昨日から3日間行われる浅草寺・浅草神社の三社祭がTVニュースで話題になっています。
禁止しても神聖な神輿の上にのる人がたえず、前年は神輿が中止されていたとか。
大切な伝統文化。 続けられるよう、愚行に走る人がでないことを祈るばかりです。
4月下旬に訪れたお江戸のお話の続きです。
この日は4月25日。
建設中の東京スカイツリーを見終わったあと、スナップ撮りで楽しみながら向かった浅草。
(それまでの記事は、書庫「東京津々浦々」をご覧ください。)
人、人、人・・を掻き分けながら雷門、仲見世通りをすすみ、浅草寺へ。
浅草寺
東都金龍山浅草寺図(文政3年(1820年))浅草寺(せんそうじ)は東京都台東区浅草二丁目にある東京都内最古の寺院である。山号は「金龍山」。本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)。元は天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある
雷門
表参道入口の門。切妻造の八脚門で向かって右の間に風神像、左の間に雷神像を安置することから正式には「風雷神門」というが「雷門」の通称で通っている。慶応元年(1865年)に焼失後、長らく仮設の門が建てられていたが昭和35年(1960年)、約1世紀ぶりに鉄筋コンクリート造で再建された。実業家・松下幸之助が浅草観音に祈願して病気平癒した報恩のために寄進したものである。門内には松下電器産業(現パナソニック)寄贈の大提灯がある。三社祭の時と台風到来の時だけ提灯が畳まれる。
風神雷神像は頭部のみが古く、体部は慶応元年(1865年)の火災で焼失後、明治7年(1874年)に補作。昭和35年(1960年)の門再建時に補修と彩色が加えられている。門の背面の間には、「金龍・天龍」の像を安置する。西の金龍(女神)は仏師・菅原安男、東の天龍(男神)は彫刻家・平櫛田中の作で、昭和53年(1978年)に奉納されたものである。
仲見世
雷門から宝蔵門に至る表参道の両側にはみやげ物、菓子などを売る商店が立ち並び、「仲見世」と呼ばれている。商店は東側に54店、西側に35店を数える。寺院建築風の外観を持つ店舗は、関東大震災による被災後、大正14年(1925年)に鉄筋コンクリート造で再建されたものである。
引用元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
風神さまの写真の全面のもや状のものは、風神さまのお部屋を囲っていた網が写り込んだもんです。
あしからず・・。
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(Photo: 2010.4.25 東京浅草 雷門・浅草寺
Camera: CANON EOS 5DMarkⅡ
Lens : CANON EF70-200mm F4L
(Photo: 2010.4.25 東京浅草 雷門・浅草寺
Camera: CANON EOS 5DMarkⅡ
Lens : CANON EF70-200mm F4L
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Camera: Panasonic LUMIX DMC-GF1C)