?

地球史を見ていると、いつか気候の揺り戻しが起こるんじゃあないかと思ってしまいまいた。

そして、惑星や大隕石の地球衝突なんてことも、絵空事ではないんですね 

コ、コワ~~~ ヽ(TдT)ノ


こんな案内板も。

27-s-DSC01677

 城山の地形・地質

城山は、上部が平坦で、屋根の形をした台 ・地形ですが、どうしてこのような地形ができたのでしょう。
瀬戸内海一帯の大地は、花崗岩を基盤としていますが、花崗岩は、風化が著しく、また、風雨にもろく、浸食に弱い性質をもっています。

しかし、城山は、花崗岩の上を硬い溶岩(讃岐岩質安山岩)が被っているため、まわりの 崗岩が浸食されても、崩れないで残ったものです。
このような地形をメサ形溶岩台地といい紫雲出山、象頭山、五色台、屋島、小豆島等があります。 

サヌカイト(カンカン石)は、讃岐岩質安山岩のなかでも最も硬い性質の岩石で、旧石器時代には、狩猟や獲物の解体、木材・骨などの加工に使われていました。
産地は、城山 ・金山・国分台(五色台)等が知られています。

平成4年度 香川県


s-DSC01678


 城山の野鳥

日本で記録されている野鳥は、約550種です。このうち、香川県では約280種が観察されています。
野鳥には次のような種類があり、季節によって違った種類の鳥を見ることができます。

夏鳥  繁殖するために日本に渡来する渡り鳥で、春に渡来し夏を過ごし、秋に南方に渡って越冬します。 
冬鳥  越冬するために日本に渡来する渡り鳥で、秋に渡来し冬を過ごし、春に北方に渡って繁殖します。 
旅鳥  渡りの時期に、日本を通過する途中に立ち寄る渡り鳥で、主に春と秋に通過するのが普通です。
留鳥  同じ地域に一年中生息して、季節的な移動はしない鳥です。

城山は、中国地方から四国に渡来するコースになっています。城山で比較的見られる鳥を示しました。 
チッとかピーツと鳥の声が聞こえたら、あたりを見まわしてください。身近なところにたくさんの鳥がいることがわかります。 

夏鳥 アオバズク(290) キビタキ(135) コサメビタキ(130) サシバ(470) ホトトギス(280) 
冬鳥 カシラダカ(150) キダイタダキ(100) ツグミ(244) ハクセキレイ(210) マヒワ(125) 
留鳥 イカル(230) ウグイス(155) エナガ(135) キジ(1250) キジバト(330) コゲラ(150) シジュウカラ(145)

( )内は、全長を示しました。 単位:mm



この日は、気温30℃。

木陰のベンチに腰をおろしました。

31-s-DSC01697


頬をなでる風が気持ちいいっす   聞こえるのはウグイスの「ホーホケキョ」

眼下の風景をボケ~と見ながら、ついつい居心地がよく・・・、30分ほどのんびりしていました。


さて、ぼちぼち次に向かうとしますか。

-続く-

クロスカブで古代山城「城山(きやま)」に vol1

数日前のこと。

梅雨の合間のお天気のいい間にと、ひさびさにクロスカブ子ちゃんでお出かけしてきましたよ。

バビュ~~ン 


国道から山道に。

01s-DSC01645

道も細くなり、さらに上りまんねやわ。

02s-DSC01647

クネクネ道をのぼっていくと 

03s-DSC01651

登山口がありやした。

左右に分かれてました。

04s-DSC01653

05s-DSC01652

この日は、30℃近い気温。

そっこうで歩くのはあきらめました(^^;


再び クロスカブ子ちゃんにまたがり、ブイ~~ン 

05s-DSC01655

「城山城(きやまじょう)石塁」

06s-DSC01657a

そうなんです。

この日、向かっているのは 古代山城の「城山(きやま)」。

詳しくは後程。  赤矢印のところが 山腹にはりめぐられていた石塁跡の一部のようです。


ほどなく、山頂の駐車場にとうちゃこ 

ひとり ポツ~~~ン 

10s-DSC01701

11s-DSC01671

 「城山園地案内図」

瀬戸内海国立公園は、昭和9年(1934)に指定されたわが国最初の国立公園です。
静かな海面とそこに点在する多くの島々、白砂青松の浜と漁村、段々畑など、自然と人文景観が一体となった風景が特徴です。

城山は、昭和25年(1950)に、追加指定されました。 古代の城の総称である城をそのまま山名としています。 

讃岐岩質安山岩(さぬきがんしつあんさんがん)の頂上附近に、朝鮮式山城跡(ちょうせんしきやましろあと)があります。
山頂からは、瀬戸の島々・讃岐山脈などが眺望で きる自然の展望台です。

