Michiruブログ

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広島県津々浦々

ヒロシマ VOL5  今

今日から週末まで出張です。
 
沖縄そばと博多ラーメンを食べてきま~す 
 
せっかくいただいたコメントの返信が遅れますことを、お詫び申し上げます 
 
 
 
 
 
昨日は、福島原発事故のメルトダウンが明るみにでました。
 
核容器が破損していることも・・・。
 
でも東電も専門家さんも最初からわかっていたんですよね。
 
 
 
私、4月1日のブログにこんな事を書きました。
 
 
 
***4月1日のブログ**********************************************************
 
福島原発事故。
 
日増しに高まる放射線汚染・・・。
 
 
 
事故後、「冷却しているから大丈夫」、 水素爆発して建屋の一部が吹き飛んでも、「各容器は、何十セ
 
ンチ厚の容器だから放射線の漏れは心配ない・・・・。」 などと、 最初から信じがたい話を、国も東電も
 
保安院も、当時TVにでていた多くの専門家先生達も連呼していましたが、あれって何だったんでしょ
 
う・・・・ 
 
 
 
今 注目は、汚染された水が核容器の外のあちこちに漏れでて、冷却水を循環させるなどのシステム
 
の復旧を妨げていること。
 
 
この汚染水をどこかのタンクに逃がそうと懸命に作業を進めているようです。
 
 
 
まずは核容器に水を大量に注入して、核を冷やす。
注入すればするほど、ここからもれ出る汚染水。
建屋や海洋に漏れでる汚染水を、どこかのタンクのようなものにくみ上げ
 
 
って、このままだと汚染水を貯蔵するタンクがすぐ満杯になって、どうしようもなくなるのでは・・?
 
 
 
どうして、そこのところを誰も口にしないんだろう???
 
汚染水がどこから漏れたのか、そこを塞がない限り、いくら水を注水しても漏れ出るし・・・。
 
 
誰も口にしないのが、一番気になります・・ 
 
 
 
**************************************************************************
 
 
 
結局、1月半以上経った今でも、注入し増え続ける核の汚染水をどうするのか、決まっていないんですよ
 
ね。
 
漏れでているところを塞ぐ手立てがないのでしょうか。
 
もしそうだとすると・・・・・・・、ほんとどうなるんでしょう・・ 
 
 
 
 
 
 
 
 
さてここ最近、諸々の記事と、「ヒロシマ」の写真を交互にUPしています。
 
今日は「ヒロシマ」の写真の続きです。 
 
長々と続けてきたこの記事も、今回を入れてあと2回で終わりです。
 
重いテーマですが、見ていただければさいわいです。
 
 
 
もともと2月にupするつもりでいたのですが、今回の震災と福島原発事故により自粛していました。
  
「ヒロシマ」の写真は、この写真を撮りたいがために、今年2月に 2回にわたって撮影旅行してきて撮っ
 
たものです。
 
 
 
広島への原爆投下。
 
魔の惨状から、まだたった66年しか経っていません。
 
実際におこったこと。 それも天災でない人間のおこなったこと・・・。
 
何を感じ、何をすべきか・・・。
 
平和で安全な世の中であって欲しいと、切に思います・・・。
 
 
 
 
 
今回は、 「ヒロシマ VOL5  今」 です。
 
過去UPしました写真もあわせてご覧ください。
 
 
「ヒロシマ VOL1 悪魔の閃光」
 
 
 「ヒロシマ VOL2  破壊Ⅰ」 
 
ヒロシマ VOL3  破壊Ⅱ

http://blogs.yahoo.co.jp/michiru_photo/23891939.html 
 
 
 ヒロシマ VOL4  破壊Ⅲ
 
 
 
 
アジアにおける欧米列国の植民地支配の開放をうたい、大東亜共栄圏の名のもとに、アジア諸国へ侵
 
攻した日本。
 
 
 
開戦当初こそ、勢いはよかったものの、1942年のミッドウエイ海戦で大敗をきしてからというもの、翌
 
43年 ガダルカナル撤退。 44年、レイテ沖海戦の大敗と、アジアの拠点をことごとくなくし、撤退の一
 
途をたどる。
 
 
 
45年 ついに硫黄島において日本軍玉砕。 沖縄においても悲惨な殺戮が行われ・・・。
 
 
同年7月26日 アメリカ、イギリス、中国より日本の無条件降伏を求めるポツダム宣言発表。
 
 
 
