2023年春・紀伊半島ツーリングの続きです。
瀞峡ウォータージェット船のりばで出会ったおじさんに、オロナミンC2本もらって大感激だったあたい。
今日の記事を書いていて、思い出した事が。
昨日の記事では、「この日は車でこられていたおじさん。 バイクはメグロのKだったかカワサキのWを乗っているとおっしゃっていた」と昨日の記事で書きましたが、「サイドカー付きのカワサキWを乗っている」とおっしゃっていたことを思い出しました。
そしてオロナミンCだったかリポビタンDだったかが、思い出せません。(^^;
まあ、どっちでもいいっすよね。
さて、瀞峡ウォータージェット船のりば(現「瀞峡めぐりの里 熊野川」)をあとにして、R168をすすみます。
そして・・・、とうちゃこ
熊野三山のひとつ、熊野本宮大社。
この日は、熊野那智大社に続いての参拝です。
うげっ、また階段だあ~~(;´Д`)
大斎原(おおゆのはら)にも行ってみまひょ。
右に曲がると大斎原ですが、産田社の案内板もあったので、こちらにも行ってみます。
女性の守り神と書いてありますが、ジェンダーレスの時代なので・・(゚∀゚)アヒャ
こじんまりとした社です。
あたいは場違いだったかもしれませんが・・
チャリ~ン。←お賽銭
ペコペコ。 パンパン。 ペコリ。←二礼二拍手一礼
神様、仏様、ア~メンってな、能天気なあたいなので、お許しを~~~。
でっかい鳥居の大斎原。
【日本第一大鳥居建立の意義】
ここから歩いていくと旧社地の大斎原だと思うのですが、那智大社で雨に降られてびしょ濡れの靴の中&剥がれかかっているライディングシューズの靴底が心配で、ここから引き返しました。(^^;
熊野本宮大社近くのコンビニ?酒屋さん?でビールとおつまみを買い、この日のお宿に向かいます。
やってきました。
ここは川湯温泉。 川の中から温泉が湧き出ています。
ズーム・アップ
若者が川湯を楽しんでいましたよ。 (´∀`*)
ここ川湯温泉も44年前に訪れたところ。
川湯温泉にもユースホステルがあり、その時のツーリング3日目に宿泊したんですよね~。
当時の写真&アルバムを見るとYH河鹿荘となっていました。
YHの登録もされていましたが、実際に訪れると 普通の旅館で、YH加入者にもYHとして受け入れている感じでした。
ユース料金で、普通の旅館に泊まれてラッキー! と思ったものでした。(* ̄∇ ̄*)エヘヘ
今回の旅の出発前に「川湯温泉」「ユースホステル」でネット検索したものの、和歌山県内での情報は無し。
だいたいの場所は覚えていたのですが、その辺りは道が狭く、フルパニアのVストちゃんをとめるところがありませんでした。 仕方なくバイクをとめれそうなところまで移動して、画像におさめたのが↓。
記事を書くにあたって、アルバムをひっぱりだしてわかったのが、前述のユースホテル名「YH河鹿荘」。
#川湯温泉 ”河鹿荘”で検索して、20年ほど前の情報がひっかかってきて、さらにそこから調べていくと・・
わかりました。 今は川湯温泉の「温泉民宿 大村屋」さんに屋号が変わっていました。
上記の画像の赤矢印のところです。
記憶していた場所と合致します。
さらにグーグルマップで見てみると・・
「民宿 大村屋」の下に”かじかの宿”と書かれています。
間違いなく、ここが「YH河鹿荘」だったところです('▽'*)ニパッ♪
この日のお宿。 大村屋さんから300m程 西に行った「山水館 川湯まつや」さんに、とうちゃこ。
駐車場には、かっちょいいバイクが!!
90度V型2気筒エンジン。 モト・グッツィでしょうか? めちゃカッコいい!
はじめて見ました('▽'*)ニパッ♪
ボンビーなあたい。 安宿+全国旅行支援対象宿でここにしました。
なんとも、不思議なお部屋でした(^^;
まあ、野営よりかは快適なんですが・(笑)
びしょ濡れになった靴、靴下、カッパ、傘等をお部屋の中にひろげ・・・(明朝までに乾くかなあ・・?)
大浴場の温泉につかり・・
ビールをプシュ~~~
ふ~~~、生き返ったよ~~~~~(☆゚∀゚)
この日も地域クーポン2000円分ゲッツ!!
