前回記事の続きです。

「多度津町立資料館」から「桃陵公園」に向かいます。

桃陵公園のある標高約90mの本台山(ほんだいさん)をクロスカブ子ちゃんでのぼっていきます。

公園手前に・・

s2026-04-27DSC_3371

s2026-04-27DSC_3372

s2026-04-27DSC_3375

s2026-04-27DSC_3374

s2026-04-27DSC_3373

ここは日本発祥の「少林寺拳法 総本山」 (中国の少林拳とは別物。)

すごく立派な建物です。w(゚o゚)w オオー!


山頂の「桃陵公園」とうちゃこ~~( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

s2026-04-27DSC_3392

東屋あり! ここでお弁当いただくのも、よさげ~~('▽'*)ニパッ♪

小さな祠、発見。
s2026-04-27DSC_3377

「桃陵神社」。 ペコペコ・パンパン・ペコ。ささやかなお願いをしました。(・∀・)

この横には・・

s2026-04-27DSC_3381

s2026-04-27DSC_3382

s2026-04-27DSC_3379

一昨日の記事でとりあげた「金刀比羅神社(須賀の金毘羅さん)」と同じ日本遺産「金毘羅燈籠群」の立札が、ここにもありました。

この先には・・

s2026-04-27DSC_3385

s2026-04-27DSC_3383

【一太郎やぁいの像】
明治37・38年、日露戦争の際、多くの将兵が眼下の多度津港から船に乗り出兵しました。 この中に岡田梶太郎(通称 一太郎)がいました。 その母カメは早朝、三豊郡豊田村から、わが子、一太郎を見送ろうとかけ つけましたが、船はすでに岸を離れていました。 そこで大声で「一太郎やぁい、わかったら鉄砲をあげろ」と叫けびました。

この母性愛にあふれたその声や姿を再現して後世に残そうと昭和6年に銅像がこの場所に建てられましたが、その後、太平洋戦争中には、金属回収で撤去されました。 この像は、昭和18年に多度津町の彫刻師・神原象峰が元の台石の上にコンクリートで作製したものです。


この像と説明書きを見て、胸がしめつけられる思いがして、目頭があつくなりました。

同時に今はなき母のことを思い出しました。

数日前にやらかした顔面の負傷が癒えたら、生まれ故郷に戻って両親のお墓に手を合わせてこようっと。

s2026-04-27DSC_3390

-続く-