8月6日 マリアナ諸島テニアン島から出撃したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」号が、広島上空にいた。
 
午前8時15分17秒、  エノラ・ゲイ号から原爆リトルボーイが投下され、相生橋よりやや東南の島病院
 
付近高度約600メートルの上空で核分裂爆発を起こした。
 
 
爆心地500m圏内では閃光と衝撃波が殆ど同時に襲った。巨大な爆風圧が建築物の大半を一瞬にして
 
破壊した。 木造建築は全数が全壊した。   鉄筋コンクリート建築である産業奨励館は垂直方向の
 
衝撃波を受けて天蓋部は鉄骨を残して消失、一部の外壁を残して大破した。  相生橋や元安橋の石 
 
の欄干も爆風で飛ばされた。
 

また強力な熱線により屋外にいた人は、内臓組織に至るまで全身の水分が蒸発・炭化した遺体が道路
 
などに大量に残された。
 

爆心地を通過していた路面電車は炎上したまま遺骸を乗せて、慣性力で暫く走り続けた。  吊革を手
 
で持った形のままの人や、運転台でマスター・コントローラーを握ったまま死んだ女性運転士もいた。
 
 
これは実戦で使われた世界最初の核兵器である。
 
この一発の兵器により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち約14万人が死亡したとされる。
 
 
 
太平洋戦争(当時の日本では大東亜戦争、アメリカでは第二次世界大戦太平洋戦線)における日本本
 
土での直接戦(本土決戦)を避け、早期に決着させるために原子爆弾が使用されたという説(アメリカ政
 
府公式説)と、第二次世界大戦後の世界覇権を狙うアメリカが、原子爆弾を実戦使用することによりそ
 
の国力・軍事力を世界に誇示、併せてその放射線障害の人体実験を行うためであったという説、また当
 
時の日本軍のアジア支配への報復的措置として原子爆弾が投下されたという説がある。
 
 
(一部引用・・・引用元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
 
 
 
 
 
原爆投下から66年経った今、このあたりも当時から様変わりしています。
 
当時をそのまま残した原爆ドームも老朽化がすすんでいるそうです。
 
この忌まわしい出来事と、戦争の悲惨さを後世に伝えるためにも、なんとかこの建物が存続してもらいた
 
いものです。
 
 
 
平和な今。
 
この平和を守る為に、悲惨な歴史を絶対繰り返してはいけません・・・。
 
 
 
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*横サイズの画像は、画像右下の「+」をクリックすると拡大します。
 
 
(Photo: 2011.2.19+ 2.25  広島市原爆ドーム
    Camera: CANON  F-1
  Lens    : CANON   FD50mm  f/1.4  + シグマ 100-200mm 1:4.5
   Film    : Kodak  T-max100 ) 
 
 

尾道 千光寺公園と千光寺 vol1

先週 金曜日から奥様と京都にお出かけしていました。
 
昨夜 高松に帰ってきましたが、ふらふら状態・・・ 


 
 
 
ちょうど昨日、葵祭りがあったので、軽い気持ちで行ったのが間違いでした。
 
葵祭りの、あまりの人の多さにノック・アウトされて帰ってきました・・・ 
 
 
 
京都に訪れている間、このブログにお越しいただいた訪問者数が二日間で2千人以上でした。
 
11日にupした今治の焼鳥の記事が、ヤフーブログの何かに紹介されたのかな?
 
ビックリしました 
 
 
 
そんなこんなで、せっかくいただいたコメントの返信が遅れています。
 
また皆様のところにもお邪魔できていません。
 
 
 
また今週は水曜日から週末まで、遠地出張でなかなか更新できません。
 
ごめんなさい。    しばし、しばし、お待ちくださいませ~ 


 
 
 
 
 
さて、今治の焼鳥の記事からはじまりました新シリーズの続きを再開します
 
 
 
1ケ月前の4月中旬。
 
高松を出発し、愛媛県今治(いまばり)から、しまなみ海道を渡り、尾道、呉へとお出かけしてきました。
 
 
最初に向かったのは今治。
 
ブロ友さんに紹介され、超美味しい「焼鳥」をいただきました 
 
 
 今治の焼鳥 「よりみち」

http://blogs.yahoo.co.jp/michiru_photo/24104184.html
 
 
初日は日本一美味しい焼鳥を堪能し、2日目はしまなみ海道を渡り、尾道に到着。
 
尾道では、尾道の市街地や尾道水道を一望できる千光寺公園に向かいました。
 
 
 