この日は、めずらしく1泊2食のプランで予約していました。
朝・夕食は、数軒先の同系列の「山水館 川湯みどりや」(まつやさんより上等な宿)でいただきます。
朝・夕食ともバイキング形式です。
いっただきま~~す。
品数は、それなりにありましたが・・。
う~~ん、あまり美味しくないかも・・('A`|||) 素泊まり+コンビニ弁当で良かったか・・。
この日(2日目)の走行距離:79.9km。 歩いてばかりだったもんね~~(;´Д`)
<この日(2日目)の走行ルート>
—旅は3日目に続く-
瀞峡ウォータージェット船のりばで出会ったおじさんに、オロナミンC2本もらって大感激だったあたい。
今日の記事を書いていて、思い出した事が。
昨日の記事では、「この日は車でこられていたおじさん。 バイクはメグロのKだったかカワサキのWを乗っているとおっしゃっていた」と昨日の記事で書きましたが、「サイドカー付きのカワサキWを乗っている」とおっしゃっていたことを思い出しました。
そしてオロナミンCだったかリポビタンDだったかが、思い出せません。(^^;
まあ、どっちでもいいっすよね。
さて、瀞峡ウォータージェット船のりば(現「瀞峡めぐりの里 熊野川」)をあとにして、R168をすすみます。
そして・・・、とうちゃこ
熊野三山のひとつ、熊野本宮大社。
この日は、熊野那智大社に続いての参拝です。
うげっ、また階段だあ~~(;´Д`)
東御前—(若宮) 天照大神
御本社—(證誠殿(しょうじょうでん)) 家津御子大神(けつみみこのおおかみ)(素盞鳴尊(すさのおのみこと))
西御前—(速玉宮)速玉大神(伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ))
—(結宮)夫須美大神(ふすみのみこと)(伊邪那美大神(いざなみのおおかみ))
当宮は熊野三山(本宮・新宮・那智)の首位を占め、全国に散在する熊野神社の総本宮で、熊野大権現として広く世に知られています。 御主神は家津御子大神、すなわち素盞鳴尊と申し、樹木を支配される神であり、紀国(木ノ国)の語源もここから起っております。
大神は植林を御奨励になり、造船の技術を教えられて、外国との交通を開かれ、人民の幸福を図られるとともに、生命の育成発展を司られた霊神で、第十代崇神天皇の御代に熊野連(くまのむらじ)が当地に社殿を造営して鎮祭したと伝えられています。
奈良朝のころから修験の行者が頻繁にここに出入りして修行し、ますます神威が広まりました。延㐂*七年(約千年前)宇多法皇の御幸をはじめ約三百年にわたり法皇・上皇・女院の御幸は百数十回に及びました。これが史上有名な熊野御幸(くまのごこう)であります。
これと前後して当時の神仏習合によって、御主神を阿弥陀如来といって尊び、日本一といわれた霊験を仰ごうとする参詣者は全国各地から熊野の深山幽谷を埋め「蟻の熊野詣」とか「伊勢に七度熊野に三度どちらが欠けても片参り」などとうたわれるとともに全国に御分社を祭り、その数は現在五千数社を教えています。その後源平の争乱、承久の変、南北朝の戦乱と様々な変災の渦中にありながら人心の信仰はますます高まり、当宮の神威は熊野牛王(くまのごおう)(おからす様) の神符とともに全国に伝播して、明治時代に至りました。
現在の社殿は享和二年、徳川家斉将軍の命によって紀州侯治宝卿が音無里、現本宮町大斎原(おおゆのはら)(指定文化財)に建立されましたが、明治二十二年の大出水にあって現在地に修造して遷座されたものであります。この社殿のつくり方を「熊野造」と申し上げます。
なお旧社地は大斎原と呼び、石祠二殿を仮官として、西方に中四社、下四社を、東方に元境内摂末社を合詞してあります。
開寅神事 一月一日
八咫烏神事 一月七日
木苗祭 四月第一日曜日
春例大祭(本宮祭り)
湯登神事 四月十三日
宮渡神事 四月十三日
船 玉 祭 四月十四日
本殿祭(神輿渡御) 四月十五日
御竈木祭 十二月十日
*注)延㐂
㐂・・辞書変換しても、IMEパッドを使っても、あたいのPC環境では入力できませんでした。('A`|||)
