Michiruブログ

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2023年06月

2023年春・紀伊半島ツーリング VOL7「熊野本宮大社、川湯温泉」

2023年春・紀伊半島ツーリングの続きです。

瀞峡ウォータージェット船のりばで出会ったおじさんに、オロナミンC2本もらって大感激だったあたい。

今日の記事を書いていて、思い出した事が。 

昨日の記事では、「この日は車でこられていたおじさん。 バイクはメグロのKだったかカワサキのWを乗っているとおっしゃっていた」と昨日の記事で書きましたが、「サイドカー付きのカワサキWを乗っている」とおっしゃっていたことを思い出しました。

そしてオロナミンCだったかリポビタンDだったかが、思い出せません。(^^;

まあ、どっちでもいいっすよね。


さて、瀞峡ウォータージェット船のりば(現「瀞峡めぐりの里 熊野川」)をあとにして、R168をすすみます。

そして・・・、とうちゃこ

熊野三山のひとつ、熊野本宮大社。

この日は、熊野那智大社に続いての参拝です。
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うげっ、また階段だあ~~(;´Д`)
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東御前—(若宮) 天照大神
御本社—(證誠殿(しょうじょうでん)) 家津御子大神(けつみみこのおおかみ)(素盞鳴尊(すさのおのみこと))
西御前—(速玉宮)速玉大神(伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ))
   —(結宮)夫須美大神(ふすみのみこと)(伊邪那美大神(いざなみのおおかみ))

当宮は熊野三山(本宮・新宮・那智)の首位を占め、全国に散在する熊野神社の総本宮で、熊野大権現として広く世に知られています。 御主神は家津御子大神、すなわち素盞鳴尊と申し、樹木を支配される神であり、紀国(木ノ国)の語源もここから起っております。

大神は植林を御奨励になり、造船の技術を教えられて、外国との交通を開かれ、人民の幸福を図られるとともに、生命の育成発展を司られた霊神で、第十代崇神天皇の御代に熊野連(くまのむらじ)が当地に社殿を造営して鎮祭したと伝えられています。

奈良朝のころから修験の行者が頻繁にここに出入りして修行し、ますます神威が広まりました。延㐂*七年(約千年前)宇多法皇の御幸をはじめ約三百年にわたり法皇・上皇・女院の御幸は百数十回に及びました。これが史上有名な熊野御幸(くまのごこう)であります。

これと前後して当時の神仏習合によって、御主神を阿弥陀如来といって尊び、日本一といわれた霊験を仰ごうとする参詣者は全国各地から熊野の深山幽谷を埋め「蟻の熊野詣」とか「伊勢に七度熊野に三度どちらが欠けても片参り」などとうたわれるとともに全国に御分社を祭り、その数は現在五千数社を教えています。その後源平の争乱、承久の変、南北朝の戦乱と様々な変災の渦中にありながら人心の信仰はますます高まり、当宮の神威は熊野牛王(くまのごおう)(おからす様) の神符とともに全国に伝播して、明治時代に至りました。

現在の社殿は享和二年、徳川家斉将軍の命によって紀州侯治宝卿が音無里、現本宮町大斎原(おおゆのはら)(指定文化財)に建立されましたが、明治二十二年の大出水にあって現在地に修造して遷座されたものであります。この社殿のつくり方を「熊野造」と申し上げます。

なお旧社地は大斎原と呼び、石祠二殿を仮官として、西方に中四社、下四社を、東方に元境内摂末社を合詞してあります。


開寅神事 一月一日
八咫烏神事 一月七日
木苗祭 四月第一日曜日

春例大祭(本宮祭り)
湯登神事 四月十三日
宮渡神事 四月十三日
船 玉 祭 四月十四日
本殿祭(神輿渡御) 四月十五日
御竈木祭 十二月十日


*注)
㐂・・辞書変換しても、IMEパッドを使っても、あたいのPC環境では入力できませんでした。('A`|||)

読み方「キ」。「喜」という漢字の草書体に基づく俗字。 2つないし3つの同じ漢字の組み合わせで構成される漢字の「理義字(りぎじ)」。

案内板表記では、”延㐂”となっていますが、延喜(えんぎ)の表記が一般的かと思います。


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参拝順番の案内もありました。

ただこれを読まず参拝されている方が多数だったかも~~(^^;

立派なお社です。

こちらでも・・

チャリ~ン。←お賽銭
ペコペコ。 パンパン。 ペコリ。←二礼二拍手一礼
×5(祭神)  