ここは桜の名所でもあるようで、若干散りかけている時期ではありましたが、大勢のお花見客で賑わっ
 
ていました。
 
 
千光寺公園の中に千光寺があります。
 
3回に分けて、千光寺公園と千光寺の写真をupします。
 
 

 
 
 
 
 
 
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*横サイズの画像は、画像右下の「+」をクリックすると拡大します。
 
 
(Photo: 2011.4.16  広島県尾道市千光寺公園と千光寺
         Camera: CANON EOS 5DMarkⅡ
       Lens   : 1,3,5,6枚目 CANON EF28-70mm  f/2.8L USM
          2枚目       CANON EF70-200mm f/4L IS USM
          4枚目        CANON EF17-40mm f/4L USM)
        

ヒロシマ VOL4  破壊Ⅲ

明日は、朝早くから京都にお出かけしてきます。
 
前回 京都を訪れたのが2月のこと。  まだまだ寒さが厳しい季節でした。
 
今は緑がとてもきれいで、明日からのお出かけが楽しみです。
 
 
 
せっかくいただいたコメントの返信が遅れますことを、お詫び申し上げます 
 
 
 
 
さてここ最近、諸々の記事と、「ヒロシマ」の写真を交互にUPしています。
 
今日は「ヒロシマ」の写真の続きです。 
 
重いテーマですが、見ていただければさいわいです。
 
 
 
もともと2月にupするつもりでいたのですが、今回の震災と福島原発事故により自粛していました。
  
「ヒロシマ」の写真は、この写真を撮りたいがために、今年2月に 2回にわたって撮影旅行してきて撮っ
 
たものです。
 
 
 
広島への原爆投下。
 
魔の惨状から、まだたった66年しか経っていません。
 
実際におこったこと。 それも天災でない人間のおこなったこと・・・。
 
何を感じ、何をすべきか・・・。
 
平和で安全な世の中であって欲しいと、切に思います・・・。
 
 
 
 
 
今回は、 「ヒロシマ VOL4  破壊Ⅲ」 です。
 
過去UPしました 「ヒロシマ VOL1 悪魔の閃光」、「ヒロシマ VOL2  破壊Ⅰ」、 「ヒロシマ VOL3
 
破壊Ⅱ」 の写真もあわせてご覧ください。
 
 
「ヒロシマ VOL1 悪魔の閃光」
 
 
 「ヒロシマ VOL2  破壊Ⅰ」 
 
 
ヒロシマ VOL3  破壊Ⅱ

http://blogs.yahoo.co.jp/michiru_photo/23891939.html 
 
 
 
 
アジアにおける欧米列国の植民地支配の開放をうたい、大東亜共栄圏の名のもとに、アジア諸国へ侵
 
攻した日本。
 
 
 
開戦当初こそ、勢いはよかったものの、1942年のミッドウエイ海戦で大敗をきしてからというもの、翌
 
43年 ガダルカナル撤退。 44年、レイテ沖海戦の大敗と、アジアの拠点をことごとくなくし、撤退の一
 
途をたどる。
 
 
 
45年 ついに硫黄島において日本軍玉砕。 沖縄においても悲惨な殺戮が行われ・・・。
 
 
同年7月26日 アメリカ、イギリス、中国より日本の無条件降伏を求めるポツダム宣言発表。
 
 
 
8月6日 マリアナ諸島テニアン島から出撃したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」号が、広島上空にいた。
 
午前8時15分17秒、  エノラ・ゲイ号から原爆リトルボーイが投下され、相生橋よりやや東南の島病院
 
付近高度約600メートルの上空で核分裂爆発を起こした。
 
 
爆心地500m圏内では閃光と衝撃波が殆ど同時に襲った。巨大な爆風圧が建築物の大半を一瞬にして
 
破壊した。 木造建築は全数が全壊した。   鉄筋コンクリート建築である産業奨励館は垂直方向の
 
衝撃波を受けて天蓋部は鉄骨を残して消失、一部の外壁を残して大破した。  相生橋や元安橋の石 
 
の欄干も爆風で飛ばされた。
 

また強力な熱線により屋外にいた人は、内臓組織に至るまで全身の水分が蒸発・炭化した遺体が道路
 
などに大量に残された。
 

爆心地を通過していた路面電車は炎上したまま遺骸を乗せて、慣性力で暫く走り続けた。  吊革を手
 
で持った形のままの人や、運転台でマスター・コントローラーを握ったまま死んだ女性運転士もいた。
 
 
これは実戦で使われた世界最初の核兵器である。
 
この一発の兵器により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち約14万人が死亡したとされる。
 
 
 