読み方「キ」。「喜」という漢字の草書体に基づく俗字。 2つないし3つの同じ漢字の組み合わせで構成される漢字の「理義字(りぎじ)」。
案内板表記では、”延㐂”となっていますが、延喜(えんぎ)の表記が一般的かと思います。
読み方「キ」。「喜」という漢字の草書体に基づく俗字。 2つないし3つの同じ漢字の組み合わせで構成される漢字の「理義字(りぎじ)」。
案内板表記では、”延㐂”となっていますが、延喜(えんぎ)の表記が一般的かと思います。
熊野では八咫烏を神の使者と言われています。三本足とは熊野三党(宇井・ 鈴木・榎本)表わすとも言われ、当社では主祭神家津美御子大神(素盞鳴尊) の御神徳である智・仁・勇、又天・地・人の意をあらわしています。
烏は一般に不吉の鳥とされてているが、方角を知るので未知の地へ行く道案内や、遠隔地へ送る使者の役目をする鳥とされており、熊野の地へ神武天皇 御東征の折、天皇が奥深い熊野の山野に迷い給うた時、八咫烏が御導き申し上げたという意があります。又、歴史上の一端より触れて述べれば源平合戦の折 那須与一出身地(栃木県) 烏山城は鳥が金の御幣(神のお告げ)をこの地にもたらしたので築城したといわれています。
次に世界各国の一部を記せば、
スカンジナビア オーディンの神の肩に止まった烏が二羽、一つは思考、一つは記憶と名づけて 毎朝二羽の鳥を放って、世界中のことを報告させたといわれている。
古代ギリシャ 烏はアポロの神の標識。
ツリンキート族 火を最初にもってきて、光を人にあたえたのは烏であると伝えられている。
日本サッカー協会のマークは八咫鳥です。2011,2017 女子サッカー ワールドカップでは、なでしこジャパンが強豪を破り見事優勝しました。 選手達全員がこの八咫烏の御守りを持参して戦いました。幾多の強豪と対戦する困難を乗り越え、優勝という目的に向かって進むチームを導いてくれるのがこの八咫鳥です。
尚、右の意より、当大社では今も変わらず、
◎人の道開きの開運、人生、目的達成、勝利への導き
◎現在地~目的地の間、無事に到達する意・海上安全・交通安全 (車・二輪車等)旅行安全・通学安全の守護として仰がれています。
※八咫烏のお祭りに関わる祭典(八咫烏神事 無形文化財)
毎年一月七日、夕闇深き時刻(午後五時)に厳修斎行される (年初め牛王刷り初め・宝印神事)があり当社の年中行事の中でも中心となるお祭りです。
熊野本宮大社社務所
烏(からす)。鳥(とり)ではありません。 18歳で京都に住み、「烏丸」を”とりまる”でなく”からすま”と読み、烏と鳥の字の違いを知りましたよ。(゚∀゚)アヒャ
烏(からす)。鳥(とり)ではありません。 18歳で京都に住み、「烏丸」を”とりまる”でなく”からすま”と読み、烏と鳥の字の違いを知りましたよ。(゚∀゚)アヒャ
大斎原(おおゆのはら)にも行ってみまひょ。
右に曲がると大斎原ですが、産田社の案内板もあったので、こちらにも行ってみます。
女性の守り神と書いてありますが、ジェンダーレスの時代なので・・(゚∀゚)アヒャ
こじんまりとした社です。
あたいは場違いだったかもしれませんが・・
チャリ~ン。←お賽銭
ペコペコ。 パンパン。 ペコリ。←二礼二拍手一礼
神様、仏様、ア~メンってな、能天気なあたいなので、お許しを~~~。
でっかい鳥居の大斎原。
【日本第一大鳥居建立の意義】
人心が神と自然から離れつつある今日、当社の最も危惧するところは「命脈の護持」であり次の世代への日本の心(精神・ 魂)の復活を祈念することであります。
神代の時代、(家津御子大神)が大地の荒れ果てているのを嘆かれ、自ら木を御手植えになられて「木の国=紀の国」と名付けられました。
皇紀二六六一年を迎えた日本国にとって、大なる節目であることは無論の事、この節目の始めに当たり「日本人の精神(心) の蘇り、日本経済の再生、熊野の山々より環境の大切さの再認識、国内は基より世界人類平和」を確固たる事を祈念し、今こそこの壮大なる熊野の山・川は申すまでもなく、大斎原を発信基地として熊野の大神の広大なる御神徳を得て、新たなる世紀が神と自然と人が共にある様、皇紀二六六一年、熊野の大神の御神徳が発揚かつ千木高く厳然として鎮まりますよう、熊野本宮大社・熊野信仰の原点となる大斎原に、日本最大の第一大鳥居を建立する運びとなった次第です。 八咫烏を掲げた天下一大鳥居であります。竣工は、平成十二年五月十一日です。