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【八咫烏 (やたがらす)(由来)】
熊野では八咫烏を神の使者と言われています。三本足とは熊野三党(宇井・ 鈴木・榎本)表わすとも言われ、当社では主祭神家津美御子大神(素盞鳴尊) の御神徳である智・仁・勇、又天・地・人の意をあらわしています。

烏は一般に不吉の鳥とされてているが、方角を知るので未知の地へ行く道案内や、遠隔地へ送る使者の役目をする鳥とされており、熊野の地へ神武天皇 御東征の折、天皇が奥深い熊野の山野に迷い給うた時、八咫烏が御導き申し上げたという意があります。又、歴史上の一端より触れて述べれば源平合戦の折 那須与一出身地(栃木県) 烏山城は鳥が金の御幣(神のお告げ)をこの地にもたらしたので築城したといわれています。

次に世界各国の一部を記せば、
スカンジナビア  オーディンの神の肩に止まった烏が二羽、一つは思考、一つは記憶と名づけて 毎朝二羽の鳥を放って、世界中のことを報告させたといわれている。
古代ギリシャ  烏はアポロの神の標識。
ツリンキート族 火を最初にもってきて、光を人にあたえたのは烏であると伝えられている。

日本サッカー協会のマークは八咫鳥です。2011,2017 女子サッカー ワールドカップでは、なでしこジャパンが強豪を破り見事優勝しました。 選手達全員がこの八咫烏の御守りを持参して戦いました。幾多の強豪と対戦する困難を乗り越え、優勝という目的に向かって進むチームを導いてくれるのがこの八咫鳥です。

尚、右の意より、当大社では今も変わらず、
◎人の道開きの開運、人生、目的達成、勝利への導き
◎現在地~目的地の間、無事に到達する意・海上安全・交通安全 (車・二輪車等)旅行安全・通学安全の守護として仰がれています。

※八咫烏のお祭りに関わる祭典(八咫烏神事 無形文化財)
毎年一月七日、夕闇深き時刻(午後五時)に厳修斎行される (年初め牛王刷り初め・宝印神事)があり当社の年中行事の中でも中心となるお祭りです。

熊野本宮大社社務所


烏(からす)。鳥(とり)ではありません。 18歳で京都に住み、「烏丸」を”とりまる”でなく”からすま”と読み、烏と鳥の字の違いを知りましたよ。(゚∀゚)アヒャ


大斎原(おおゆのはら)にも行ってみまひょ。
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右に曲がると大斎原ですが、産田社の案内板もあったので、こちらにも行ってみます。

女性の守り神と書いてありますが、ジェンダーレスの時代なので・・(゚∀゚)アヒャ

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こじんまりとした社です。
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あたいは場違いだったかもしれませんが・・

チャリ~ン。←お賽銭
ペコペコ。 パンパン。 ペコリ。←二礼二拍手一礼

神様、仏様、ア~メンってな、能天気なあたいなので、お許しを~~~。

でっかい鳥居の大斎原。

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【日本第一大鳥居建立の意義】
人心が神と自然から離れつつある今日、当社の最も危惧するところは「命脈の護持」であり次の世代への日本の心(精神・ 魂)の復活を祈念することであります。

神代の時代、(家津御子大神)が大地の荒れ果てているのを嘆かれ、自ら木を御手植えになられて「木の国=紀の国」と名付けられました。

皇紀二六六一年を迎えた日本国にとって、大なる節目であることは無論の事、この節目の始めに当たり「日本人の精神(心) の蘇り、日本経済の再生、熊野の山々より環境の大切さの再認識、国内は基より世界人類平和」を確固たる事を祈念し、今こそこの壮大なる熊野の山・川は申すまでもなく、大斎原を発信基地として熊野の大神の広大なる御神徳を得て、新たなる世紀が神と自然と人が共にある様、皇紀二六六一年、熊野の大神の御神徳が発揚かつ千木高く厳然として鎮まりますよう、熊野本宮大社・熊野信仰の原点となる大斎原に、日本最大の第一大鳥居を建立する運びとなった次第です。 八咫烏を掲げた天下一大鳥居であります。竣工は、平成十二年五月十一日です。

(幅)約四十二メートル
(高さ)約三十四メートル

日本には天照大神を祭る神宮(伊勢)や、 素盞鳴尊を祭るここ本宮(熊野)、大国主尊を祭る大社(出雲)を始め、たくさんの神社がありますが、神社で最初に目に付く物といえば鳥居です。鳥居は神社が神聖で清らかな場所であること、つまり神様のおはしますことを示す一種の門です。