太平洋戦争(当時の日本では大東亜戦争、アメリカでは第二次世界大戦太平洋戦線)における日本本
 
土での直接戦(本土決戦)を避け、早期に決着させるために原子爆弾が使用されたという説(アメリカ政
 
府公式説)と、第二次世界大戦後の世界覇権を狙うアメリカが、原子爆弾を実戦使用することによりそ
 
の国力・軍事力を世界に誇示、併せてその放射線障害の人体実験を行うためであったという説、また当
 
時の日本軍のアジア支配への報復的措置として原子爆弾が投下されたという説がある。
 
 
(引用元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
 
 
 
 
 
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*横サイズの画像は、画像右下の「+」をクリックすると拡大します。
 
 
(Photo: 2011.2.19+ 2.25  広島市原爆ドーム
    Camera: CANON  F-1
  Lens    : CANON   FD50mm  f/1.4  + シグマ 100-200mm 1:4.5
   Film    : Kodak  T-max100 ) 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ヒロシマ VOL3  破壊Ⅱ

さてここ最近、諸々の記事と、「ヒロシマ」の写真を交互にUPしています。
 
今日は「ヒロシマ」の写真の続きです。 
 
重いテーマですが、見ていただければさいわいです。
 
 
 
もともと2月にupするつもりでいたのですが、今回の震災と福島原発事故により自粛していました。
  
「ヒロシマ」の写真は、この写真を撮りたいがために、今年2月に 2回にわたって撮影旅行してきて撮っ
 
たものです。
 
 
 
広島への原爆投下。
 
魔の惨状から、まだたった66年しか経っていません。
 
実際におこったこと。 それも天災でない人間のおこなったこと・・・。
 
何を感じ、何をすべきか・・・。
 
平和で安全な世の中であって欲しいと、切に思います・・・。
 
 
 
 
 
今回は、 「ヒロシマ VOL3  破壊Ⅱ」 です。
 
過去UPしました 「ヒロシマ VOL1 悪魔の閃光」、「ヒロシマ VOL2  破壊Ⅰ」 もあわせてご覧くだ
 
さい。
 
 
「ヒロシマ VOL1 悪魔の閃光」
 
 
 「ヒロシマ VOL2  破壊Ⅰ」 
 
 
 
 
アジアにおける欧米列国の植民地支配の開放をうたい、大東亜共栄圏の名のもとに、アジア諸国へ侵
 
攻した日本。
 
 
 
開戦当初こそ、勢いはよかったものの、1942年のミッドウエイ海戦で大敗をきしてからというもの、翌
 
43年 ガダルカナル撤退。 44年、レイテ沖海戦の大敗と、アジアの拠点をことごとくなくし、撤退の一
 
途をたどる。
 
 
 
45年 ついに硫黄島において日本軍玉砕。 沖縄においても悲惨な殺戮が行われ・・・。
 
 
同年7月26日 アメリカ、イギリス、中国より日本の無条件降伏を求めるポツダム宣言発表。
 
 
 
8月6日 マリアナ諸島テニアン島から出撃したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」号が、広島上空にいた。
 
午前8時15分17秒、  エノラ・ゲイ号から原爆リトルボーイが投下され、相生橋よりやや東南の島病院
 
付近高度約600メートルの上空で核分裂爆発を起こした。
 
 
爆心地500m圏内では閃光と衝撃波が殆ど同時に襲った。巨大な爆風圧が建築物の大半を一瞬にして
 
破壊した。 木造建築は全数が全壊した。   鉄筋コンクリート建築である産業奨励館は垂直方向の
 
衝撃波を受けて天蓋部は鉄骨を残して消失、一部の外壁を残して大破した。  相生橋や元安橋の石 
 
の欄干も爆風で飛ばされた。
 

また強力な熱線により屋外にいた人は、内臓組織に至るまで全身の水分が蒸発・炭化した遺体が道路
 
などに大量に残された。
 

爆心地を通過していた路面電車は炎上したまま遺骸を乗せて、慣性力で暫く走り続けた。  吊革を手
 
で持った形のままの人や、運転台でマスター・コントローラーを握ったまま死んだ女性運転士もいた。
 
 
これは実戦で使われた世界最初の核兵器である。
 
この一発の兵器により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち約14万人が死亡したとされる。
 
(引用元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
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*横サイズの画像は、画像右下の「+」をクリックすると拡大します。
 