平成4年度 香川県


駐車場からは、瀬戸大橋も望めましたよ 

13s-DSC01664


城山(きやま)の案内板もありました。

14s-DSC01669

 「史跡  城 山」 

城山は、標高462mと、この付近における最高峰の山であり、視界は極めて広く、 景勝の地であります。

山腹は比較的急峻であるが、山上部は緩やかに起伏しています。 その中に、西北に向かって口を開く凹地を 囲んで城郭の跡があります。

城郭は、山上部を中心に二重の石塁で囲 まれています。 山頂部の礎石群や、内側の石塁の間に城門・水門といった城郭遺構が残っています。

外郭の急峻な斜面付近には 上面が平坦となる石塁・土塁が稜線に沿つ て約6kmにわたつて山頂を囲んでいます。 
城内各所にはホロソ石・マナイタ石と呼ば れる石製加工物も確認されています。

築城の時期は詳らかでないが、七世紀後半頃に築かれた古代山城と考えられています。
また、東の明神原には平安時代に、国司菅原道真が雨乞いをしたという古代祭祀の跡もあります。

城門や石塁など、よく当時の様子をとどめており、古代史上貴重な遺跡として昭和二十六年に国の史跡に指定されています。

平成四年度 香川県


お勉強のためにもう少し知りたくって、帰ってからもう少し調べてみました。


坂出市街の南東にある城山(きやま・462m)は、古代の城の呼称である城(き)をそのまま山名とした山。
山上一帯には、天智天皇時代に(668年~670年)朝鮮勢力の侵攻に備えて築かれた山城と考えられる遺構が残り国の史跡に指定されている。
ホロソ石やまないた石、カガミ石といった石造加工物も点在している。


ちゅうことです。

時代で言うと、飛鳥時代ですね。

飛鳥時代(あすかじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つ。
広義には、飛鳥に宮都が置かれていた崇峻天皇5年(592年)から和銅3年(710年)にかけての118年間を指す。
狭義には、聖徳太子が摂政になった推古天皇元年(593年)から藤原京への遷都が完了した持統天皇8年(694年)にかけての102年間を指す。

当時、朝鮮半島では唐・新羅が連合軍を組み、百済を攻めた時代。

百済は友好国の日本(当時は倭国)に援軍を求め、軍事衝突。 白村江の戦いで、百済・倭国連合軍は大敗をきし、百済滅亡。


白村江での敗戦を受け、唐・新羅による日本侵攻を怖れた天智天皇は防衛網の再構築および強化に着手した。百済帰化人の協力の下、対馬や北部九州の大宰府の水城(みずき)や瀬戸内海沿いの西日本各地(長門、屋嶋城、岡山など)に朝鮮式古代山城の防衛砦を築き、北部九州沿岸には防人(さきもり)を配備した。


この当時、作られたのがこの城山(きやま)を含む古代山城なんですね。

「古代山城」

古代山城(こだいさんじょう)は、古代日本の山城。九州地方北部から瀬戸内地方・近畿地方にかけて分布する。

従来に「朝鮮式山城(ちょうせんしきやまじろ)」・「神籠石(こうごいし)」と呼び分けられてきた2種類の遺跡群の総称として、近年使用される考古学用語である。

概要
飛鳥時代から奈良時代頃に、対朝鮮・中国の情勢に応じて西日本各地の山に築造された防衛施設の総称である。

従来、文献に見える山城は「朝鮮式山城(ちょうせんしきやまじろ(さんじょう)、天智紀山城)」、見えない山城は「神籠石系山城(こうごいしけいやまじろ(さんじょう)、神籠石式山城)」と呼び分けられてきたが、近年の発掘調査により両者の違いが必ずしも明確でなくなりつつあり、これらをして「古代山城」と総称される傾向にある。

文献に見える城は12ヶ所(狭義の朝鮮式山城11ヶ所と中国式山城1ヶ所)、見えない城は16ヶ所(いずれも神籠石系山城)があり、合計28ヶ所を数える。 これらは基本的に山1つを防御施設としたもので、山の頂上付近を土塁・石塁で区画しており、大規模なものでは区画の外郭線が数キロメートルに及ぶ。これらの山城は古代に役目を終え、一部の城跡では中世に山城や寺社などが設置され現在に至っている。


「城山」は、この分類によると 「神籠石系山城 / 神籠石式山城(史書非記載城)」になるようです。

結局、唐・新羅による日本侵攻がなかったのですが、この古代山城は その後 どのような役割を歴史の中で果たしてきたのか? 調べてもわかりませんでした。

どなたかご存じの方がいらっしゃれば、教えてくださいね。

駐車場から少しのぼったところが山頂です。


16s-DSC01694

展望台もあります。

今日は長くなったので、この辺で。

(続く)
記事検索
カテゴリー
アーカイブ
メッセージ

ブログ管理者に個別メッセージする際にご利用ください。

名前
メール
本文
読者登録
LINE読者登録QRコード
最新コメント
PVアクセスランキング にほんブログ村
  • ライブドアブログ