・・センテンス毎に言わんとしていることはわかりますが、アンポンタンなあたいのおつむでは、全体の文脈がつかみきれましぇん。(^^;


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ここから歩いていくと旧社地の大斎原だと思うのですが、那智大社で雨に降られてびしょ濡れの靴の中&剥がれかかっているライディングシューズの靴底が心配で、ここから引き返しました。(^^;

熊野本宮大社近くのコンビニ?酒屋さん?でビールとおつまみを買い、この日のお宿に向かいます。

やってきました。

ここは川湯温泉。  川の中から温泉が湧き出ています。

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ズーム・アップ 
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若者が川湯を楽しんでいましたよ。 (´∀`*)

ここ川湯温泉も44年前に訪れたところ。

川湯温泉にもユースホステルがあり、その時のツーリング3日目に宿泊したんですよね~。
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当時の写真&アルバムを見るとYH河鹿荘となっていました。

YHの登録もされていましたが、実際に訪れると 普通の旅館で、YH加入者にもYHとして受け入れている感じでした。

ユース料金で、普通の旅館に泊まれてラッキー! と思ったものでした。(* ̄∇ ̄*)エヘヘ

今回の旅の出発前に「川湯温泉」「ユースホステル」でネット検索したものの、和歌山県内での情報は無し。

だいたいの場所は覚えていたのですが、その辺りは道が狭く、フルパニアのVストちゃんをとめるところがありませんでした。 仕方なくバイクをとめれそうなところまで移動して、画像におさめたのが↓。

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記事を書くにあたって、アルバムをひっぱりだしてわかったのが、前述のユースホテル名「YH河鹿荘」。

#川湯温泉 ”河鹿荘”で検索して、20年ほど前の情報がひっかかってきて、さらにそこから調べていくと・・

わかりました。 今は川湯温泉の「温泉民宿 大村屋」さんに屋号が変わっていました。

上記の画像の赤矢印のところです。

記憶していた場所と合致します。

さらにグーグルマップで見てみると・・
河鹿荘→大村屋04

河鹿荘→大村屋03

「民宿 大村屋」の下に”かじかの宿”と書かれています。

間違いなく、ここが「YH河鹿荘」だったところです('▽'*)ニパッ♪ 


この日のお宿。 大村屋さんから300m程 西に行った「山水館 川湯まつや」さんに、とうちゃこ。

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駐車場には、かっちょいいバイクが!!
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90度V型2気筒エンジン。 モト・グッツィでしょうか? めちゃカッコいい!

はじめて見ました('▽'*)ニパッ♪


ボンビーなあたい。 安宿+全国旅行支援対象宿でここにしました。
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なんとも、不思議なお部屋でした(^^;

まあ、野営よりかは快適なんですが・(笑)

びしょ濡れになった靴、靴下、カッパ、傘等をお部屋の中にひろげ・・・(明朝までに乾くかなあ・・?)

大浴場の温泉につかり・・

ビールをプシュ~~~
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ふ~~~、生き返ったよ~~~~~(☆゚∀゚)

この日も地域クーポン2000円分ゲッツ!!
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この日は、めずらしく1泊2食のプランで予約していました。

朝・夕食は、数軒先の同系列の「山水館 川湯みどりや」(まつやさんより上等な宿)でいただきます。


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朝・夕食ともバイキング形式です。

いっただきま~~す。
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品数は、それなりにありましたが・・。

う~~ん、あまり美味しくないかも・・('A`|||) 素泊まり+コンビニ弁当で良かったか・・。


この日(2日目)の走行距離:79.9km。 歩いてばかりだったもんね~~(;´Д`)
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<この日(2日目)の走行ルート>
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—旅は3日目に続く-



2023年春・紀伊半島ツーリング VOL6「オロナミンC2本を貰った思い出」

2023年春・紀伊半島ツーリングの続きです。

熊野那智大社、青岸渡寺を参拝し、ずぶ濡れになって大門坂駐車場に戻ってきました。

折り畳み傘をしまい、再度カッパを着こんで出発

往路で使った自動車専用道路の「那智勝浦新宮道路」で引き返して新宮市に。

新宮市内、雨はやんでいました。 どうも熊野那智大社あたりの山間部だけ雨がザーザー降りだったみたいっす('A`|||)