(幅)約四十二メートル
(高さ)約三十四メートル
日本には天照大神を祭る神宮(伊勢)や、 素盞鳴尊を祭るここ本宮(熊野)、大国主尊を祭る大社(出雲)を始め、たくさんの神社がありますが、神社で最初に目に付く物といえば鳥居です。鳥居は神社が神聖で清らかな場所であること、つまり神様のおはしますことを示す一種の門です。
・・センテンス毎に言わんとしていることはわかりますが、アンポンタンなあたいのおつむでは、全体の文脈がつかみきれましぇん。(^^;
ここから歩いていくと旧社地の大斎原だと思うのですが、那智大社で雨に降られてびしょ濡れの靴の中&剥がれかかっているライディングシューズの靴底が心配で、ここから引き返しました。(^^;
熊野本宮大社近くのコンビニ?酒屋さん?でビールとおつまみを買い、この日のお宿に向かいます。
やってきました。
ここは川湯温泉。 川の中から温泉が湧き出ています。
ズーム・アップ
若者が川湯を楽しんでいましたよ。 (´∀`*)
ここ川湯温泉も44年前に訪れたところ。
川湯温泉にもユースホステルがあり、その時のツーリング3日目に宿泊したんですよね~。
当時の写真&アルバムを見るとYH河鹿荘となっていました。
YHの登録もされていましたが、実際に訪れると 普通の旅館で、YH加入者にもYHとして受け入れている感じでした。
ユース料金で、普通の旅館に泊まれてラッキー! と思ったものでした。(* ̄∇ ̄*)エヘヘ
今回の旅の出発前に「川湯温泉」「ユースホステル」でネット検索したものの、和歌山県内での情報は無し。
だいたいの場所は覚えていたのですが、その辺りは道が狭く、フルパニアのVストちゃんをとめるところがありませんでした。 仕方なくバイクをとめれそうなところまで移動して、画像におさめたのが↓。
記事を書くにあたって、アルバムをひっぱりだしてわかったのが、前述のユースホテル名「YH河鹿荘」。
#川湯温泉 ”河鹿荘”で検索して、20年ほど前の情報がひっかかってきて、さらにそこから調べていくと・・
わかりました。 今は川湯温泉の「温泉民宿 大村屋」さんに屋号が変わっていました。
上記の画像の赤矢印のところです。
記憶していた場所と合致します。
さらにグーグルマップで見てみると・・
「民宿 大村屋」の下に”かじかの宿”と書かれています。
間違いなく、ここが「YH河鹿荘」だったところです('▽'*)ニパッ♪
この日のお宿。 大村屋さんから300m程 西に行った「山水館 川湯まつや」さんに、とうちゃこ。
駐車場には、かっちょいいバイクが!!
90度V型2気筒エンジン。 モト・グッツィでしょうか? めちゃカッコいい!
はじめて見ました('▽'*)ニパッ♪
ボンビーなあたい。 安宿+全国旅行支援対象宿でここにしました。
なんとも、不思議なお部屋でした(^^;
まあ、野営よりかは快適なんですが・(笑)
びしょ濡れになった靴、靴下、カッパ、傘等をお部屋の中にひろげ・・・(明朝までに乾くかなあ・・?)
大浴場の温泉につかり・・
ビールをプシュ~~~
ふ~~~、生き返ったよ~~~~~(☆゚∀゚)
この日も地域クーポン2000円分ゲッツ!!
この日は、めずらしく1泊2食のプランで予約していました。
朝・夕食は、数軒先の同系列の「山水館 川湯みどりや」(まつやさんより上等な宿)でいただきます。
朝・夕食ともバイキング形式です。
いっただきま~~す。
品数は、それなりにありましたが・・。
う~~ん、あまり美味しくないかも・・('A`|||) 素泊まり+コンビニ弁当で良かったか・・。
この日(2日目)の走行距離:79.9km。 歩いてばかりだったもんね~~(;´Д`)
<この日(2日目)の走行ルート>
—旅は3日目に続く-