前回記事の続きです。

四国地方最大規模の「富田茶臼山古墳」をあとにして、お昼ごはんを食べれるベンチを探しましょ

近くの公園・・??

あった

「みろく公園」。

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40年弱ぶりに訪れました。(^^;

以前来たのは、桜が咲く夜。 せまい道に提灯がならんでいた記憶しかありません。

その頃からはまったく変わっていて、きれいに整備された公園になっていました。

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金ちゃんカップ焼きそばとノンアルビールをいただきましたよ。 v( ̄∇ ̄)v

園内を散策しましょ。

丘の頂上風景。↓↓↓
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そして、今は使われていない遊具。 ジェットコースターなのかなあ?? しらんけど。
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丘の中腹には、銅像がたっていました。 どうぞ(う) (・∀・)
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【治水の功労者 軒原庄蔵】
富田中村の庄屋軒原庄蔵は、水不足に困る弥勒池の貯水増のため、三ッ石山の岩磐を掘りぬき、砕石谷からの導水に成功し多くの農民を救った。

隧道工事は、田面村の工事監督 多田信蔵(霞岳)、富田中村の数学者萩原栄次郎等の協力を得て、安政2年(1855年) から安政 4年にかけて、長さ105間 (191m)の石穴を貫通させる難工事であった。

この画期的な工事を完成させた功績により、高松藩から郷待格(*注1)にとりあげられた。

後、明治2年(1869年) 満濃池のゆる石穴工事を命じられ、明治3年30間余 (約56m) の石穴を完成させ、讃岐の治水に貢献した。 このため、満濃池の恩人とあがめられ、満濃池畔の松崎神社に合祀されている。

明治23年63歳でふる里に没した。

大川町歴史民俗資料館の落成を記念し、その遺徳を顕彰してこれを建立する。
平成2年3月吉日  大川町

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(*注1)
説明書きに書かれた「郷待(格)」という言葉。

聞いたこともないし、調べてみましたが、一般的な歴史用語・身分制度用語としてほとんど確認できませんでした。

文面的には「郷士(格)」と捉えるのが妥当だと思います。

もしかして説明書きの間違い・・。 誤字だったら大川町さん、恥ずかしいですよ・・(^^;


広い公園周辺をちょっとブラブラ。

牡丹の絨毯ロード
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桜吹雪とクロスカブ子ちゃん
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ソメイヨシノ。 いいですね~~~~、癒されますね~~~~('▽'*)ニパッ♪