お目当てのお店にとうちゃこ。

ちょうどお昼どき。 

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和歌山といえば、和歌山ラーメンでしょ! v( ̄∇ ̄)v

和歌山ラーメン。 あたいの大好きな徳島ラーメンと同じ豚骨醤油ラーメン。 

和歌山と徳島は紀伊水道を隔ててお隣なので、きっとどちらかがルーツで、どちらかに伝わったんでしょうね。(^_-)-☆

和歌山市内では、時間的に食べることができなかったので、有名店 井出商店直伝をうたうこちらの「中華そば 速水」さんにやってきました。

おじゃましまんねやわ。
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メニューだす。
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井出商店さんには、20年ほど前に訪れたことがあります。 当時テーブルの上には「早なれ寿司(鯖すし)」が何個か置かれていましたが、こちら速水さんには 早なれ寿司はありませんでした。

 キタ━(゚∀゚)━!   キタ━(゚∀゚)━!   キタ━(゚∀゚)━! 
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お決まりの~~~

麺・リフト~~~・アップ

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いっただきま~~す

ズルルルル・・・

うまい・・・・けど・・

豚骨の臭みがけっこうあって・・・(´;ω;`)ウッ

ごちそうさまでした。


新宮から熊野川沿いに国道168号線を北上します。

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この道筋で来たかったのが、「瀞峡(どろきょう)ウォータージェット船乗り場」。

44年前のことです。京都からの紀伊半島/奈良ツーリングの3日目。

那智大社、青岸渡寺のあと、新宮市の「浮島の森」、熊野三山のひとつである「熊野速玉大社」に・・。

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そして今回の旅と同じルートで北上し、「瀞峡(どろきょう)ウォータージェット船乗り場」に。

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この時は3日目の宿のユースホステルのチェックイン時間もあったので、瀞峡ウォータージェット船の乗り場では、運行時間の確認をしただけ。

翌朝 瀞峡ウォータージェット船に乗って遊覧しました。v( ̄∇ ̄)v

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アルバムを引っ張りだして、これらの写真を見るまでは、ウォータージェット船に乗ったのかどうかも忘れていました。(^^;

それよりも、鮮明に覚えていた この地の出来事があります。

乗り場の駐車場にバイクをとめ明朝の運行時間を確認していた時です。

知らないおじさんが話しかけてこられました。

京都から4泊5日のツーリングで来ていることをお話しました。

おじさんは、60歳代ぐらいだったでしょうか。

うろ覚えですが、ふだんメグロのKだったかカワサキのWを乗っている、とおっしゃっていたように記憶しています。

そしてそのおじさんが「ちょっと待ってて」と言って、小走りに自販機の方に走っていき、「これ飲んで。 道中気をつけてね。」とオロナミンC2本を差し出してくれたんです。
瀞峡ウオータージェット船乗り場

ほんと、うれしかったです。('▽'*)ニパッ♪

旅っていいなあ!と心の底から思った出来事でした。

どこだったかなあ???

上図のとおり、広場で手前に切符売り場、奥側が駐車場だったような。


R168を北上していたら、道の駅が。

「道の駅 瀞峡街道・熊野川」。 道の駅なので当然44年前にはなかった施設。
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道の駅のお隣の施設↓

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施設の奥側が駐車場。 手前に切符売り場。

親切なおじさんに出会ったのは、ここだったのか!?

切符売り場と駐車場の位置関係はこんな感じだったけど、ずいぶん変わったような・・。

そりゃあ44年も経つと、自分の記憶もいい加減だし、施設も変わるもんなあ~。

シミジミと昔の出来事を懐かしみつつ出発

ここから5km弱進んだところに・・・

オオーw(*゚o゚*)w

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ここだああああああ!!  絶対ここ!!

44年前におじさんにオロナミンCをもらったところ!! .。゚+.(・∀・)゚+.゚

今は、「瀞峡めぐりの里 熊野川」って施設名称になっていました。

44年前、瀞峡ウオータージェット船に乗った際にもらった記念品の”しおり”に「熊野交通」さんの名前が。
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今は「熊野交通」さんが合併、持ち株会社化(ホールディングカンパニー)し、熊野観光開発(株)さんが事業継承しているようで、44年前の出来事は 間違いなくこちらの駐車場でした。(*゚▽゚*)


ここから河原に出られるのでのぞいてみましたよ。

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すばらしい景色です。

腰をおろし、あのおじさんの事を思い出しながら、しばらく川面をながめていました。

この景色を見れただけで、この旅にきた甲斐がありました。('▽'*)ニパッ♪


-旅はつづく-

2023年春・紀伊半島ツーリング VOL5「ずぶ濡れの熊野那智大社」

2023年春・紀伊半島ツーリングの続きです。

この旅、二日目(5/26金)。

梅雨の合間をぬっての今回の旅。  天気予報では、ずっと晴れor曇りだったのですが、初日の宿に着いてから夜の間 雨が降りました。

朝、雨もあがり良かったあ~~  (*´∀`*)❤

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R42号線を北上。 太地町あたりから自動車専用道路の「那智勝浦新宮道路」にのり、さらに北上していると・・

ザ~~~!! ザ~~~!! 

