セローちゃんをゴソゴソして、走れる状態になったので・・・
9ケ月ぶりにセロ子ちゃんでお出かけしてきましょうかねえ。(・◇・)ゞ
この日は、3月14日。
いつもの峠越えルート。
うどん県からスダチ県に
道端の気温計は、13℃を表示していました。
吉野川沿いに走る国道192号線を西進し、石井町から徳島県道20号線(石井神山線)を北上。
鮎喰川沿の道はいい感じ。(・∀・)
川の名前からすると、たくさん鮎がとれるんでしょうかねえ。
知らんけど。 (゚∀゚)アヒャ
この日の最初の目的地に向かうため、細い山道?の徳島県道207号鬼籠野国府線(おろのこくふせん)に進みます。
着いたああああああ。
シ~~~ン・・・・
誰もいません・・・


ゆうかの里。
バイク仲間からの情報では、徳島県屈指のしだれ桜の名所。
見頃が例年3月下旬なので、3月中旬のこの日 少しは桜が咲いてるかなあ?とわずかな期待を抱いて向かったのですが甘かったです。


今日(3月20日)になって急に温かくなってきましたが、それまでは例年より寒さが長かったですもんね。(^^;
1車線の山道をセロ子ちゃんでトコトコ

セロ子ちゃんを道端にとめ、コーヒータイムっす。
林の中から「ホ~ホケキョ」! 今年はじめてウグイスのさえずりを聞きました。(´∀`*)
春はもうすぐですね
さらにトコトコ
おおお、山桜だああ (*´Д`*)
桜を越えたところの道端に・・
Σ(・ω・ノ)ノ ヒ~~~
人里離れた山奥のこんなところに、人がああああ(; ̄Д ̄)
と思ったら・・・
不法投棄を監視するお人形さんでした。(^^;
ご苦労様っす! (・◇・)ゞ
山道を越え・・
お次に向かったのは・・
徳島市国府町にある阿波史跡公園。
それでは散策開始
あたい達のご先祖様の住居ですね~(・∀・)
おじゃましまんねやわ。 中はこんな感じ↓
( *゚ェ゚))フムフム
広い芝生をさらに奥にすすみます。
竪穴式住居や高床式住居(高床倉庫)。 学校の授業で習ったのは、中学校ぐらいでしたっけ?
あたいの記憶では、学校では「縄文時代に竪穴式住居で、弥生時代になり高床式住居に変わっていった」と習ったような気がするんですが、他の場所の古墳の説明書きでも、竪穴式住居は古墳時代まで残っていたんですよね。
あたいのアンポンタンなおつむの記憶が間違っていたのか、昔の教科書が今とは違ったことを書いていたのか? どっちでしょ?? (^^;
さてと・・
この広々とした立派な公園の近くには、まだ見所がありそうですよ。(☆゚∀゚)
よっしゃあ~~~、次に行ってみまひょ v( ̄∇ ̄)v
-続く-
9ケ月ぶりにセロ子ちゃんでお出かけしてきましょうかねえ。(・◇・)ゞ
この日は、3月14日。
いつもの峠越えルート。
うどん県からスダチ県に

道端の気温計は、13℃を表示していました。
吉野川沿いに走る国道192号線を西進し、石井町から徳島県道20号線(石井神山線)を北上。
鮎喰川沿の道はいい感じ。(・∀・)
川の名前からすると、たくさん鮎がとれるんでしょうかねえ。
知らんけど。 (゚∀゚)アヒャ
この日の最初の目的地に向かうため、細い山道?の徳島県道207号鬼籠野国府線(おろのこくふせん)に進みます。
着いたああああああ。
シ~~~ン・・・・
誰もいません・・・



ゆうかの里。
バイク仲間からの情報では、徳島県屈指のしだれ桜の名所。
見頃が例年3月下旬なので、3月中旬のこの日 少しは桜が咲いてるかなあ?とわずかな期待を抱いて向かったのですが甘かったです。



