前日記事の続きです。
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やってきたのは・・
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「瀬戸内海歴史民俗資料館」。

入館無料です。ヾ(´ω`=´ω`)ノ

おじゃましまんねやわ

入口にデ~~ン。

<イワシ地曳網船>
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<ドーマル>
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↓は網を作る道具。 漁港で漁師さん達が網をメンテしている姿が思い出されます。
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底引き網にひっかかったナウマンゾウのツノも展示されていましたよ。Σ(・ω・ノ)ノ
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<瀬戸内海の成立以前>
今から1万年ほど前、氷期が終わり、次第に気候が温暖化して海水面が上昇し、約 6,000年前になると、 現在のような瀬戸内海が成立しました。 瀬戸内海の平均的な海底の深さは、約38mです。

それまでは草原が広がり、湖や二つの大 きな川が東西に流れていたといわれています。 草原にはナウマンゾウやオオツノジカなどの大型動物もすみ、それを追って旧石器時代の人々がくらし、狩猟採集などをしていました。島に旧石器時代の遺跡が見つかったり、漁師の底引き網にナウマンゾウなどの骨がひっかかるのはそのためです。
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興味深い内容でした(・∀・)

展示室に入ります。


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実際に瀬戸内で使われた船etcが展示されていました。

<渡船(わたしぶね)>

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<カイデンマ>
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カイデンマ。はじめて聞きました。祭礼時に使われたものなので、その地方だけの船かもしれませんね。


<伝馬船(てんません)>
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小さい頃、この手の小舟はなんでもかんでも”てんません”と言っていました。(・∀・)シランケド


<ダンベ>
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お子ちゃま用の舟かと思いましたよ。(゚∀゚)アヒャ


<テグリ網船>
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<カンコブネ>
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おおお、この船で鳴門の渦潮を渡っていたんでしょうかねえ。


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瀬戸内海でクジラをとる
日本海でクジラをとる

明治21年(1888)、 今の三豊市詫間町大浜に讃岐捕鯨会社が設立されました。 瀬戸内海に回遊してくるナガスクジラや コククジラをとるため、西海捕鯨の基地佐賀県呼子からモリなどを仕入れてい ますが、 明治24年までの記録しかなく、すぐに廃業に追い込まれたようです。また、庵治から朝鮮半島の釜山に行き、そこを拠点に日本海でクジラを捕った讃州捕鯨も明治29年頃から34年頃まで活躍しました。 捕鯨の町、 和歌山県太地の漁民や道具が使われました。
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香川と捕鯨
▶讃岐捕鯨会社
三豊市詫間町大浜に、明治21年に設立された捕鯨会社で、瀬戸内海の鯨を捕獲していた。 明治23年12月~24年3 月 (実働 15日) の記録によると、山口から岡山付近の海域で活動していた。

▶讃州捕鯨
高松市庵治町の事業家が明治半ばに興し、朝鮮半島の釜山に拠点を置き、その沿岸の鯨を捕獲していた。 従事者には香川県の男木島、 庵治の漁民のほかに、和歌山県太地の漁民も従事していた。
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なんと、この香川に捕鯨会社が存在した時期があったとは!! 驚きです。

ひとつお利口になりましたよ。('▽'*)ニパッ♪



↓いろんな漁具。
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<イタダキさん>

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最近はあまり見かけませんが、高松市内の海に近い北部には、このような自転車で魚の行商をする”イタダキ”さんの姿が普通に見れていましたよ。(・∀・)


<海士・海女/アイゴホミ>

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海士・海女
瀬戸内海域には、素潜り漁をするいわゆる海士・海女は、 愛媛県佐田岬半 島の突端の三崎に知られる程度です。 有名なのは徳島県美波町阿部の海女がいますが、瀬戸内海からははずれています。 香川県には中世から、 志度の玉取伝説など、海女の活躍する説話が知られていますが、確認されていません。 しかし、三豊市詫間町比地木にはアイゴホミと呼ばれる潜水漁法が昭和20年頃 まであったといい、 石積みをしてアイゴをおびきよせ、手づかみする漁法です。
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アイゴホミ
詫間町比地木は、戸数75 人口約300. 明治時代には、サワラ、サバを追って朝鮮方面まで出漁していた古い漁村である。 ここには、古代海女の技法のおもかげをしのばせるような、 原始漁法のアイゴホミが、昭和23年ごろまで行われていた。夏季、海底に石の巣をつくり、その石の間にかくれたアイゴを、裸でもぐり 指の間に魚をはさんでとるツカミドリである。
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アイゴホミで紹介されている詫間町比地木。

スキューバダイビングのダイブマスター取得時に、自主錬でよく使っていた海です。

もう20年以上前のお話ですが、アイゴは見かける事はありませんでした。(^^;


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↑の画像。 潜水ヘルメットの前に置かれたおもり?

ドラクエの”はぐれメタル”みたい。(´゚艸゚)∴ブッ   ドラクエした事ないけど・・(^^;



長くなったので、今日はこのへんで・・。

-続く-