強い雨が降り出しました。(TДT)

途中バイクをとめるところもなく、那智勝浦ICを降りてすぐにコンビニ発見!

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雨はやみそうになく、軒下でカッパ、ブーツカバーを着込み、グローブは防寒テレコムに履き替え、先へ進みます。

この日最初の目的地にとうちゃこ。

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ここは、世界遺産にも登録されている熊野那智大社の大門坂駐車場。

今回の旅では熊野古道を少しでも歩いてみたかったので、こちらにバイクをとめ歩いて熊野那智大社/青岸渡寺を目指します。

那智山観光案内map02
カッパを脱ぎ、折畳傘ををさして出発

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てくてく・・
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てくてく・・
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ウゲッ(((( ;゚д゚)))  てくてく・・
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てくてく・・

ん!? (・∀・)
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【多富気王子跡  Tafuke-Oji remains】
熊野参詣道中辺路にある最後の王子社です。 おそらく樹叢や峠の神仏に「手向け」をした場所で、それがいつしか王子と呼ばれるようになったと思われます。ただし、王子の名は中世の記録には登場せず、江戸時代の地誌類にみられます。 『熊野道中記』には、「那智山坂ノ内壱町程上り、右ノ方」と記されています。また『紀南郷導記』では若一(にゃくいち)王子、『紀伊続風土記』 では児宮(ちこのみや)と呼んでいますが、『熊野巡覧記』には、若一王子と児宮の両方の名をあげています。 江戸時代には社殿がありましたが、明治十年に熊野夫須美(ふすみ)神社 (現、熊野那智大社)の境内に移され、跡地だけとなりました。

( *゚ェ゚))フムフム

さらに・・

てくてく・・
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団体さんに遭遇。 この横は「熊野古道バス停」でした。
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那智大社まで、まだまだあるのね・・('A`|||)
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ん? 石段に何か書いてますね。 なんなんだろ??
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まだまだ階段は続き・・
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ライディングシューズの中が・・

水が浸入してきてビショビショ (´;ω;`)

靴を確認してみると・・

靴底の一部が剥がれかかってまんがなノ( ̄0 ̄;)\オー!!ノー!!!!

まずいぞ~~~。  まあ最悪ガムテープぐるぐる巻きの刑ですね(゚∀゚)アヒャ

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おおお、着いたかあ??

ん?
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まだ登らんとあかんの? ('A`|||)

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【国指定歴史の道 「熊野古道大門坂」
県指定天然記念物 「那智山旧参道の杉並木」】

那智山は都より山川八〇里・往復一ヶ月の日数をかけ踏み分けた参詣道が「熊野道」である。 熊野九十九王子としても知られた往古の歴史を偲ぶ苔むした道でもあり、那智山の麓から熊野那智大社への旧参道です。

この石畳敷の石段は、二六七段・その距離約六〇〇メートル余、両側の杉並木は、一三二本で他に老楠が並び入口の老杉は「夫婦杉」と呼び、幹周り八・五 メートル余、樹高五五メートル余、樹齢約八〇〇年程と推定されている。

途中には熊野九十九王子最終の多富気王子跡がある。 この所に大門があったので「大門坂」とも呼ばれています。

和歌山県
那智勝浦町
熊野那智大社

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とぼとぼ・・
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ん??
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大門坂の石階段の字はかなり古いものでしたが、このあみだくじ状に削られた格子線は 比較的新しいもののようです。

宗教的なものでなく、いたずらのように見えます。

世界遺産にこんなことして問題にならないのか!?

やっと那智大社の近くまでやってきましたよ  ε-(´∀`*)ホッ

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雨に濡れたうえ、汗で体もビショビショ。 靴の中は雨が侵入して、これまたびしょびしょ。

拭き拭きしたタオルも、ビッショリ(;´Д`)

最後の階段・・。
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とうちゃこ!!

