前回記事でアップした「盛土山古墳のモザイク玉」について、多度津町教育委員会様に<CT分析や蛍光X線分析などの自然科学的調査の実施有無等>について問合せをしてみました。

その回答を踏まえ、前回の追記記事をアップします。

(この記事を書くにあたり、関連論文や資料を読み込み、自分なりに理解を整理するまでにかなり時間を要しました。(^^; )



【続報】盛土山古墳のモザイク玉について多度津町教育委員会へ問い合わせてみた ― Jatim Beadsとの関連を考える ―

前回記事において、盛土山古墳出土の「モザイク玉(蜻蛉玉)」に関する考察記事を書きました。

調べを進める中で、同じ香川県内の安造田東3号墳(まんのう町)から出土した「国内唯一」とされるモザイク玉との違いが気になり、多度津町教育委員会様へ直接問い合わせを行いました。

その結果、非常に興味深い回答をいただいたので記録として残しておきます。


1.盛土山古墳出土蜻蛉玉の自然科学的調査の実施の有無

問)盛土山古墳出土の蜻蛉玉について、これまでにCT分析や蛍光X線分析などの自然科学的調査は実施されているのか否か? (これにより製作手法、製作地等が判明する可能性が大。)


答)⇒「盛土山古墳出土のモザイク玉も含めた玉類は採取された段階で国立博物館に売却されたものであるため、本町で出土後に確認した記録は残っていません。また同じ理由で国立博物館に行ってから一度も本町にも戻っていません。」

出土した玉類は当時国立博物館へ売却されており、多度津町には現物が存在しないとのことでした。

(補足)盛土山古墳は1915年(大正4年)地元住民による発掘が行われ、箱式石棺から出土した副葬品は東京国立博物館に保管されています。



安造田東3号墳のモザイク玉は、奈良文化財研究所によって詳細な分析が行われ、ササン朝ペルシャ領域で一般的にみられる植物灰ガラス組成との共通性が認められた一方で、盛土山古墳の玉については、現時点でそのような調査結果は存在しないとのことでした。



(多度津町様は、安造田東3号墳が奈文研で調査されたときに周辺の例として、盛土山古墳のモザイク玉も調査されるかと期待されていたようです。)

また、前述のような理由から、町独自で分析を実施することも難しい状況にあるらしい。


本モザイク玉の解明は、東京国立博物館に収蔵されている蜻蛉玉が、今後再調査される機会があるかどうかが鍵となりそうです。


2.盛土山古墳出土蜻蛉玉の多度津町教育委員会様の見解

今回もっとも興味深かったのは、教育委員会様が盛土山古墳の玉について次のような見解を示していたことです。


2-1)製作方法と起源について

「安造田東3号墳のモザイク玉とは明らかに製作方法が異なる」


安造田東3号墳の玉は、奈良文化財研究所の分析によって、色ガラス棒を束ねて作る”モザイク棒技法”で製作された「モザイク折込珠」であることが明らかになっています。


これに対し盛土山古墳の玉は、「ガラス球にコーティングしてモザイク模様をつける技法など、金太郎飴のように内部まで模様のガラス色が続いている安造田東3号墳のモザイク玉とは明らかに製作方法を別にしていると考えられます。そのため現状では盛土山古墳のモザイク玉に関してはその見た目から似たようなものが存在する東南アジアのインドネシアあたりからもたらされたものではないかと考えております。ガラス球にコーティングしてモザイク模様を付けたものではないか」との見解でした。(「」内は原文のまま掲載)



これをヒントに私独自でさらに調べをすすめると、東ジャワで作られた「Jatim Beads(ジャティム・ビーズ)」という古代ガラス玉の存在を知る事ができました。

3.「Jatim Beads(ジャティム・ビーズ)」と「盛土山古墳出土蜻蛉玉」
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Jatim Beads

上記リンク先の一部を抜粋します。

"mosaic beads which have been made using the millefiori technique in which a thin layer of preformed cane slices are applied over a monochrome core"


とあります。 意訳すると、

「あらかじめ作ったモザイク棒を切ったミルフィオリ断面(薄片)を、単色の芯玉の表面に貼り付けて作る」


2026-06-24ジャスティムビーズ01

なるほど。

再度、盛土山古墳のモザイク玉画像をアップします。

2026-06-22盛土山古墳蜻蛉玉01

2026-06-22盛土山古墳蜻蛉玉02


盛土山古墳の玉には、二種類の同心円文様(eye pattern)が共存しかつ、多数配置されています。

・薄青-白-青-白-青

・薄黄-赤-白-青


あらかじめ作ったモザイク棒を切ったミルフィオリ断面(薄片)を、単色の芯玉の表面に貼り付けて作る技法であれば、盛土山古墳のモザイク玉のように2種類の同心円文様(eye pattern)を多数配置することも説明しやすいと思います。