(Photo: 2011.2.19+ 2.25  広島市原爆ドーム
    Camera: CANON  F-1
  Lens    : CANON   FD50mm  f/1.4  + シグマ 100-200mm 1:4.5
   Film    : Kodak  T-max100 ) 
 
 
 
 

ヒロシマ VOL2  破壊Ⅰ

皆さん、ゴールデン・ウィークをどうお過ごしでしょうか。
 
大型連休をとられて遠くまでお出かけしている方も多いのでは・・。
 
 
 
私はというと、高速道路の渋滞とかホテルのお休み料金を避けて、お泊り旅行は見合わせました 
 
とはいえ、せっかくのお休み。
 
 
 
GW初日は、瀬戸大橋をわたって岡山県倉敷へ。  倉敷散策のあと、岡山市内に入り、あの”デミカツ
 
丼”を生まれて初めて食べてきました~~
 
 
 
今日は、朝一番からお出かけして映画「八日目の蟬」を見てきました。
 
この映画、私の生まれ故郷の島が舞台になっています。
 
 
永作博美さんの演技が秀逸でした。
 
最後のほうは、もう涙が・・・。
 
歳をとると涙もろくなるのでしょうか・・・ 


 
 
 
 
 
さて、ここ最近、愛媛県「とべ動物園」の動物達と、「ヒロシマ」の写真を交互にUPしています。
 
今日は「ヒロシマ」の写真の続きです。 
 
 
 
もともと2月にupするつもりでいたのですが、今回の震災と福島原発事故により自粛していました。
 
しばらくこの写真を封印しようと思ったこともありましたが、あえてこの時期に発表することにしました。
 
 
 
ブログにupしているほとんどの写真は、観光がてらに撮ったものですが、今回の写真は、この写真を撮
 
りたいがために、今年2月に 2回にわたって撮影旅行してきて撮ったものです。
 
 
 
広島への原爆投下。
 
魔の惨状から、まだたった66年しか経っていません。
 
実際におこったこと。 それも天災でない人間のおこなったこと・・・。
 
何を感じ、何をすべきか・・・。
 
平和で安全な世の中であって欲しいと、切に思います・・・。
 
 
 
 
 
今回は、 「ヒロシマ VOL2  破壊Ⅰ」 です。
 
前回UPしました 「ヒロシマ VOL1 悪魔の閃光」 もあわせてご覧ください。
 
 
アジアにおける欧米列国の植民地支配の開放をうたい、大東亜共栄圏の名のもとに、アジア諸国へ侵
 
攻した日本。
 
 
 
開戦当初こそ、勢いはよかったものの、1942年のミッドウエイ海戦で大敗をきしてからというもの、翌
 
43年 ガダルカナル撤退。 44年、レイテ沖海戦の大敗と、アジアの拠点をことごとくなくし、撤退の一
 
途をたどる。
 
 
 
45年 ついに硫黄島において日本軍玉砕。 沖縄においても悲惨な殺戮が行われ・・・。
 
 
同年7月26日 アメリカ、イギリス、中国より日本の無条件降伏を求めるポツダム宣言発表。
 
8月6日 マリアナ諸島テニアン島から出撃したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」号が、広島上空にいた。
 
 
 
午前8時15分  エノラ・ゲイ号から 悪魔が放たれた。
 
上空にきのこ雲が舞い上がり、地上では一瞬にしてすべてが焼き尽くされた。
 
この広島に投下された原爆でなくなった人は、実に14万人といわれる。
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
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*横サイズの画像は、画像右下の「+」をクリックすると拡大して綺麗な画像になります。
 
(Photo: 2011.2.19+ 2.25  広島市原爆ドーム
    Camera: CANON  F-1
  Lens    : CANON   FD50mm  f/1.4  + シグマ 100-200mm 1:4.5
   Film    : Kodak  T-max100 ) 
 
 
 
 
 

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