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【熊野那智大社 御由緒】
熊野という地名には諸説ありますが、紀伊続風土記には「熊野は隈にてコモル義にして」 とあり、「奥まった処」「隠れたる処」との意が、また「クマ」と「カミ」とは同じ意があ ると考えられ、「クマノ」とは 「カミの野」で神々が住まう地といえます。

往古、神武天皇御東征のみぎり、この地に上陸された神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)(神武天皇)が那智の大瀧を神として祀られたのが那智山信仰の始まりとされ、その後、命は熊野の神使である八咫烏の導きにより大和の地に赴かれ、橿原宮で初代天皇に即位されました。

当社は仁徳天皇五年(三一七年)、この那智山中腹に社殿が創建され、御瀧本より熊野の神々を遷座してお祀りしたと伝えられています。 御祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)と申し上げる我が国の最初の女神「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」を主神として十三所の神々をお祀りし、全国の熊野神社 四千余社の御本社である熊野三山 (本宮大社・速玉大社・那智大社) の一社であり、 「日本第一大霊験所 根本熊野三所権現」として崇められています。 主神の御名「夫須美」は「むすび」と同意であり、諸願成就の御神徳があり、かつては「結宮(むすびのみや)」とも称されました。

熊野信仰は、我が国に仏教が伝わると早くから神仏習合が進み、修験道の隆盛とも相俟って熊野権現として崇められ、平安中期頃より上皇(法皇)が詣でる熊野御幸は百余回に及び、やがて武将や庶民に至るまで大勢の人々が詣でるようになり、「蟻の熊野詣」と称されました。

那智山信仰の根元である那智の御瀧は、当社の別宮 「飛瀧神社(ひろうじんじゃ)」と申し上げ大己貴神(おおなむちのかみ)をお祀りしています。

【御祭神】
第一殿 瀧 宮 大己貴神(おおなむちのかみ)
第二殿 証誠殿 家都御子大神(けつみこのおおかみ)   (素盞嗚尊(すさのおのみこと) )
第三殿 中御前 御子速玉大神(みこはやたまのおおかみ)  (伊弉諾尊(いざなぎのみこと) )
主神 第四殿 西御前 熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ) (伊弉冉尊(いざなみのみこと))
第五殿 若宮 天照大神(あまてらすおおかみ)
第六殿 八社殿 天神地祇八神
御縣彦社 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)(八咫烏)

【例大祭】
七月十四日 例大祭 「那智の扇祭り」(那智の火祭り)は、平成二十七年に国の重要無形民俗文化財に指定されています。 また、同日に奉納される「那智の田楽」も国の重要無形民俗文化財 (昭和五十一年)であるとともに、ユネスコの無形文化遺産(平成二十四年)に登録されています。

【御本殿】
熊野権現造りと称し、正面に五棟・側面に一棟と御縣彦社・鈴門・瑞垣からなっており、現在の建物は豊臣の世に再興し、その後享保・嘉永の年間に大改修され、平成七年に国の重要文化財に指定されています。

【世界遺産登録】
御社殿及び境内域は、平成十六年(二〇〇四年) に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録され、この那智山社域一体は吉野熊野国立公園の特別域でもあります。

( *゚ェ゚))フムフム


チャリ~ン。←お賽銭
ペコペコ。 パンパン。 ペコリ。←二礼二拍手一礼

すぐお隣の青岸渡寺に移動。
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【西国霊場第一番札所 天台宗 那智山青岸渡寺】

補陀洛や岸うつ波は三熊野の那智の御山にひゞく滝津瀬(*)

当山は仁徳帝の頃(三一三‐三九九)印度より裸形上人が熊野の浦に漂着、現在の堂の地に庵を結んだのに始まると伝られている。 その後、推古帝(五九三一六二八)の時大和より生仏上人が耒山し、玉椿の大木をもって、現在の本尊(御大約四米)を彫り、裸形上人感得の観世音菩薩を胸仏として納め安置す。のち 推古帝の勅願寺となり、那智霊場の中心として熊野信仰を育くんできた。従って御本尊如意輪観世音菩薩の霊験を受けんとして、日夜礼拝修業する者その数を知らず、又天皇上皇の尊崇も深く、殊に平安時代人皇六十五代花山上皇が滝の上の山中に庵を造り、三ヶ年御修業の後、当山より西国三十三ヶ所観音礼場巡拝の旅に出られた。当時より長きに亘り巡拝の寺として親しまれている。当山は古くより那智山如意輪堂と称していたが明治の神仏分離によってその形態が変り以来青岸渡寺と称するようになた。(注:「なった」の誤り?)  現在の建物は天正十八年、豊臣秀吉公が、発願再建されたもので桃山時代様式の建物として南紀唯一の重要文化財である。