前回記事に書いたとおり、文化遺産オンラインでは本資料を「異なる色の小玉を象嵌したガラス玉」と説明しています。しかし盛土山古墳の蜻蛉玉には複数種類の複雑な同心円文様が確認できるため、単純に象嵌技法のみで説明できるのかについては検討の余地があるように思われます。

調べを進めていくうえで、自分の間違い(上記訂正箇所)に気がつきました。

それは”象嵌”の定義です。

象嵌=一つの素材を彫ってへこみを作り、そこに異なる材質をはめ込んで模様を描く工芸技法。

ということで、文化遺産オンラインに書かれている”象嵌”技法、すなわち「元の蜻蛉玉にひとつの円模様毎に形を削って、円模様をはめ込んでいく技法」では、このような2種類かつ多色の円文様(eye pattern)を多数配置できないと考えてしまっていました。 すなわちミルフィオリ断面(モザイク棒を切った薄片)を、単色の芯玉の表面に貼り付けて作る技法=”貼付”と”象嵌”は別分類ととらえていました。

しかし、この見方は、金工・木工の象嵌のイメージを、ガラスにもそのまま当てはめ過ぎていました。


ガラス玉研究では、熱した母玉に目玉模様部品を押し付けて溶着する技法について、「嵌眼」や「象嵌」と表現される例があるようです。


一方で、研究者によって用語の使い方には幅があり、「貼付」と明確に区別しない場合も見られるようです。


したがって、前述(前回記事)の盛土山古墳出土蜻蛉玉に関する文化遺産オンラインでの説明「異なる色の小玉を象嵌した」の記述は、異なる色の小玉を貼り付けたものと理解して差し支えないようです。 と、いうことで、前回記事の「異なる色の小玉を象嵌した」に関する私の解釈はここに訂正いたします。



話を戻します。

Jatim Beadsには、このようにも書かれています。

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There is evidence of extensive trade between the Byzantium (Eastern Roman Empire centred on Constantinople) and the Sasian (Neo-Persian Empire, 224 to 651AD), and the Indonesian bead making style was influence the the Roman mosaic and millefiori beads.


Evidence of these influences is to be found by the analysis of the glass used which shows that in many instances the raw materials were from both early Byzantine and Sasanian Persian glass. The trade was not just one way. A Jatim bead made in Java has been found in excavations  early Byzantine Red Sea port of Berenike, Egypt and in the other direction in tombs in Japan and Korea

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ビザンツ帝国(コンスタンティノープルを中心とする東ローマ帝国)とササン帝国(新ペルシア帝国、224~651年)の間には広範な交易が行われていたことを示す証拠があり、インドネシアのビーズ製作様式はローマのモザイクビーズやミルフィオリ・ビーズの影響を受けていた。


この影響は、使用されたガラスの分析によって確認することができる。多くの場合、その原材料は初期ビザンツ系ガラスとササン朝ペルシア系ガラスの双方が原料として利用されていることが示されている。


また、この交易は一方向だけのものではなかった。ジャワ製と考えられるJatim Beadsは、エジプトの初期ビザンツ時代の紅海港ベレニケの発掘調査で発見されている。そして逆に、同種のビーズは日本や朝鮮半島の墓からも出土している。


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前回記事で、盛土山古墳の蜻蛉玉を見たとき、私はヴェネチアン・ミルフィオリ・ビーズとの類似を感じた事を書きました。 今回調べたJatim Beadsの資料によれば、インドネシアの古代ビーズ製作様式はローマのモザイクビーズやミルフィオリ・ビーズの影響を受けていたといいます。 ヴェネチアのミルフィオリは古代ローマの技法を継承・復興したものであり、私が感じた類似性も、まったく根拠のない印象ではなかったように思われます。

ただし、このWeb情報は学術論文ではないため、現時点では参考情報として受け止めておきます。



そして、またあらたにジャワで作られたジャティム・ビーズの中国での発掘例(中国の研究者による学術論文)を見つけることができました。



4.中国)魏墓群出土のジャティム・ビーズについて


先程のWEB情報(「Jatim Beads」)は、学術機関のものではありませんでしたが、中国の大同博物館(Datong Museum)と北京大学考古学・博物館学院(School of Archaeology and Museology, Peking University)の研究者らが、国際査読誌『npj Heritage Science』に発表した研究を見つけることができました。  こちらの論文は研究結果に基づくアカデミックなもののため、より重要度が高いものになります。

