前回記事の続きです。
妻籠宿から国道256号線を通り西進。
長野県から岐阜県に
あっ! お蕎麦屋さん発見! 11時。 ちょっと早いけど、お昼にしましょ(*´Д`*)
「そば茶屋 付知店」さん・・ 岐阜県中津川市付知町。
中津川・・


中津川といえば「中津川フォークジャンボリー」の場所ですよね。 古すぎてわからない!?(゚∀゚)アヒャ
先ほどまでは、松本ナンバーの車ばかりでしたが、このあたりになると車は岐阜ナンバーですね。(・∀・)
天丼セット(天丼+ざる蕎麦)注文。
キタ━(゚∀゚)━! キタ━(゚∀゚)━!
て、天丼?? 天かすの天丼なの?? (/TДT)/


すてきな景色が続く快走路・・
「道の駅 茶の里東白川」でトイレ休憩。
売店で・・。
飛騨名産 赤かぶら!! なにかわかんないけど、お土産にゲット!!('▽'*)ニパッ♪
岐阜県道62号~国道41号=白川街道を西にすすみます。
まもなく飛水峡に・・
飛騨川を渡る勝橋から見る飛水峡。
国道から勝橋を渡り川向うのJR高山本線沿いの細道を数百メートル トコトコ

飛水峡駐車場のはずですが、誰もいません・・・(^^;
どこを降りていったらいいの??
も、もしかして、この急な階段を!? 画像で見る以上に急角度です。Σ(´д`;)
しかも、階段を降りてからも、道らしい道はなく とてもキ・ケ・ン・・(; ̄Д ̄)
あきらめました。 勝橋からの風景で”良し”としまひょ
引き返そうとした時、ちょうど小路横スレスレに電車がε=ε=(;´Д`)
ここはデンジャラスゾーンですね。(; ̄Д ̄)
このあとはいくつかの市街地を走抜け・・・
いっきに岐阜市内へ

岐阜公園駐輪所にVストちゃんをとめ・・
岐阜公園内をてくてく
金華山ロープウェイ乗り場。
ロープウェイにのりましょ(*゚∀゚)っ
バビュ~~ン

とうちゃこ。
でも、ここから階段+坂道を歩かんとあかんのよね~~('A`|||)
目指すは岐阜城。
岐阜城の歴代城主の説明書き。
なんと12人(代)も城主が変わっていたんですね。
そのうち あたいが知っていたのは、3代城主の斎藤道三と、6 代城主の織田信長だけですね~~(^^;
<6 織田信長>
歩きます。
ひたすら歩きます。
今回の春ツーリング、歩いてばかりで かなり痩せました(やつれました)。(゚∀゚)アヒャ
やっと、天守閣が見えてきましたよ。
・・・ちゅうことです。
んじゃあ、いざ 入城~~!! v( ̄∇ ̄)v
天守閣の中のモニター映像でお勉強。
こ、これが織田信長時代の岐阜城!? スゲ~~~!!Σ(・ω・ノ)ノ
今の再現された天守閣も立派ですが、はるかにスケールの大きいお城だったようです。
その他の展示物。
木造のレプリカの織田信長像。
よく出てくる↓ のお顔とは違うような・・(^^;

天守閣からは長良川が!!
長良川といえば思い出があります。
1988年のぎふ未来博開催の時期にこの地を訪れました。
夜は長良川で鵜飼を見ながら屋形船で飲食しながら川下り。 ちょうど未来博で同時開催していた”ミス・インターナショナル” 出場者さんご一行をのせた屋形船が、川下りの屋形船に手を振り振りサービス。
屋形船にのったおっちゃん連中は、あたいも含めてみなさん鼻の下を伸ばしていましたよ。(゚∀゚)アヒャ
ホント、キレイダッタナア~~
さて、ロープェイを降りましょうかねぇ。
この日の宿に向かいます。
駅前の繁華街をとおり・・
スーパーに立ち寄り・・
とうちゃこ~~(・∀・)つ
岐阜駅すぐ裏の1泊3980円のビジホ。 ボンビーなあたいには、安くてありがたいです。
狭いながらもユニットバス/トイレ付。
お風呂につかり・・
スーパーで買ってきたお弁当で、カンパ~~イヾ(´ω`=´ω`)ノ
赤ワインを飲み過ぎました・・('A`|||)
この日もPM8時過ぎには就寝・・。
<この日の走行ルート>
<この日の走行距離:179.8km>
<この日の会計>
-8日目に続く-
妻籠宿から国道256号線を通り西進。
長野県から岐阜県に