(*)滝津瀬・滝つ瀬【たきつせ】とは
滝。滝のような急流。

青岸渡寺から那智の滝が拝めます。

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青岸渡寺を参拝後、お寺の方に「那智の滝前バス停」までの道を聞き、下り坂をてくてく・・。

もう水浸しの靴の中は、悲惨なことになってます。(´;ω;`)ウゥゥ

三重の塔のところまで下りてきました。
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バス停と反対方向に那智の滝がありますが・・。

もうこれ以上雨の中をずぶ濡れになって歩く元気がありましぇん。('A`|||)


44年前はというと、熊野古道を歩こうなんて発想はまったく無く・・

バビューンと那智の滝までバイクできて・・
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山頂の熊野那智大社/青岸渡寺にバイクでバビュ~~ン ( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
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三重の塔、那智の滝をバックに青岸渡寺で撮った写真。

若い娘さんを連れた親子3人のお父さんにシャッターを押してもらいました。

カメラを返してもらいお礼を告げると、横からお母さんが・・

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お母さん:「あなた学生さんでしょ? 平日にバイクでこんなところまで来て学校は?」

あたい:「あはは。 学校は自主休校っす。」(・∀・)

お母さん:(ちょっと怪訝そうな顔で)「何年生なの?」

あたい:「2年生です。」(☆゚∀゚)

お母さん:「うちとこの娘と同じ歳じゃないの!? 学校を休んでバイク旅って!! 進学しないにしても・・」

あたい:「あの~~~。私 大学の2回生なんですけど・・(TДT)」

お母さん:「・・・モグモグモグ・・・」


童顔かつ当時髪型が角刈りだったので、高校生に間違われました。(T_T)

こんなことも旅の思い出。44年経った今でも覚えているんですもんね。(^^;



バス停はもうすぐ。

やっと着きました。

時刻表を見ると5分ほど前にバスが出たばかり。 雨の中 30分程バスを待ちました。 泣きたくなりましたよ(ノ◇≦。) ビェーン!!
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この後、外人観光客さんで満員のバスに乗り、バイクをとめている大門坂駐車場まで戻ってきました。

-続く-

2023年春・紀伊半島ツーリング VOL4「握り寿司が押し寿司に」

2023年春・紀伊半島ツーリングの続きです。

44年前の思い出の地「潮岬ユースホステル」跡をなんとか探し出し、大感激のあたい。(☆゚∀゚)

このあと立ち寄ったのが・・

↓ 44年前

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橋杭岩! 今はこうなってました。
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変わってないですね~~(・∀・)

今回のツーリング初日のお宿に着く前に・・

近くのスーパーに立ち寄り、今晩の夕食をゲッツ

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ビンボー・ツーリングばかりのあたい。  旅先のスーパーで、朝・夕食を見てまわるのがけっこう楽しかったりしまんねやわ。 (゚∀゚)アヒャ

1日目のお宿にとうちゃこ!
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宿泊費もお安かったのもありますが、なんてったってコレですよ、コレ!
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全国旅行支援制度の地域クーポン券!

2千円分 ゲットだぜ~~~(* ̄∇ ̄*)エヘヘ

お部屋だす。
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お部屋から見る景色。
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いま、南海大地震がきたら・・と、つい思ってしまって・・(TДT)コワイヨ~~

大浴場は、一番風呂っす! (・∀・)キモチイイ~~~
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スーパーで買った握り寿司。

無造作にリアボックスに詰め込んでいたら・・
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にぎり寿司が押し寿司になっていました・・・(´;ω;`)

この日(2023/5/25)の走行距離:約292km。
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この日(2023/5/25)の走行ルート
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2023年春・紀伊半島ツーリング VOL3「潮岬ユースホステルを探しに」

2023年春・紀伊半島ツーリングの続きです。

44年前(1979年)の旅では、千畳敷、三段壁のあと南紀白浜ワールドサファリ(現アドベンチャーワールド)に行ってますね~。

調べてみると、「1978年4月22日のオープン当初は「南紀白浜ワールドサファリ」という名称であった。」となっているので、開園して1年ぐらいだったんですね。

そういえば、当時(京都) テレビでよく南紀白浜ワールドサファリのCMをやっていたような記憶があります。

サファリバスに乗っていろんな動物を見学していましたよ。(・∀・)

