Michiruブログ

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バイクでお出かけ(四国)

四国中央市まで行ってきました! VOL3「川之江城」編

前日記事の続きでがす

川之江までやってきたので、川之江城も見ていきましょうかねえ(*゚∀゚)っ

ナビちゃんに道を教えてもらいながら・・

川之江城天守閣横の駐車場へ。

この駐車場までの道が細いうえにクネクネの急坂。 対向車が来なくてよかった・・・ ε-(´∀`*)ホッ

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この一帯が公園になってます。 いくつもベンチがあって、お弁当持ってくるのも良さげ~~~(・∀・)

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平日ということもあって、草刈りしている人しかいませんでした。(^^;

駐車場からお城へ。

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櫓門。 ここをくぐり・・・
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天守閣が見えてきました。
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【川之江城】
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―川之江城―
昭和61年に天守閣、涼櫓、櫓門、空塀などが整備された川之江城。 瀬戸内の島々の眺望が素晴らしく 桜の名所として多くの観光客が訪れています。

【歴史】 別名、仏殿城と呼ばれる川之江城は、南北朝時代に伊予の太守河野氏が讃岐を支配する細川氏の侵略に備え、部将の土肥義昌に命じて築かせました。以降、讃岐、阿波、土佐に国境であったことから隣国との抗争の的となり、そのたび多くの将兵の血を流した城です。 城跡は本丸付近の石垣に僅かに名残りを留めるに過ぎ ませんでしたが旧川之江市制施行 30周年記念事業として城の再建がなされました。
●入場料:大人
100円
小・中学生 50円
※30名様以上の団体...2割引料金
駐車場 10台程度
設備 トイレ
開館時間
9:00~16:00
●定休日 月曜日(祝日の場合、翌平日)
12/29-1/3
●四国中央市川之江町1087-4
問い合わせ先
0896-28-6267
(川之江城天守閣)
0896-28-6187
(四国中央市役所観光交通課)


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【川之江城史】
南北朝動乱の頃 (約650年前) 南朝方、河野氏の砦として、土肥義昌が延元二年 (1337) 鷲尾山 (城山) に川之江城を築いた。
興国三年(1342) 北朝方、 細川頼春が讃岐より七千の兵を率いて攻めてきた。 義昌は出城の畠山城主由良吉里と共に防戦したが破れ、城を落ちのびて各地を転戦した末、 武蔵国矢口の渡で戦死をしている。

細川氏の領有後、河野氏に返され、城主は妻鳥友春になった。 元亀三年(1572) 阿波の三好長治が攻めいったが、撃退している。

土佐の長曽我部氏の四国平定の力に抗しきれなかった友春は、河野氏に背いて長曽我部に通じた。 怒った河野氏は河上但馬守安勝に命じて、城を攻めとらせた。 天正七年(1579) 前後のことと思われる。 河上但馬守は、轟城の大西備中守と戦い、討たれたという話も残っているが、 天正十年(1582) 長曽我部氏の再度の攻撃に破れ、戦死落城している。 その時、姫ケ獄より年姫が飛び込んで自殺したという悲話 伝説も残っている。

天正十三年(1585) 豊臣秀吉の四国平定に破れ、 小早川、 福島、 池田、 小川と目まぐるしく領主が替り、 加藤嘉明の時、最終的に廃城になった。

数々の攻防は、 川之江が地理的に重要な位置にあった為の悲劇ともいえる。
戦国の世も終わった寛永十三年(1636) 一柳直家が川之江藩28,600石の領主になり、 城山に城を築こうとしたが、 寛永十九年(1642) 病没。 領地は没収されて幕領となり、明治に至ったため、わずか六年の「うたかたの川之江藩」 で終わった。

その後年月を経て城跡は、本丸附近の石垣に僅かに名残りを留めるに過ぎな かったが、川之江市制施行30周年記念事業として、市民の浄財を基に城の再建が計画され、昭和59年度より城山公園整備事業として着手した。 建築にあたっては、日 本城郭の権威者である東京工業大学名誉教授藤岡通夫博士の指導を受けた。 昭和 61年6月30日本丸跡に天守閣が完成した。 涼櫓櫓門隅櫓・控塀も順次完成し、園路広場の面整備の完了をもって昭和63年3月31日城山公園整備事業は全て完了し た。


