前回記事(メタボ解消ツーリング)の続きだすよ~~~v( ̄∇ ̄)v

屋島北嶺の登山道をおりてきました。

次に向かったのは・・・

長崎の鼻

上の画像は、北嶺山頂の展望台「遊鶴亭」から見た風景。

矢印のところが、屋島北端の「長崎の鼻」!!

ちびカブちゃんでバビュ~~ン

とうちゃこ (・∀・)

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ここには江戸末期の砲台跡がありまんねやわ。

「嘉永6年(1853年)のペリー以来、外国船の監視と防備の必要性が高まり、讃岐国でも、幕末の文久3年(1863年)、幕府の命を受けて11代高松藩主(最後の藩主)・松平頼聰(まつだいらよりとし=将軍・徳川慶喜とは従兄弟)が瀬戸内と高松湊の防備のため、長崎の鼻に砲台を築いています。
藤川三渓の設計で、海に向かって3段の構えで、上段は、守備兵の屯所、中、下段には大砲が備えられていました。」

階段を下りて、岬の先端と砂浜を歩いてみようと思ったら・・・

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人が群がってまんがな (; ̄Д ̄)

密、密、密!!

GW中に出歩くもんじゃあなかったΣヾ( ̄0 ̄;ノ  ハンセイ・・

階段をおりることなく、そっこうでこの場をあとにしやした。


ちびカブちゃんであてもなくブラブラ。

半島沿いの県道から、いくつかの脇道から海岸線に下りれるルートを探します。

小型バイクあたりの車幅までしか通れない脇道発見。

そこは・・ w(゚o゚)w オオー!

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めっちゃ、ええやん!!

誰もいない浜!!  ここは穴場やわ!!  

また来ようっと(゚∀゚)アヒャ


その後、こんなところで腰をおろしたり・・

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さらに移動した先の堤防/砂浜では・・

堤防は釣り人だらけ・・

隣接する砂浜ではびっくりするぐらいたくさんのグループがBBQ ・・

あっちを見ても密、こっちを見ても密!!  

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案の定、県内で 大人数でのBBQをおこなったグループにクラスター発生。

コロナ感染者が抑えられていた香川県も 今やまん延防止措置要請中。

こんな危機感のない人達がいっぱいいれば、そうなっちゃうわなあ('A`|||)


これまたそっこうでこの場を離れましたよ(TДT)

このあと、あてもなく うろちょろ。

初めて走る田舎道。

ん??

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「三つ子石池の西方の池畔に巨大な岩が、居すわっている。伝えによれ ば、まま子いじめをする悪い母親がいた、この母親は信仰心はまったく なかった。ある日、幼児に「この岩を背負って歩け」と命じた。幼児は しかたなく、大きな岩に縄をかけて背負うと、不思議なことに、この大 きな岩が軽々と背負えて、まま母のいうとおりに現在この岩があるとこ ろまで運んでこられた。母親は恐れをなして、これは、ひとえに熊野権 現の加護であると改心して、ひたすら信仰をするようになったという。 それ以後、この岩を「三つ子石」と呼ぶようになった。今も子どもが背 負った時についた縄の跡が残っているという。また一説には、熊野清光 という豪力の武士が、熊野権現の霊夢によって、この岩を運んだという 伝えもある。」

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あたいがこの大岩を背負ったら、岩に押しつぶされてペチャンコになってしまいまんがな ( ̄▽ ̄;)


ちゅうことで・・

before
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after
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この日の走行距離 86km。

燃費56.3km/L。 

クロスカブ子ちゃんより燃費が悪いのね Σ(・ω・ノ)ノ

小さなエンジンに無理させとんやね(^^;


県内でのコロナ病床使用率が高まり、入院できない人が大勢発生している状況で、いまだに危機感のない人がたくさんいるのを見るにつけ閉口してしまいます。

あああ、早くワクチン打てるようになんないかなあ・・・('д` ;)