今日(3月20日)になって急に温かくなってきましたが、それまでは例年より寒さが長かったですもんね。(^^;
1車線の山道をセロ子ちゃんでトコトコ


セロ子ちゃんを道端にとめ、コーヒータイムっす。
林の中から「ホ~ホケキョ」! 今年はじめてウグイスのさえずりを聞きました。(´∀`*)
春はもうすぐですね

さらにトコトコ

おおお、山桜だああ (*´Д`*)
桜を越えたところの道端に・・
Σ(・ω・ノ)ノ ヒ~~~
人里離れた山奥のこんなところに、人がああああ(; ̄Д ̄)
と思ったら・・・
不法投棄を監視するお人形さんでした。(^^;
ご苦労様っす! (・◇・)ゞ
山道を越え・・
お次に向かったのは・・
徳島市国府町にある阿波史跡公園。
それでは散策開始

あたい達のご先祖様の住居ですね~(・∀・)
おじゃましまんねやわ。 中はこんな感じ↓
【竪穴住居】
竪穴住居は、地面掘り下げて床と壁をつくり、掘立柱を立て、屋根を地面近くまで葺き下ろした半地下式構造で、防寒・保温性にすぐれ、縄文・弥生・古墳時代を通じて最も一般的に造られた家屋です。
住居の平面形には円形・隅丸方形・方形などがあり、時代や地域によって異なりますが、西日本では弥生時代に正円形のものが流行し、弥生時代の終わり頃から古墳時代にかけては、隅丸方形や方形のものが多く造られるようになりました。
この復元竪穴住居は、中央に炉を設けた隅丸方形(長方形)で、壁ぎわに沿って寝台がわりにしたとも言われる一段高いベット状遺構を有するものです。主柱は4本、建築材は樫(かし)、桜などの落葉広葉樹木丸太を使用し、屋根は葦(よし)で葺(ふ)いています。
( *゚ェ゚))フムフム
広い芝生をさらに奥にすすみます。
【高床倉庫 (たかゆかそうこ) 】
建物の床を地上より1~2m高く張った高床建築で、弥生時代に稲作とともに伝わり、収穫した稲などの穀物を貯蔵する施設として、数軒の竪穴住居と一緒に集落の中に建てられていました。
各柱の床下付近に取り付けられた方形 (円形) の板は 「鼠返し」と呼ばれ、倉庫の中の穀物を鼠や害虫から防ぐための工夫で、当時の人々の知恵がうかがえます。
弥生時代の典型的な高床倉庫としては、 実際に出土した建築材に基づいて復元された静岡県登呂遺跡のものが有名ですが、 銅鐸や弥生土器に線刻で描かれた高床建物の例からも、その外観的な構造をおおむね知ることができます。
この復元高床倉庫は、長さ約6.5m×幅約5m、 床高約2.3m、 棟高約8mの切妻(きりづま)づくりで建築材は杉で、床や壁などは杉板張り、妻部(つまぶ)の破風(はふ)や棟は杉皮張り、屋根は葦(よし)で葺(ふ)いています。
竪穴式住居や高床式住居(高床倉庫)。 学校の授業で習ったのは、中学校ぐらいでしたっけ?
あたいの記憶では、学校では「縄文時代に竪穴式住居で、弥生時代になり高床式住居に変わっていった」と習ったような気がするんですが、他の場所の古墳の説明書きでも、竪穴式住居は古墳時代まで残っていたんですよね。
あたいのアンポンタンなおつむの記憶が間違っていたのか、昔の教科書が今とは違ったことを書いていたのか? どっちでしょ?? (^^;
さてと・・
この広々とした立派な公園の近くには、まだ見所がありそうですよ。(☆゚∀゚)
よっしゃあ~~~、次に行ってみまひょ v( ̄∇ ̄)v
-続く-