ということは・・

天守閣の当時の資料もなく、当時の面影は誰も知る由もないんでしょうね。(^^;

せっかくここまで来たので、100円という超お安い入場料を払って、天守閣の内部を見学してきました。

おじゃましまんねやわ (・∀・)
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古墳から出土した土器の展示や・・
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実在した川之江城の瓦??
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鎧に槍。
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槍の先には”かえし”がついてて・・・

こんなのでブスッとやられたら・・・ヽ(ヽ゚ロ゚)ヒイィィィ!!! (><)タチケテ~~~
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夜中になると、この鎧がお城の中を歩きだすのだとか・・
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知らんけど・・ (゚∀゚)アヒャ

天守閣最上階からは川之江市街が見渡せました。

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川之江、伊予三島は、丸住製紙、大王製紙等があり、製紙産業が盛んな地域です。

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お城見学もいいもんですね。 ('▽'*)ニパッ♪


この日は、新緑が眩い山の中にある「霧の森菓子工房」で幻のスイーツと言われる「霧の森大福」を、そして愛媛県東予地方でソウルフードと言われる復活した「万長ラーメン」を購入し、川之江城を見学して、四国中央市をあとにしました。v( ̄∇ ̄)v





四国中央市まで行ってきました! VOL2「万長ラーメン」編

前回記事の続きだす

幻のスイーツと言われる『霧の森大福』をゲットして、新緑眩い山から市街地へと下りてきました。

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二つ目の目的地に行く前に、お昼ご飯っす。(*゚∀゚)っ

ラーメン屋さん、発見!!
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おじゃましまんねやわ。(・∀・)
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メニューだす
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ここはシンプルに、とんこつラーメンと・・・

セットのカレーが、10円!! w(゚o゚)w オオー!  これも頼んじゃいましょ♪

とんこつラーメン、着丼!
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ちょっと遅れて、セットの10円カレーも登場。
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とんこつラーメン、普通においしゅうございました。

セットの10円カレー。 お味は別にして、お腹の足しになりました。(^^;


さて、二つ目の目的地に 
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ここは地元のスーパー「木村チェーン 川之江店」さん。

店内でお目当ての品、発見!! 
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万長ラーメン!!

棒ラーメンといえば、福岡のマルタイラーメンが有名ですが、万長ラーメンは、ここ愛媛県東予地方では知らない人はいないと言われるソウルフードらしいっす。オオーw(*゚o゚*)w


【東予で長年愛されてきた万長ラーメン】

「万長ラーメン」は、1959年に愛媛県新居浜市の安葉製粉が製造・販売を始めたご当地即席ラーメン。 棒状の乾めんとスッキリしてクリアながら、濃厚な旨味のある独特のスープが半世紀にわたり支持され、新居浜の名産品になっていました。

製造元の安葉製粉。 従業員18人(一時期16人)の小規模な会社で半世紀にわたり万長ラーメンを提供し続けていましたが、2009年 原油高騰、小麦粉の高騰、取引先倒産による不良債権等々が原因で経営が行き詰まり倒産してしまいました。

いったんは姿を消した万長ラーメンですが、「みんなが大好きなあの味を復活させたい!」という思いから、新居浜に本社を置くスーパー「木村チェーン」の木村社長さんが、新居浜市や西条市の有志達とともに研究を重ねて同じ味を2010年に復活させました。

スープや麺だけでなく、パッケージも昔からのデザインを踏襲しているそうです。


こんなことをネットニュースで知り、今回 万長ラーメンを買いにきたわけです。(* ̄∇ ̄*)エヘヘ

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万長ラーメン、ゲットだぜ~~~v( ̄∇ ̄)v


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パッケージの裏面を見て・・

w(゚o゚)w オオー! 製造者欄に「岡本製麺(株)」の名前が 

岡本製麺さんといえば、「乾麺蕎麦の道」の9蕎麦目に食した「祖谷そば」の製造会社。

乾麺蕎麦の中でも、ひときわ力強い特徴ある麺が印象的でした。


あの岡本製麺さんが、万長ラーメン復活のお手伝いをされてたんですね。(^_^)