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Analysis of two glass eye (Jatim) beads unearthed from the Northern Wei tomb complex in Dongxin, Datong

大同市東新区の北魏墓群から出土したガラス製の目玉(ジャティム)2個の分析



こちらでは、中国山西省大同市の東新家具広場にある古代墓群で発見された2つのガラス製目玉ビーズ(eye beads)の分析結果が示されています。


走査型電子顕微鏡(SEM)とエネルギー分散型X線分光法(EDS)に加え、超深度視野を備えた3D顕微鏡システムを用い、組成分析の結果、両方の遺物(two glass eye beads)が東南アジアのジャワ王国を起源とするジャティムビーズであることを結論づけています。

中国山西省大同市ジャチムビーズ01
(上記web情報から抜粋した画像)


このweb記事は、かなり詳細に研究報告されているので、是非原文をご覧ください。

一部和訳したものを抜粋します。


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ジャティムビーズは、西暦6世紀にジャワ地域で誕生した。 韓国の慶州では、上流階級の墓から少なくとも10個のジャティムビーズが発掘され、西暦4世紀後半から6世紀半ばのものとされている。 これらは、ジャティムビーズの大部分が発見されている東ジャワ地域と密接に関連していると考えられている。

DX-1とDX-2は、ビーズの形状、母材の色、目のような模様、突き出たビーズ穴の周りの歪んだ模様など、慶州のシクリチョン墓から発掘されたジャティムビーズと複数の特徴を共有している。韓国の慶州地域の4世紀後半から6世紀半ばは、中国の北魏王朝の平城年間(西暦398年~494年)とほぼ一致するため、製造時期もほぼ同じである。

図 6に示すように、韓国のジャティムビーズは、DX-1の白い目の模様と、DX-2の赤と黄色の目の模様と白い点模様を持っています。

中国山西省大同市ジャチムビーズ_韓国慶州02

これらのビーズは、海上貿易と韓国への仏教の伝来に関連していると考えられています。 ジャティムビーズは、薄いモザイクシートをガラス管に貼り付ける工程を経て作られます。 装飾されたガラス管は再加熱され、その後、特殊な工具を使用して個々のビーズに切断されます。この技術は、ホットピンチまたはホットプレスと呼ばれます。ビーズの一端は、ホットプレスまたはコールドカッティングによって形成され、その後、円形になるローリング工程が続きます 。

ジャティムビーズの製造中にホットピンチ技術を適用すると、ビーズの穴に向かって目の模様が伸び、ジャティムビーズを西アジアの目のビーズと区別する主な特徴となります。

ジャティムビーズの製作に使用されているモザイク技術は、古代ローマと地中海の主要なガラス工芸と装飾様式を反映しています。この伝統は後にビザンツ帝国やイスラムの職人に採用され、海上貿易を通じてジャワ島に伝わった。 ジャワ島の地元のガラス職人は、外国のガラス製造技術を取り入れ、それらを創造的に組み合わせて有名なジャティムビーズを製造しました。

このようにして、ジャティムビーズの製造と装飾は独自の技術を形成し、その中でこれらのビーズの化学組成の最も重要な特徴は、m-Na-Al や v-Na-Ca 混合ガラスなどの混合ガラス成分の使用でした。ジェームズ W. ランクトンは広範な調査により、混合ガラスの成分は南アジアと東南アジアでは非常にまれであり、大規模な貿易は行われていないことを発見しました。ジャティムビーズには、混合成分(ガラスのリサイクルと再溶解による)を含む多数のガラスビーズが含まれており、これらのガラスは輸入されたプレミックスガラス材料ではなく、ジャティムビーズの製造現場で混合されたものであると基本的に判断できます。ジャティムビーズの製造者は混合ガラス成分の使用を非常に好んでいると言えます。



古代ジャワは繁栄し独立しており、漢王朝ではイェダオ、晋王朝ではイェポティ、南朝ではシェポ、唐王朝ではヘリンとして知られていた。 後漢書131の順帝本記によると、「雍建6年、日南県の国境を越えたイェダオ王国が使者を派遣して朝貢した」。 これは、漢王朝時代にジャワと中国が友好的な交流を行っていたことを示している。