あっ! お蕎麦屋さん発見! 11時。 ちょっと早いけど、お昼にしましょ(*´Д`*)
「そば茶屋 付知店」さん・・ 岐阜県中津川市付知町。
中津川・・



中津川といえば「中津川フォークジャンボリー」の場所ですよね。 古すぎてわからない!?(゚∀゚)アヒャ
先ほどまでは、松本ナンバーの車ばかりでしたが、このあたりになると車は岐阜ナンバーですね。(・∀・)
天丼セット(天丼+ざる蕎麦)注文。
キタ━(゚∀゚)━! キタ━(゚∀゚)━!
て、天丼?? 天かすの天丼なの?? (/TДT)/



すてきな景色が続く快走路・・
「道の駅 茶の里東白川」でトイレ休憩。
売店で・・。
飛騨名産 赤かぶら!! なにかわかんないけど、お土産にゲット!!('▽'*)ニパッ♪
岐阜県道62号~国道41号=白川街道を西にすすみます。
まもなく飛水峡に・・
飛騨川を渡る勝橋から見る飛水峡。
国道から勝橋を渡り川向うのJR高山本線沿いの細道を数百メートル トコトコ


飛水峡駐車場のはずですが、誰もいません・・・(^^;
どこを降りていったらいいの??
も、もしかして、この急な階段を!? 画像で見る以上に急角度です。Σ(´д`;)
しかも、階段を降りてからも、道らしい道はなく とてもキ・ケ・ン・・(; ̄Д ̄)
あきらめました。 勝橋からの風景で”良し”としまひょ

引き返そうとした時、ちょうど小路横スレスレに電車がε=ε=(;´Д`)
ここはデンジャラスゾーンですね。(; ̄Д ̄)
このあとはいくつかの市街地を走抜け・・・
いっきに岐阜市内へ