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当時の入園料2500円な~~り。

その後、串本海中公園でお魚さんを見たあと、この日の宿「潮岬ユースホステル」へ。
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当時の若者は、安いユースホステルをよく利用していました。

当然 貧乏学生だったあたいも、この旅ではユースホステルを利用することに。

ユースホステルを利用するには、まずはユースホステルの会員になる必要がありました。

四条河原町近くの藤井大丸の中にユースホステル協会があり、そこで入会手続きをしました。

44年前の紀伊半島・奈良ツーリングの4泊は、すべてユースホステルを利用しました。

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2日目に泊まった潮岬ユースホステル。

ヘルパーの方がとても素敵な方で、ミーティングもこの日の宿泊者皆で楽しい一時をすごせました。

ヘルパーのUさん。大学卒業後、大企業に就職したものの肌があわず退職し、このYHのヘルパーになったとか・・。 この話を今でも覚えています。
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左からヘルパのUさん。河内長野からお越しの短大生のFさん、Hさん。東京のSさん。慶大GT380乗りのNさん。沖縄に帰省途中のホークⅡ乗りのIさん。

翌朝は「潮岬から日の出を見よう!」と早起きして、YHから歩いて目の前の潮岬に行きました。

あいにくの曇り空で、残念ながら日の出はみることはできませんでした。(^^;

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当時のYHの料金¥2050!  貧乏学生にはありがたいお値段でした。 
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当時は、宿泊者のミーティング有、飲酒ダメって規則。

今のあたいには、無理っすねえ。 相部屋も無理・・。 だったらキャンプ泊のほうがいいかな(^^;

44年前の3日目は、潮岬YHを出発してGT380乗りのNさんと潮岬灯台まで足をのばしていました。
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さて、44年後!

今回のツーリングで一番訪れたかったのが、この潮岬ユースホステル!

すでになくなっていたのは、ネットで調べてわかっていたのですが、今はどんな姿になっているのか?

ググってみても情報は無し。

とにかく潮岬に行ってみました。

白浜から国道42号線を南下し、和歌山県道41号潮岬周遊線に。
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潮岬灯台が見えてきましたが、今回はパス
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そのまま潮岬へ。
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潮岬のタワーの前にひろがる草原&海岸線。
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↑そうそう。この景色!

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【吉野熊野国立公園】
吉野熊野国立公園は、三重県,奈良県,和歌山県の三県にまたがり、紀伊半島の中央山岳地帯と、山間を延々と蛇行して流れる熊野川、及び半島南部の海岸から構成されています。 尾鷲から千里の浜までの海岸線や熊野川沿岸の数多くの断崖、そして波の浸食でできた平らな海底が隆起した地形がみられる千畳敷などの変化に富んだ景色がある一方、ウミガメの産卵地ともなっている王子ヶ浜などといった直線的な海岸も見られます。
また熊野本宮大社、 熊野那智大社、熊野速玉大社の3つの霊場とそこへ至る参詣道(熊野古道)が文化的景観として評価され、世界文化遺産に登録されています。


↑潮岬に設置されていながら、潮岬の事が触れられてないがな~~~(^^;


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先端からタワーの方に戻ります。
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草原&先端には、潮岬YHからまっすぐ歩いていった記憶があるんですが、周辺を見まわしても観光タワーのまわりは民家がちらほら。

YHが取り壊され、民家が建ってしまったのかなあ?

せめてどこにあったかだけは知りたかったので、観光タワーのお隣の売店に入り・・

「すいません。もうずいぶん昔の話なんですが、この近くに潮岬ユースホステルってありませんでした?」

すると・・

「ああ、今はその場所はカラオケ喫茶になっていますが、この横(タワーと売店棟の間)を通っていったところにありましたよ。」

おおお! .。゚+.(・∀・)゚+.゚ ヤッタ~~!!

数十メートル先に!!
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「潮岬YH」のペイントが!!

もう一度44年前の写真を並べてみます。
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発見した時は、涙がちょちょぎれましたよ~~~(*´Д`*)

何故か自分でもわかりませんが、今回の旅で一番来たかったところ!

今回のツーリングは、青春の思い出を辿る旅だったんでしょうね。

皆さんも、若い頃に訪れた思い出の場所を訪れてみたい衝動にかられたことはありませんか?


-旅は続きます-

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