晋王朝と南北王朝時代には、南アジアと東南アジアの国々が使者を中国に派遣して皇帝に朝貢した。 『仏国記』(411年)では、晋王朝の僧侶法顕(334~420年)が獅子国から船に乗り、東南アジアに到着後、葉坡に5ヶ月滞在したと記している。 412年、彼は晋王朝の青州長光県に戻った。 ローマ帝国の衰退後、南アジアの商人は東南アジアに目を向け、東洋との密接な関係を築いた。ランクトンは、ジャティムビーズは6世紀以前に国際貿易のダイナミクスに組み込まれていたと主張している。

中国におけるジャティムビーズの考古学的記録が少ないため、北魏墓群で発見された目玉ビーズはジャワ島が起源であると推測するしかない。その輸入ルートには海上シルクロードが含まれていたに違いないが、平城に至った具体的なルートを特定するには、さらなる考古学的調査が必要である。


結論

(略)

ジャティムビーズの製造工程で用いられる熱圧着技術により、一部の目の模様がビーズの穴に向かって引き伸ばされている。この特徴が、これらのビーズを西アジアの目玉ビーズと区別する点である。

北魏時代の平城期には他にもいくつかの目玉ビーズが発掘されているが、この形状に類似したガラスビーズでジャティムビーズと断定できるものは2個のみである。ジャティムビーズがジャワ王国を起源としていることは、北魏時代の平城と東南アジアのジャワ王国との交易があったことを間接的に示している。


ジャワから平城への具体的な交易路、そしてそれが海上シルクロードと関連しているかどうかを明らかにするには、さらなる考古学的データの裏付けが必要である。これら2つのジャティムビーズは、1500年以上前の北魏平城時代における物質的・文化的交流の多様性を示すだけでなく、古代ガラスの交易と交換に関する科学的な根拠も提供する。これら2つのジャティムビーズが平城に輸入された理由と、その普及を仲介した人物については、今後の研究で検討する価値がある。


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中国北魏墓出土のJatim Beadsは、盛土山古墳出土の蜻蛉玉の文様と極めてよく似ており、中国の研究者らはこれをジャワ(インドネシア)系ビーズと評価しています。

これは、多度津町教育委員会様が指摘した「インドネシア類例説」、文化遺産オンラインに書かれていた「同心円文様をもつ蜻蛉玉はメソポタミアやエジプトに由来し、本作品も東南アジアに類例がある」等、一定の研究的背景を持つ可能性があるように思いました。


ここまで調べたところで、自然科学的調査をしなければ産地等の推測ができないながら、盛土山古墳出土の蜻蛉玉は、ジャワ産のジャティムビーズではないかと、個人的に推定したわけですが、あらたに頭を悩ます資料を見つけ出しました。


それは、宮城県追戸横穴墓から出土したモザイク玉の存在です。

5.追戸横穴墓出土のモザイク玉

いろいろ調べている段階で、安造田東3号墳、盛土山古墳出土のモザイク玉以外に、宮城県追戸横穴墓からもモザイク玉が出土していることを知りました。

調べてみると、安造田東3号墳の蜻蛉玉の自然科学分析を行った奈良文化財研究所(以下、奈良文研と略します)から、さらに興味深い研究報告がされていました。


この宮城県追戸横穴墓のモザイク玉については、安造田東3号墳で出土した「国内唯一といわれる、科学分析によって西アジア(ササン朝ペルシャ領域)との関係が示された”モザイク折込珠”」とは違い、前述の北魏墓出土のJatim Beadsや盛土山古墳出土の蜻蛉玉と、文様や製作技法に共通点を持つように見える蜻蛉玉でした。



宮城県追戸横穴墓出土トンボ玉の自然科学的研究


↓にPDFをJPEG化した画像を掲載しますが、原文は上記リンク先を参照ください。

2026-06-26追戸横穴墓出土研究論文01
2026-06-26追戸横穴墓出土研究論文02

この奈良文研の論文は、前述の北魏墓群Jatim論文との対比、ならびに後述の奈良文研)同一研究者による後年の考察と比較するうえで非常に重要でした。

以下抜粋します。(是非 リンク先の原文もお読みください)

(抜粋文)
測定を実施した箇所はすべて低アルミナ高石灰のソーダガラスであった(図Ⅰ-51上)。 母体の紺色部分と斑点紋(太)内部がMgOとK2Oの含有量がともに少ないナトロンガラスに相当するのに対し、斑点紋の白線部と母体の淡緑色部分はMgOとK2Oの含有量が多い典型的な植物灰ガラスである。 さらに、斑点紋(細)の内部はその中間的な値であった(図Ⅰ-51下)。 これらのことから、本資料は異なる種類のガラスを寄せ集めて作られていることがあきらかとなった。

