大石神社、赤穂城をあとにして、ここから南に2.5kmほど海側にすすみました。
着いたあ~。v( ̄∇ ̄)v
(*注1)
(*注2)
「大穴牟遅神(おおなむちのかみ)の比売神ともいわれ」も調べました。
駐車場から海側(赤穂御崎)が望めます。
駐車場東側に坂道が繋がっています。
降りていってみます。
てく・てく。
振り返るとこんな感じの坂。
「きらきら坂」と名付けられていました。


海岸側の遊歩道に続きます。
グーグルマップには「恋人の聖地 赤穂御崎」とありました。
全国各地にある恋人(達)の聖地。 ”言った者勝ち”やね~~~。(^^;
あたいの生まれ故郷の小さい頃の遊び場も、今や恋人達の聖地「エンジェルロード」って有名になってるし・・。
エンジェルロードも町興しでつけられた名前で、恋人の聖地ってのも勝手な作り話。
なんだかなあ・・・。
遊歩道には、カニさんも歩いてましたよ。
神社の駐車場に戻ってきました。
時間がおしていたので、”赤穂”から”たつの”に向かいます。
途中、兵庫県相生市にある「道の駅 あいおい白龍城」に立ち寄りました。
外観から期待していたのですが・・
物産売り場とかも小規模で魅かれるものもなく・・
相生湾をながめながら缶コーヒーで一休憩。
ここから東進し、たつの市を目指します。
-続く-
着いたあ~。v( ̄∇ ̄)v
【延喜式内社(えんぎしきないしゃ) 伊和都比売(いわつひめ)神社由緒】
当社は今を去る一千余年前、延喜式神名帳にその名を記載する古社で『伊和都比売大神』をおまつりしています。当時から、朝廷をはじめ国司の格別の尊崇を受けたお社です。
伊和都比売大神は、もともと伊勢外宮の豊受比売(とようけひめ)といわれ(*注1)、また播磨一宮の伊和大神、即ち大穴牟遅神(おおなむちのかみ)の比売神ともいわれ(*注2)、古くから『御崎明神』と称された赤穂御民族の祖神様です。
もとは大園と呼ぶ前方海上の八丁岩の上に、おまつりしてあったものを江戸時代に赤穂藩 浅野家初代藩主、浅野長直が現境内地に社殿の建立着手、孫である三代藩主浅野内匠頭長矩の治世、天和三年(一六八三)に完成し、御遷座されました。現拝殿は昭和五年 (一九三〇)に現在の場所に再建され、その際に御本殿は再建ではなく天和三年当時のままの姿で拝殿北側に建材変わらず移築され、御祭神は今も昔も変わらぬ空間で私達をお守り してくださっています。
神社周辺『御崎』は、「播磨なる御崎の石だたみ海の底まで行くぞ見る」と詠われているように、 奇岩の上に老松が舞う、岩礁の地です。
かつては、日本海軍、海戦の勇将『東郷平八郎』元師をはじめ、歴代連合艦隊司令長官の崇敬厚く、しばしば艦隊を率いて帝国海軍の勇士が参拝しました。現在でも船員漁師など、航海安全と大漁祈願は後をたたず遠近問わず参拝者が訪れ信仰が盛んです。
なお特に珍しいのは古くから若い男女による姫神信仰が盛んで、縁結び、或いは恋人を得にご利益のある『姫守』をうける方が多く、赤穂御崎の景色と共に人気が有ります。
(*注1)
「もともと伊勢外宮の豊受比売といわれ・・」>どういうことかわからなかったので調べました。
ここでいう「豊受比売(とようけひめ)」は、一般には豊受大神を指します。
豊受大神とは、伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)に祀られる神で、食物・穀物・産業・生活の恵みを司る女神です。
外宮の正式祭神は「豊受大神」で、女性神格として「豊受比売」「豊宇気毘売神」などとも呼ばれます。
つまり由緒書きは、伊和都比売大神 = 豊受大神と同一視される女神という伝承を紹介しているようです。
ただし、これは全国共通の確定神話というより、・地方神社での習合 ・神徳を高めるための神格統合 ・中世神道の解釈による面があります。
神社ではよく、「この神は実は○○神である」、「△△神の別名である」という伝承が発達します。
(*注2)
「大穴牟遅神(おおなむちのかみ)の比売神ともいわれ」も調べました。
①大穴牟遅神とは、「大国主神(おおくにぬしのかみ)」の別名。 大穴牟遅神 = 大国主神。
国造り神話で有名な神で、・国土経営 ・縁結び ・医療 ・農業 ・海上交通など多面的神格を持っています。
国造り神話で有名な神で、・国土経営 ・縁結び ・医療 ・農業 ・海上交通など多面的神格を持っています。
播磨国では、播磨一宮の伊和神社の祭神としても有名です。
②「比売神」とは?
「比売(ひめ)」は古語で、女性神/妃神/女神を意味します。
したがって、「大穴牟遅神の比売神」とは、大穴牟遅神に対する女性神・配偶神・対になる女神という意味。
つまり由緒では、「伊和都比売神は、大穴牟遅神(大国主神)の姫神である」と説明しています。
当時の時節を考えるに、藩民が藩の平穏と安泰を祈念-神のご加護を乞うたものと思われる。
駐車場から海側(赤穂御崎)が望めます。
駐車場東側に坂道が繋がっています。
降りていってみます。
てく・てく。
振り返るとこんな感じの坂。
「きらきら坂」と名付けられていました。
海岸側の遊歩道に続きます。
【大石名残の松】
血涙を呑んで赤穂開城を終えた 大石内蔵助は元禄十四(一七〇〇年六月半ば 妻子をこの港より海路遠く 大坂表に送り出し 自らは六月二十五日 其の後を追って山科に向かった
其の時 御崎の巌頭に立つ老松を見返りつ名残を惜しんだと伝えられる
人びとはこれを「名残の松」と云い伝えているが 今は枯れ 幹に儚く昔の語り種を残す
よく観光地にありがちな後世の”後付け”のお話でないことを願っています。(^^;
遊歩道を神社方向に進むと・・
其の時 御崎の巌頭に立つ老松を見返りつ名残を惜しんだと伝えられる
人びとはこれを「名残の松」と云い伝えているが 今は枯れ 幹に儚く昔の語り種を残す
よく観光地にありがちな後世の”後付け”のお話でないことを願っています。(^^;
遊歩道を神社方向に進むと・・
全国各地にある恋人(達)の聖地。 ”言った者勝ち”やね~~~。(^^;
あたいの生まれ故郷の小さい頃の遊び場も、今や恋人達の聖地「エンジェルロード」って有名になってるし・・。
エンジェルロードも町興しでつけられた名前で、恋人の聖地ってのも勝手な作り話。
なんだかなあ・・・。
遊歩道には、カニさんも歩いてましたよ。
神社の駐車場に戻ってきました。
時間がおしていたので、”赤穂”から”たつの”に向かいます。
途中、兵庫県相生市にある「道の駅 あいおい白龍城」に立ち寄りました。
外観から期待していたのですが・・
物産売り場とかも小規模で魅かれるものもなく・・
相生湾をながめながら缶コーヒーで一休憩。
ここから東進し、たつの市を目指します。
-続く-




















遊歩道もあって下まで行けるんですね
魚釣りもできそう
カニさんも参拝にきたのかな
次回の記事も楽しみです(^^♪
michiru_photo
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しました