前回記事の続きです。

今回訪れた”たつの”の町。

偶然ですが、先般NHK「鶴瓶の家族に乾杯」で、鶴瓶さんと劇団ひとりさんがたつの市を訪れた回を放映していました。(前編が5/25放映済み、後編は6/1日放映予定です。)

番組内では、寅さんファンの劇団ひとりさんと鶴瓶さんが、「男はつらいよ 第17作 夕焼け小焼け」のロケ地となった旅館を訪れます。

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台本タイトルに「柴又の伊達男」と書かれていることに驚く劇団ひとりさん。

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劇団ひとりさん:「夕焼け小焼け」じゃあないんですね!?

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そうなんです。

最初、タイトルは「柴又の伊達男」とつけられていたのが、二転三転して「夕焼け小焼け」になったらしいです。

番組ではこれ以上タイトルについて触れられませんでしたが、三木露風の育った町ということから「夕焼け小焼け」になったのは間違いないと思います。

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さて・・・

三木露風生家を訪ねたあと、バイクで400m移動。

やってきたのは・・
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「うすくち龍野醤油資料館」。

駐車場の対面(といめん)には交番が

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たつの警察署大手交番が正式名称のようですが、「あかとんぼこうばん」の看板のほうが目立ってます。(゚∀゚)アヒャ

いざ入館

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入館料は、”御縁の重なる重縁”ということで、10円でした。.。゚+.(・∀・)゚+.゚


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資料館のいわれ
醤油の起源は古代までさかのぼることができますが、産業として現在の主産地、龍野・野田・銚子・小豆島などに成立したのは16世紀のことです。

天正年間(1580年頃) 円尾孫右衛門長村、 横山五郎兵衛宗信、片岡治兵衛らによってはじめられた龍野醤油は、うすくちを特色として栄えてきました。

4世紀にわたる歳月の間に、京・大阪の文化に育まれ洗練されつつ、日本人の食生活に深くしみこんだこの調味料は、いまや和食だけでなく、洋食、中華にも味わいを加えています。

山と川に抱かれたこの美しい人里に、代々醤油をつくり継いできた先人の工夫や愛情は、古い道具や文書にひっそりと息づいています。

菊一醬油造合資会社の本社として建てられ、浅井醤油合名会社との合併後、 龍野醤油(株) となり、のち ヒガシマル醤油(株) と改称した後も本社であったこの建物に、同社のみならず、ひろく龍野醤油協同組合各社の保管になる資料を中心に展示して、醤油のふるさとを偲ぶよすがといたしました。


龍野と醤油
中国山地の水を集めて南下する揖保川が、次第に流れをゆるめるあたり、風土記の昔に日下部の里とよばれたこの龍野の一帯は、古くから文化の開けたところです。

播磨平野の豊かな小麦、山間部に産した質のよい大豆、そして手近な赤穂の塩は、清らかな水とおだやかな気候に恵まれて、龍野醤油を生みました。

龍野藩主 脇坂候の保護もあって江戸時代から醤油の銘醸地として名を誇り今に至っております。


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薄口醤油はここ”たつの”が発祥の地だったんですね。w(゚o゚)w オオー!

まずはライブラリーでビデオ鑑賞。(・∀・)

資料館等のビデオ見るのが大好きなあたい (゚∀゚)アヒャ

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三木 露風

樽を緊め、樽を轉(ころ)がし
唄うたふ
ふるさとの醤油倉の
白壁の一つづき

日は晴れて
河原蓬(よもぎ)の花がさく
のどかな晝(注1)に人は出て
麻の袋をかはかせる

青垣の山を続(めぐ)らし
瀧つ瀨の玉より白い
ふるさとの
はりまのくによ

昔より今に
醤油つくる
人は人につぎ
唄は唄へとついで

詩集「蘆間の幻影」樽の唄より  大正九年刊

(注1)晝は、昼の旧字

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1592~1596文禄年間
宮中から菊屋の屋号賜る

龍野町下町 (本町)で醸造業を始めた片岡治兵衛は京都に出向き、室町時代に京都侍所の所司 (長官)をした赤松家の縁故を頼り、知り合いの公家を宮中に訪ねて懇談しました。 治兵衛は、公家に懇請して宮中の許しを得て「菊屋」 の号と菊花の紋を賜りました。 龍野へ帰って父の藤大夫と相談、それまでの家紋 「梅ばち扇」を16弁の菊花に変えました。 これが菊一醤油造合資会社の前身です。 16弁の菊花は、会社のマーク、樽や瓶のレッテルにも使われました。 うすくち龍野醤油資料館の階段についている菊花は、 菊屋の時代の紋です。


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1869 明治2年
藩物産蔵で浅井醤油創業

明治維新で財政が困窮した龍野藩は、富永村 (龍野町富永) にある直営の醤油製造所 「物産蔵」 を払い下げることにしました。 北龍野村新町 (龍野町新町)、 因幡屋の浅井彌兵衛 (初代) は、藩への冥加金上納や御用金の賦課(藩主の借用) に応じたり、藩の指示で商人の紛争を調停し、この功績で苗字帯刀が許され、藩主から浅井姓を賜るなど藩内きっての有力商人でした。 彌兵衛は、明治維新後の新しい時代は自由経済が到来すると信じ、新規事業として醸造業を選び応札、2万両で落札しました。 浅井醤油の誕生で、これがヒガシマル醤油 へと発展していきます。 物産蔵は藩の川東蔵として東ノ丸と呼ばれていたことと、東から丸い太陽が昇るように社運隆盛を願って、商標をヒガシマルとしました。

それでは館内を見てまわります。

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しっかり薄口醤油のお勉強をさせていただきました。

ヒガシマル醤油さん、ありがとう~~

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さて、この日は高松を出発して、赤穂浪士を訪ねて赤穂大石神社参拝、赤穂城そして赤穂御崎周辺を散策。たつの市に移動して龍野城、三木露風生家、うすくち龍野醤油資料館を見学してきました。

ここから本日の宿泊地に向かいます。


-続く-