⇒素人でしかも理解力の乏しい小生にとって、なかなか難しい内容でした。(^^;

まず最初にこの玉の素材は、「低アルミナ高石灰のソーダガラス」と言っています。
①Al₂O₃(アルミナ=酸化アルミニウム)が少ない ②CaO(石灰)が多い ③Na₂O(ソーダ)、ガラスが使用されている。 

すなわち、東南アジアで広く流通した高アルミナソーダガラスとは異なる組成であった。


さらに「異なる種類のガラスを寄せ集めて作られている」と書かれています。

ガラスは、主原料となるシリカ(砂)に、融点を下げるための融剤源=ソーダ源(ナトロンや植物灰など)、さらに安定剤となる石灰成分を加えて作られます。

融剤源の違いは、ガラス中のMgOやK₂Oの含有量として残るため、原料や製作地を推定する重要な手がかりとなります。

論文では、2種類の融剤源(ソーダ源)が示されています。
一つは、MgO(酸化マグネシウム)とK2O(酸化カリウム)の含有量がともに少ないナトロンガラス。
(ナトロンガラス:エジプトや東地中海地域で広く用いられた天然ソーダ(ナトロン)系ガラス)

もう一つは、MgO(酸化マグネシウム)とK2Oの含有量が多い典型的な植物灰ガラス。
(植物灰ガラス:メソポタミアやササン朝ペルシャなど西アジア地域で広く用いられた植物灰系ガラス)

(続いて抜粋文)
最後に本資料の生産地について考察する。本資料は異なる種類のガラスを組みあわせて製作されており、生産地の特定は困難であるものの、いずれもいわゆる「西のガラス」からなることが示されたことは重要である。

⇒前述の組成分析の結果、使用されたガラスはいずれも「西のガラス」に属することが示されたとしています。


(続いて抜粋文)
近年、朝鮮半島の新羅地域で出土した本資料と類似の斑点紋のトンボ玉等について、製作技法やモチーフの類似性からインドネシアのジャワ島産である可能性が提起されている 。

⇒奈良文研の論文でも、新羅地域で出土した類似の蜻蛉玉について、ジャワ島産の可能性が提起されていることが紹介されています。(また本文の”朝鮮半島の新羅地域”と前述の北魏JatimBeads論文の”韓国の慶州地域”は、同一地域を指しています。)


(さらに抜粋文)
東南アジアでもっとも多く流通していたAl2O3含有量の多いソーダガラスが用いられていない。 さらに、酸化錫による着色技法も地中海周辺や西アジアで生産されたガラスには一般的に知られているが、南~東南アジア産のガラスには適用されない。  以上のことから、本資料がジャワ島産である可能性は低く、むしろ地中海周辺から西アジア等の西方地域で作られた可能性が高いと考えられる。

⇒朝鮮半島で出土したジャティムビーズと類似性は認めながら、組成分析の結果からジャワ産ではなく地中海周辺から西アジア等の西方地域で作られた可能性が高いと結論づけています。



前述の<中国の大同博物館と北京大学考古学・博物館学院の研究論文>の比較をしてみることにしました。

6.「北魏墓群出土のジャティムビーズ論文(大同博物館/北京大学考古学・博物館学院」と「追戸横穴墓出土の蜻蛉玉論文(奈良文化財研究所)」の比較

1)追戸横穴墓出土の蜻蛉玉が、ジャワ産でないとした奈良文化財研究所上記論文の根拠1
「酸化錫(SnO₂)による着色技法も地中海周辺や西アジアで生産されたガラスには一般的に知られているが、南~東南アジア産のガラスには適用されない。」


<北魏墓群出土のJatim Beadsの中国大同博物館と北京大学考古学・博物館学院の研究論文>
Both DX-1 and DX-2 have white eye socket patterns. As shown in Figs. 4 and 5, many bright white points on the white eye sockets are distributed randomly. An EDS test identified these bright spots as SnO2, with a content of 16.1–69.5 wt%, as depends on the thickness and size of the spots analyzed, including the influence of the glassy matrices. This indicates that tin white (SnO2) was used as an opacifier. The use of tin white dates to the 18th Dynasty of Egypt. It was applied in glass manufacturing in the Roman and Byzantine periods after the fourth century AD. Because of the fact that the opaque glasses were used mainly for mosaic tesserae, while marble or limestone provided a cheaper and easier source of white tesserae, the tin oxide-colored white glass was not prevalent during this period

