前回記事の続きです。

前回記事では長尾寺の静御前剃髪塚を紹介しました。

ここ長尾寺ではもうひとつ、絶対見ておきたいところがありました。

それは山門前の二つの経幢(きょうどう)です。

以前、「筒野の笠仏(石鐘)」に刻まれた尊格を推測するにあたって、筒野近くにある長尾寺の経幢が参考になるのでは、と考えたことがあったからです。





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【重要文化財 長尾寺経幢二基】
経幢(きょうどう)は中国で唐から宋時代に流行したもので、わが国では鎌倉中期ごろからつくられ経文を埋納保存する施設、あるいは供養の標識として各地に建てられるようになった。この形式に単制と複制とがあり単制はこの経幢のようなもの、複制は幢身の上部に中台や龕(がん)部があって灯籠ふうになったものである。

この経幢は凝灰岩製で基礎の上に面取り四角柱の幢身を立て、その上に重厚な八角の笠と低い宝珠をのせたもので東側のは弘安九年五月、西側のは弘安六年七月の銘があり一基ずつ相ついで奉納されたことがわかる。

昭和二十九年九月十七日重要文化財に指定された。


平成二十年十二月
香川県教育委員会
さぬき市教育委員会
さぬき市文化財保護協会



まず2つの経幢のうち、東側の経幢から。

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弘安九年(1286年)五月に奉納された経幢です。

この経幢は、四面に梵字を刻んだ四角柱の石幢です。

<東面> 不空成就如来 अः(アク)

s-2026-05-14DSC_3604東-不空成就如来アクA


s-2026-05-14DSC_3604ZA東-不空成就如来アク


2026-07-25不空成就如来アク01a
-不空成就如来-
不空成就如来は、五智如来の一尊で、北方を守護し、あらゆる願いを成就させる如来です。梵字(種子)は「アク」で表されます。

長尾寺の経幢では方位の配置が一般的な五智如来の配置とは異なっています。「北方を守護する」というのは不空成就如来本来の位置づけであり、この経幢で北面に刻まれているという意味ではありません。



<南面> 阿閦如来 हूं (ウーン)

s-2026-05-14DSC_3603南-阿閦如来ウーン

s-2026-05-14DSC_3603z南-阿閦如来ウーン

2026-07-25阿閦如来ウンALL-a

-阿閦如来-
阿閦如来(あしゅくにょらい)は、五智如来の一尊で、強い意志と揺るぎない心を象徴する如来です。「阿閦」とは「動じない」という意味で、怒りや迷いに動かされることのない悟りの境地を表しています。梵字(種子)は「ウーン」で表されます。



<西面>宝生如来  त्राः(タラーク)

s-2026-05-14DSC_3602西-宝生如来タラーク

s-2026-05-14DSC_3602z西-宝生如来タラーク

2026-07-25長尾寺経鐘タラーク宝生如来01a

-宝生如来-
宝生如来(ほうしょうにょらい)は、五智如来の一尊で、豊かさと平等の心を象徴する如来です。人々に福徳や功徳を授ける仏とされ、すべての存在を平等に見つめる慈悲を表しています。梵字(種子)は「タラーク」で表されます。


<北面>阿弥陀如来 ह्रीः(キリーク)

s-2026-05-14DSC_3605北-阿弥陀如来キリーク

s-2026-05-14DSC_3606zz北-阿弥陀如来キリークZ

2026-07-25阿弥陀如来キリーク01a

-阿弥陀如来-
阿弥陀如来は、五智如来の一尊で、限りない慈悲と救済を象徴する如来です。「阿弥陀」とは「無限の光」と「無限の命」を意味し、すべての人々を極楽浄土へ導く仏として広く信仰されています。梵字(種子)は「キリーク」で表されます。



【五智如来】
この経幢の幢身四面には、

不空成就如来 … あらゆる願いを成就させる如来

阿閦如来 … 決して動じない心を象徴する如来

宝生如来 … 豊かさと平等の心を象徴する如来

阿弥陀如来 … 限りない慈悲と救済を象徴する如来

の四尊が、それぞれの種子(梵字)によって表されています。

これに大日如来を加えた五尊を、密教では五智如来(ごちにょらい)と称します。五智如来は、真言密教において宇宙の真理そのものである大日如来が、悟りの智慧(ちえ)を五つの側面として顕現した姿を人格化したものです。

五智とは、密教教学において説かれる次の五種の智慧を指します。

①法界体性智 →大日如来
・・宇宙のあらゆる存在の本質をありのままに悟る、根本の智慧。

②大円鏡智 →阿閦如来
・・大きな鏡のように、すべてを偏りなく正しく映し出す智慧。

③平等性智 →宝生如来
・・すべての存在を分け隔てなく平等に見る智慧。

④妙観察智 →阿弥陀如来
・・人々の違いや能力を正しく見極め、それぞれに応じて救済する智慧。

⑤成所作智 →不空成就如来
・・衆生を救うために最も適した行いを成し遂げる智慧。

すなわち、大日如来の根本的な智慧が四つの働きとして展開し、それぞれ阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就の四如来として現れると理解されます。