岐阜公園駐輪所にVストちゃんをとめ・・
岐阜公園内をてくてく

金華山ロープウェイ乗り場。
ロープウェイにのりましょ(*゚∀゚)っ
バビュ~~ン


とうちゃこ。
でも、ここから階段+坂道を歩かんとあかんのよね~~('A`|||)
目指すは岐阜城。
岐阜城の歴代城主の説明書き。
なんと12人(代)も城主が変わっていたんですね。
そのうち あたいが知っていたのは、3代城主の斎藤道三と、6 代城主の織田信長だけですね~~(^^;
<3 斎藤道三>
【生没年】 生年不詳~弘治2年(1556年)
【城主期間】 天文8年(1539年)~天文23年(1554年)
長井新左衛門尉(ながい しんざえもんのじょうの子)。 長井規秀と名乗り父の跡を継いだ後、長井氏の惣領となった。さらに守護代・斎藤氏の名を継いで、「斎藤利政」と名乗った。
利政は、稲葉山城と井口 (現:岐阜) の城下町を整備し力を蓄えていた。 遂には、主君である守護・土岐氏を追放して、本格的に美濃の実権を握り、井口は美濃の中心となった。 尾張の織田信秀とも戦うが、後に和睦して娘を信秀の息子・信長に嫁がせる。 晩年、出家して「道三」と名乗る。
天文23年 (1554年)、 家督を息子の義龍に譲って隠居したが、 2年後の弘治2年(1556年) に、義龍と長良川で戦い、討たれてしまう。
道三が油売りの行商から美濃国へ来て、国盗りに成功した物語はあまりにも有名だが、これは父・長井新左衛門尉と親子2代で成し遂げたものであることが明らかになっている。
<6 織田信長>
【生没年】 天文3年(1534年) ~天正10年(1582年)
【城主期間】 永禄10年(1567年)~天正4年(1576年)
尾張の戦国武将・ 織田信秀の嫡男。 信長の家系は尾張の守護代・織田氏の分家であったが、信長は弟・信勝を殺して家督争いに勝利し、尾張の他の織田家を滅ぼし、遂には守護・斯波(しば)氏も追放して、尾張を統一した。また、永禄3年(1560年) には桶狭間の戦いで今川義元を撃破した。
永禄4年(1561年)に稲葉山城主・ 斎藤義龍が死亡し、跡を子の龍興(たつおき)が継ぐと、信長は美濃への侵攻を強め、永禄10年(1567年)、 遂に稲葉山城を奪取し本拠を小牧から移した。 信長は、城に大規模な改修を加え 「岐阜城」と改めた。 また、城下町も「岐阜」と改めて整備した。
以後、天正4年 (1576年) に安土に移るまでの約10年間、岐阜を天下統一の拠点として勢力を拡大していった。
歩きます。
ひたすら歩きます。
今回の春ツーリング、歩いてばかりで かなり痩せました(やつれました)。(゚∀゚)アヒャ
やっと、天守閣が見えてきましたよ。
【岐阜城の由来】
鎌倉時代の建仁元年(一二〇一)、幕府の執事 二階堂山城守行政が軍事目的のためにここに初めて 砦を築いたと伝えられているが、稲葉山城として日本史に大きく登場してくるのは斎藤道三以後のことです。
斎藤道三は天文八年(一五三九)二月に稲葉山城修築して入城し、続いて子の義龍、孫の龍興が城主となりました。
永禄十年(一五六七) 織田信長は斎藤龍興と戦って稲葉山城を落し、九月新城主として入城しました。 信長は稲葉山城を岐阜城と改め、楽市場を保護し、「天下布武」の朱印を用いるなど天下統一の本拠地としました。永禄十二年に宣教師ルイス・フロイスが岐阜城を訪れ、その壮麗さに驚いたことを書簡に記して本国ポルトガルへ送り、西洋にまで岐阜城のことが知られるようになりました。
その後、織田信忠・神戶信孝・池田元助・池田輝政・ 豊臣秀勝が岐阜城主となりましたが、慶長五年 (一六〇〇)八月二十三日岐阜城主織田秀信は西軍の豊臣方に味方して東軍の徳川方と戦い、福島正則・ 池田輝政に攻められて開城しました。慶長六年、岐阜城は廃城となり天守閣・櫓などは取り壊されて加納城に移築され、江戸時代には金華山頂に天守閣が建てられることはありませんでした。
明治四十三年(一九一〇) 木造の模擬城が建てられましたが、昭和十八年(一九四三) 焼失しました。その後、観光岐阜のシンボルとして、また安土桃山時代の華麗な城郭を再現したいという岐阜市民の熱意と浄財により昭和三十一年に現在の三層四階の天守閣を再建しました。
平成九年(一九九七) 大改修工事を行い、織田信長の頃の壮麗な天守閣の姿を再現しました。
平成十三年三月 岐阜市
・・・ちゅうことです。
んじゃあ、いざ 入城~~!! v( ̄∇ ̄)v
天守閣の中のモニター映像でお勉強。
こ、これが織田信長時代の岐阜城!? スゲ~~~!!Σ(・ω・ノ)ノ
今の再現された天守閣も立派ですが、はるかにスケールの大きいお城だったようです。
その他の展示物。
木造のレプリカの織田信長像。
よく出てくる↓ のお顔とは違うような・・(^^;

天守閣からは長良川が!!
長良川といえば思い出があります。
1988年のぎふ未来博開催の時期にこの地を訪れました。
夜は長良川で鵜飼を見ながら屋形船で飲食しながら川下り。 ちょうど未来博で同時開催していた”ミス・インターナショナル” 出場者さんご一行をのせた屋形船が、川下りの屋形船に手を振り振りサービス。
屋形船にのったおっちゃん連中は、あたいも含めてみなさん鼻の下を伸ばしていましたよ。(゚∀゚)アヒャ
ホント、キレイダッタナア~~

さて、ロープェイを降りましょうかねぇ。
この日の宿に向かいます。
駅前の繁華街をとおり・・
スーパーに立ち寄り・・
とうちゃこ~~(・∀・)つ
岐阜駅すぐ裏の1泊3980円のビジホ。 ボンビーなあたいには、安くてありがたいです。
狭いながらもユニットバス/トイレ付。
お風呂につかり・・
スーパーで買ってきたお弁当で、カンパ~~イヾ(´ω`=´ω`)ノ
赤ワインを飲み過ぎました・・('A`|||)
この日もPM8時過ぎには就寝・・。
<この日の走行ルート>
<この日の走行距離:179.8km>
<この日の会計>
-8日目に続く-
織田信長のゆかりの地なんですね
もしかしたら日本の中枢になってたかもしれませんね
michiru_photo
が
しました