DX-1とDX-2の両方に白い眼窩模様があります。図4と図5に示すように、白い眼窩には多くの明るい白い点がランダムに分布しています。EDSテストにより、これらの明るい点は酸化錫(SnO 2)であることが特定され、その含有量は分析した点の厚さとサイズ、およびガラスマトリックスの影響によって16.1~69.5重量%でした。これは、酸化錫(SnO 2 )が不透明化剤として使用されていたことを示しています。 酸化スズの使用はエジプトの第18王朝に遡ります。西暦4世紀以降、ローマ時代とビザンツ時代にガラス製造に使用されました。。不透明ガラスは主としてモザイク用テッセラ(モザイク片)に使用されていた一方で、白色のテッセラには、より安価で入手しやすい大理石や石灰岩を利用することができたため、酸化錫で白色不透明化したガラスはこの時期には広く普及しなかった。

⇒著者は、北魏墓群出土の蜻蛉玉は、ジャワ産のジャティムビーズと推定しながらも、このガラス玉の模様には、酸化錫(SnO₂)が不透明化剤として使われ、酸化錫は地中海・ローマ・ビザンツ系技術の系譜であることを理解しています。



また黄色部分についても、このような報告がされています。

This indicates that lead–tin yellow (PbSnO3 or PbSn1−xSixO3) was adopted as an opacifier. 

・・it was widely used in glass manufacturing in the Roman and Byzantine periods. 


これは、鉛錫黄(PbSnO3またはPbSn1−xSixO3)が乳白剤として採用されたことを示している。

ローマ時代やビザンツ時代には、ガラス製造において広く使用されていました。

⇒黄色部分も西方技術であることを書いています。


また青色部分については、

 The blue matrix of the two glass beads tested contained very low levels of MnO2, between 0.1–0.4wt%, which is more compatible with the eastern Mediterranean origin, as cobalt blue coloring from South Asia or China is associated with MnO2 in excess of 1.0wt%.


試験した2つのガラスビーズの青色のベースガラス(原文:matrix)には、0.1~0.4wt%という非常に低いレベルのMnO2が含まれており、これは東地中海起源とより一致している。南アジアや中国のコバルトブルーの着色は、1.0wt%を超えるMnO2と関連付けられているからである。

⇒コバルトブルーの成分は、東地中海系起源を示しています。


∴酸化錫(SnO₂)による不透明化技法については、追戸横穴墓出土玉と北魏墓群出土玉の双方で確認されているが、
その事実をどのように製作地推定へ結び付けるかについては、両論文で着目点が異なっているように見えます。



2)ジャワ産でない奈良文化財研究所上記論文の根拠2
「東南アジアでもっとも多く流通していたAl2O3(酸化アルミニウム)含有量の多いソーダガラスが用いられていない。」


<中国の大同博物館と北京大学考古学・博物館学院の研究論文>
Local glass artisans in Java assimilated foreign glassmaking techniques, creatively combining them to produce the renowned Jatim beads. Thus the production and decoration of Jatim beads formed a unique technology, wherein the most significant feature of these beads’ chemical composition was the use of mixed glass components, such as m-Na-Al and v-Na-Ca mix glass. Through extensive research, James W. Lankton found that the components of mixed glass are very rare in South Asia and Southeast Asia, and there is no extensive trade. Jatim beads contain a large number of glass beads with mixed components (from the recycling and remelting of glass), which can be basically determined that these glasses are mixed at the Jatim bead making site, rather than imported pre-mixed glass material, It can be said that Jatim bead manufacturers are very fond of the use of mixed glass ingredients

ジャワ島の地元のガラス職人は、外国のガラス製造技術を取り入れ、それらを創造的に組み合わせて有名なジャティムビーズを製造しました。このようにして、ジャティムビーズの製造と装飾は独自の技術を形成し、その中でこれらのビーズの化学組成の最も重要な特徴は、m-Na-Al や v-Na-Ca 混合ガラスなどの混合ガラス成分の使用でした。ジェームズ W. ランクトンは広範な調査により、混合ガラスの成分は南アジアと東南アジアでは非常にまれであり、大規模な貿易は行われていないことを発見しました。ジャティムビーズには、混合成分(ガラスのリサイクルと再溶解による)を含む多数のガラスビーズが含まれており、これらのガラスは輸入されたプレミックスガラス材料ではなく、ジャティムビーズの製造現場で混合されたものであると基本的に判断できます。ジャティムビーズの製造者は混合ガラス成分の使用を非常に好んでいると言えます。