-大日如来についてー
大日如来(だいにちにょらい)は、五智如来の中心に位置する根本仏であり、宇宙の真理そのものを象徴する如来です。サンスクリット名を摩訶毘盧遮那仏(Mahāvairocana)といい、「大いなる光明遍照」の意を持ちます。密教では、釈迦如来を含むあらゆる仏・菩薩は大日如来から顕現した存在とされ、金剛界・胎蔵界両曼荼羅の中心尊として崇敬されます。

大日如来の種子(梵字)は「バン(वं)」で表され、五智のうち法界体性智を司ります。法界体性智とは、宇宙のあらゆる存在が本来一体であり、真如そのものが智慧として顕れた境地を意味します。

一般的な金剛界曼荼羅では、大日如来を中央に配し、その四方に阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就の四如来を配置して五智如来を構成します。

しかしながら、この長尾寺の経幢では、幢身四面に四如来の種子のみが刻まれ、大日如来の種子「バン」は確認できませんでした。

この点については、経幢そのもの、あるいは内部の経筒を貫く中心軸が大日如来を象徴しているため、あえて外面に刻まれなかった可能性が考えられます。密教石造物では、中心軸を法界そのものとみなし、その中心に大日如来を観想する例が知られており、本経幢もその思想に基づいて造立された可能性があります。

もしくは、笠石の下面あるいは幢身の上端に「バン(वं)」が刻まれている可能性も否定できません。


(補足)
この経幢に刻まれた四如来の種子は、金剛界曼荼羅に基づく五智如来を表しています。五智如来は、大日如来の智慧が四つの働きとして展開した姿を示すもので、密教における悟りの世界を象徴しています。

金剛界大日如来 種子(梵字):バン(वं)
胎蔵界大日如来 種子(梵字):ア(अ)


また本来、金剛界五智如来は、北に不空成就如来、東に阿閦如来、南に宝生如来、西に阿弥陀如来を配するのが通例です。

2026-07-26五智如来本来の位置


しかし、本経幢では↓のとおり、その配置が時計回りに約90度回転しています。
2026-07-25長尾寺五智如来01

この相違が、後世の移設に伴う方位の変更によるものか、あるいは造立当初から意図された配置であるのかは、現時点では判断できませんでした。



それでは、もう一基の西側の経幢です。

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西側の経幢は弘安六年(1283年)七月の銘があるとされています。

東側の経幢より3年前のものです。東側の経幢に比べて年数以上に風化が進んでいて梵字の判読がなかなか困難でした。


<東面> 不空成就如来 अः(アク)

s-2026-05-14DSC_3591-東面不空成就如来-7

s-2026-05-14DSC_3591-東面

2026-07-25不空成就如来アク01a

<南面> 阿閦如来 हूं (ウーン)

s-2026-05-14DSC_3592-南面阿閦如来

s-2026-05-14DSC_3592-南面z

2026-07-25阿閦如来ウンALL-a

<西面>宝生如来  त्राः(タラーク)

s-2026-05-14DSC_3594-西面宝生如来

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2026-07-25長尾寺経鐘タラーク宝生如来01a

<北面>阿弥陀如来 ह्रीः(キリーク)

s-2026-05-14DSC_3598-北面阿弥陀如来

s-2026-05-14DSC_3598z-北面阿弥陀如来

2026-07-25阿弥陀如来キリーク01a

東側経幢と同じく五智如来を祀ったものでした。そして東西南北面も東側と同じ配置になっていました。

s-2026-05-14DSC_3590西側経幢配置図01


この二基の経幢の作られた弘安6年(1283)と弘安9年(1286)は、二度にわたる元寇(文永・弘安の役)の直後にあたります。

当時は国家の安泰や戦没者の追善供養への関心が高まり、真言宗では国家鎮護を祈願する法要や修法が盛んに行われていました。

長尾寺の二基の経幢も、そのような時代背景のもと、仏法興隆や国家安穏、さらには願主や一族の追善供養、現世安穏を祈願して建立された可能性が考えられます。

ただし、その建立目的を直接示す史料は現時点では確認できておらず、以上は時代背景や密教思想を踏まえた一つの考察です。



-長尾寺の宗派についてー
天平11年(739年)、行基が当地で楊柳に霊夢を感じ、その木で聖観音菩薩像を刻んで堂宇に安置したのが長尾寺の始まりと伝えられています。当初は法相宗の寺院でした。

天長2年(825年)、唐から帰朝した空海は、大日経を一石一字で写経した万霊供養塔(現存せず)を建立するとともに伽藍を整備し、長尾寺は真言宗となりました。

天和元年(1681年)には、高松藩主・松平頼常が堂塔を寄進し、翌々年の天和3年(1683年)には、長尾寺は讃岐七観音の随一とされるとともに、真言宗から天台宗へ改宗しました。