後日、奥様に作ってもらいましたよ。
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お決まりの・・・

麺・リフト~~~・アップ
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ズルルルr・・

おおお! まいう~~~~.。゚+.(・∀・)゚+.゚

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見た目は薄味そうですが、濃厚ながらにしてスッキリとした塩とんこつスープ。 麺は細麺ながらもしっかりした麺。 岡本製麺さんの「祖谷そば」の麺の食感に通じるものを感じました。(^^)

ほんと、おいしいっす。 癖になるお味!!

また東予地方まで足を延ばした時は、買ってこようっと。('▽'*)ニパッ♪


-四国中央市まで行ってきました! VOL3に続く-



四国中央市まで行ってきました! VOL1「霧の森大福」編

お化粧して”べっぴんしゃん”になったVストちゃん!

お化粧した翌日(先月末)、お披露目ツーリングに行ってきましたよ v( ̄∇ ̄)v

お家を出発して約1時間。

川之江(愛媛県四国中央市)から、山の方へ進みます。

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「新緑がまぶしい」という言葉がピッタリです。

山間にポツンと学校が 

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川にかかる橋には、気持ちよさそうに鯉幟が泳いでいました。('▽'*)ニパッ♪
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こういうのどかなところの学校って、いいですね~~~(^∀^)
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なにやら大きな垂れ幕がかかっていました。

ズームアップ

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真鍋淑郎パイセンの文字が!! (・∀・)

ここ四国中央市立新宮小中学校は、2021年にノーベル物理学賞を授賞した真鍋淑郎氏の母校でした。

真鍋淑郎



<真鍋淑郎氏の功績>
地球温暖化研究のパイオニアとしての功績 プリンストン大学上席研究員の真鍋淑郎博士が、現代の気候研究の基礎を築いたことから、2021年にノーベル物理学賞を授賞しました。 真鍋博士は、1960年代から複雑な気候変動についてシンプルなモデルを作り、世界で最初に、地球温暖化の数値計算を行った人でもあります。

<生い立ち>
1931年(昭和6年)、日本の愛媛県宇摩郡新立村(現:四国中央市新宮町)に生まれる。祖父と父は医師で、村で唯一の医院を営んでいた。

新宮尋常高等小学校(現・四国中央市立新宮小中学校)に通い、卒業。 同級生の中でも、特に成績優秀で勉強好きだった。同級生が遊びに行っても、眞鍋だけはいつも勉強していたという。気象に対する興味が当時から強く、「日本は台風が来ないと雨が少ない」などと同級生に語っていた。


いずれまたこののどかな地の学校から偉人が輩出されるかもしれませんね。(^_-)-☆


ここから3km程進んだところが、この日の最初の目的地!

とうちゃこ~~( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
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目的地に行く前に、目に飛び込んできたのが・・
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【馬立本陣】
土佐藩が六代藩主山内豊隆候の享保三年(1718年)から十六代藩主山内 豊範候の文久二年(1862年)までの 間に渡り、参勤交代の際に本陣としていた屋敷跡。

建物は明治三十年の火災で焼失してしまったが、約1000mmにも及ぶ敷地は石垣の上に高さ1.8mの銃眼を備えた土塀で囲まれており、内側は御殿、藩士宿所等のほか、駕籠が50丁並ぶほどの広大な庭があったと言われている。

正門は明治初期に金川村(市内金田町)の円徳寺に移築されていたものが、 昭和五十八年に返戻され元の場所に復元されたものであり、石垣と並び当時の 面影を残している。

なお、正門までの登りは現在石段であるが、当時は勾配がもっとゆるく、たたきであった。

四国中央市教育委員会


ちなみに、ここの場所は↓ のとおり。(☆のところ)
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画像の馬立本陣の左側の上部に写っているのは、高知自動車道。

自動車も汽車もない時代。参勤交代のために何日もかけて、高知から大勢の家臣を引き連れ江戸まで行ってたなんて、今の時代だと想像もできませんよね(^^;
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さて、いよいよだす

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じゃ~~~ん!! ここは、霧の森菓子工房さんヾ(´ω`=´ω`)ノ

おじゃましまんねやわ (・∀・) 

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これ、これ!!