⇒奈良文研の「東南アジアでもっとも多く流通していたAl₂O₃含有量の多いソーダガラス」は、「High Alumina Soda Glass(高アルミナソーダガラス)」を指しています。 一般にインド、スリランカ、東南アジアで広く流通したガラス群です。


特徴:Al₂O₃(酸化アルミニウム)が高い、MgOが(酸化マグネシウム)が低い、K₂O(酸化カリウム)が低い。


対して北魏墓群のJatimBeads論文では、南アジア、東南アジアにおいて混合ガラスの使用は非常に稀だと言っています。 さらにこの混合ガラスは、輸入されたプレミックス材料ではなく、ジャワのジャティムビーズの製造現場で混合されたものであり、この混合ガラスこそがジャティムビーズの特徴だと述べています。

私の理解では、北魏墓群出土Jatim Beads論文は次のような論理構成になっているように読めました。

① ジャワの職人は外来技術を取り入れた=外国由来のガラス技術を吸収した


② ジャワでのJatim Beadsは独自技術を形成した


③ 最大の特徴は混合ガラス


④ 南アジア・東南アジアでは混合ガラスは稀

・・ここで言っているのは「高アルミナガラスが稀」でも「植物灰ガラスが稀」でもなく、両系統ガラスを混ぜる行為が稀! と読むのが自然です。


⑤ 混合ガラスは、輸入原料ではなくジャワの工房で混ぜた。


*「北魏墓群出土玉について論文では、v-Na-Ca系ガラスとm-Na-Al系ガラスが混在する混合ガラスが用いられていた可能性を指摘している。そして、そのような混合ガラスはジャティムビーズの特徴の一つと考えられている。」と、述べているように解釈しました。



追戸横穴墓のモザイク玉が、「ジャワ島産である可能性は低く、むしろ地中海周辺から西アジア等の西方地域で作られた可能性が高い」とした奈良研の根拠が、中国北魏墓群出土例、韓国慶州出土例、追戸横穴墓出土例の間には年代的・形態的な共通点がみられる一方で、製作地に関しては異なる判断がされています。

奈良文研の追戸横穴墓出土品に製作地の考証においては、組成分析から検出された材料の産地から、「ジャワ島産(ジャティムビーズ)である可能性は低く、むしろ地中海周辺から西アジア等の西方地域で作られた可能性が高いと考えられる」としていました。


対して中国大同博物館/北京大学考古学・博物館学院の論文では、異なる系統のガラスが混合されていること自体をジャティムビーズの特徴の一つとして捉え、北魏墓群出土品をジャワ起源のジャティムビーズと評価しています。

つまり両論文は、同じような資料を見ながらも、「奈良文研は-ガラス原料の起源-を重視した」、「中国論文はー完成品としての技術的特徴-を重視したという違いがあるように思われます。


両者の製作地推定における判断基準(判断軸)は必ずしも同一ではないように思われます。そのため、追戸横穴墓出土玉についても、今後の類例比較や分析の蓄積によって評価が変わる可能性があるのかもしれません。

ここでさらに興味深い情報を見つけました。

既述の奈良文研の追戸横穴墓のモザイク玉の分析調査論文は2014年発表のものでした。


対して中国北魏墓群で出土したジャティムビーズに関する中国大同博物館と北京大学考古学・博物館学院の研究論文は、2024年のものでした。

そしてあらたに、前述の追戸横穴墓のモザイク玉を研究・報告された奈良研の研究者の方の続編?の情報が見つかりました。


7.奈良文研の追戸横穴墓のモザイク玉の考察(後記)

これは2022年3月に書かれたものです。

なぶんけんブログ「ふたつのトンボ玉」



リンクの原文をお読みください。原文には追戸横穴墓のモザイク玉以外にも安造田東3号墳の蜻蛉玉のことも書かれています。


追戸横穴墓のモザイク玉に関して、一部抜粋します。

このトンボ玉は、濃紺色ガラスの周囲に白色ガラスをかぶせたガラス棒を輪切りにしたものを母玉に貼り付けた「モザイク貼付珠」と呼ばれるものであることがわかりました。


さらに面白いことに、材質分析の結果、母玉に貼り付けられたガラスには起源の異なる二種類のガラスが用いられていました。ひとつは西アジア産のガラス、もう一つは地中海沿岸地域産と考えられるガラスです。つまり、このトンボ玉は産地の異なる二種類のガラスを入手可能な地域で製作されたと考えられます。その地域とはいったいどこなのでしょうか?この問題を解決するには類例の分析調査がカギを握ります。地中海世界や西アジア、東南アジアでもデザインがよく似たトンボ玉が見つかっています。分析装置を携えて海外の類例調査に行けるようになる日を心待ちにしています。



2026-06-26追戸横穴墓01

(画像:なぶんけんブログ「ふたつのトンボ玉」より)


既述の奈良文研の追戸横穴墓出土品に関する論文は2014年発表のもので、「組成ガラス材料が、西アジア産のものと地中海沿岸地域産のものから、地中海周辺から西アジア等の西方地域で作られた可能性が高い」と示していました。

しかしながら8年後の考察においては、「産地の異なるニ種類のガラスを入手可能な地域で製作されたと考えられる。」とされていました。

おそらくは、2014年以降の類似したモザイク玉の発掘、調査分析状況等から、製作地をより慎重に考える方向へ変化しているように感じられます


当初、組成ガラス材料の産地から製作地を「地中海周辺から西アジア等の西方地域」と推定していましたが、2022年時点では、製作地を単純に西方地域と断定するのではなく、類例調査によって再検討すべき課題として位置づけているように読めます。



これは非常に興味深い情報でした。


これらの事を踏まえると、モザイク玉を調べるきっかけとなった盛土山古墳出土の蜻蛉玉の現地説明書き(多度津町教育委員会、香川県教育委員会作成)に書かれていた(前回記事参照)「ペルシャなどからの輸入品であると考えられる。」が、冒頭記述のとおり「見た目から似たようなものが存在する東南アジアのインドネシアあたりからもたらされたものではないか」と、多度津町様の見解が変化してきた背景も理解できるように思います。


さらに盛土山古墳出土の蜻蛉玉、追戸横穴墓出土の蜻蛉玉と、韓国)慶州出土の蜻蛉玉の比較をするため、韓国)慶州出土の蜻蛉玉に関する学術論文を調べる必要がありますが、それをするのにはまだまだ時間がかかりそうなので、いったん調べるのはここまでにしておきます。


さいごに

本来なら自分の中で先に論文等の発表年代別に整理かつ、推論を整理したうえで、この記事を書けば良かったのですが、論文ではなくブログということで、あえて、自分が見つけてきた情報を時系列的に書きました。 そのため非常に論旨があちらこちらに飛んでいく展開になっていたと思います。 読みづらいところがあると思いますが、ご容赦ください。


前回記事も含め今回の記事を書くにあたったきっかけは、盛土山古墳の現地説明板に書かれていた「トンボ玉はいわゆるモザイク玉と呼ばれるタイプで、ペルシャなどからの輸入品であると考えられる。 同様のものは仲多度郡まんのう町にある安造田東3号墳からも出土しており・・」と、TV放送局の「安造田(あそだ)東3号墳のペルシャ製モザイク玉は、国内唯一。」とする説明の矛盾からでした。

ここまで調べて、安造田東3号墳出土の蜻蛉玉の何が国内唯一と言っているかが理解できるようになってきました。

今は、それより盛土山古墳出土と追戸横穴墓出土の蜻蛉玉が、JatimBeadsなのかどうかに興味が湧いています。

追戸横穴墓出土の蜻蛉玉の製作地をはっきりするためにも、まだ自然科学分析がおこなわれていない盛土山古墳の蜻蛉玉の自然科学的調査ならびに、類似例調査が待たれるばかりです。


多度津町教育委員会様は私の質問に対し、さらにこうとも述べています。

「また各遺跡においてモザイク玉の製作地と個別のやり取りをしていたわけではなく、三角縁神獣鏡が椿井大塚山古墳を中心とした畿内地域から地方に配布されたように、一旦中央(畿内)に搬入されたものが、周辺に再配布されたものではないかと考えられます。ただし持ち込まれた場所については、盛土山古墳も安造田東3号墳も丸亀平野に位置し、モザイク玉が持ち込まれたのは船の交易によりもたらされたものであるため、2つのモザイク玉とともに本町の弘田川河口を経由してもたらされたと推定されています。」



4~6世紀というはるか昔の時代に、地中海・西アジア系のガラス技術が東方へ伝わり、その影響を受けた可能性のある蜻蛉玉が、中国北魏、朝鮮半島、日本にまで広がっていた可能性を考えると、驚くばかりです。

クロスカブに乗って、フラっと立ち寄った古墳がきっかけで、このような新たな発見をしたことは貴重な体験でした。