霧の森大福HP

幻のスイーツと言われる『霧の森大福』。

『霧の森大福』とは?
愛媛県が誇る絶品スイーツのひとつ、『霧の森大福』。店頭に並ぶと即完売の人気は衰え知らず、ネット通販は抽選で倍率100倍超との噂、今や幻のスイーツとも呼ばれています。

ここ新宮町は愛媛のお茶どころ。『霧の森大福』は地元の新宮茶をふんだんに使って作られています。

―贅沢なまでの製法―
なんとこの大福は4重構造。中心にクリーム、そのまわりにこしあん、そしてそれらを抹茶を練りこんだ餅でくるんだうえ、さらに1個ずつ抹茶をまぶしています。
通常は粉つけ機とよばれる機械で粉をまぶすのですが、それでつけられる抹茶はほんのわずか。これではよくある抹茶大福になってしまいます。そこで当店では1個ずつ丁寧に手作業で抹茶をまぶす製法を採用。機械とはまるで異なり、これでもかと抹茶がたっぷり。通常なら原価を気にして申し訳程度にうっすらまぶす抹茶ですが、当店はお茶の産地だからこそできる贅沢な抹茶(地元の新宮茶)の味わいをお届けします。
1個50gの小さめ一口サイズ。実はこれ以上大きくなると、抹茶、こしあん、クリームがそれぞれに自己主張をはじめてしまい、ハーモニーが楽しめません。大きさにもおいしさのヒミツがあったのです。
1個ずつ個包装のうえ外箱も丁寧に包装されていますから、ご進物にも 適しています。


以前、松山店でこの霧の森大福を買ったことがあります。 平日でしたが、開店時間に、あっという間に行列ができていました。



1箱ゲットだぜ~~~(* ̄∇ ̄*)エヘヘ

このために、保冷剤を入れたクーラーバッグを持ってきていましたよ♪
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菓子工房の向こう側には、馬立川を渡る橋があり、さらにその向こう側は道の駅。
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馬立川まで下りる遊歩道も整備されていました。

馬立川を流れる清流の美しいこと!! w(゚o゚)w オオー!

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癒されるなあ~~(´∀`*)


さて、霧の森大福! お家に持ち帰り、奥様と一緒にいただきました。('▽'*)ニパッ♪

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パクッ

豊かな抹茶の香りと上品なクリーム/餡のハーモニーが、最高においひ~~~('▽'*)ニパッ♪

皆さんも、機会があれば是非 ご賞味くださいませませ~~~v( ̄∇ ̄)v

まじ、おすすめです!!


ps:四国中央市ツーリング記事は続きます。イエ~~イ!(*^・ェ・)ノ



W800で行く「小松島市の金長たぬき」

前日記事の続きでがす

うりぼうさんで、濃厚かつクリーミーな美味しい徳島ラーメンをいただき・・

お次に立ち寄ったのは、徳島市の南に位置する小松島市のココ!
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公園の前の方に何やらでっかいのがいますよ。(つд⊂)ゴシゴシ
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【金長たぬき像の由来(小松島町・たぬき広場)】

江戸時代の天保年間、日開野に金長というたぬきが住んでいた。 ある時、村の子供達が枯れ葉を燃やし、 穴の中の金長をいぶり出そうとしていたところ、日開野の染物屋「大和屋」の主人、茂右衛門が通りかかり、 哀れに思って命を助けた。 金長は、恩に報いるため「大和屋」に移り住んで、 守り神になり、店は大いに繁盛した。

 金長はその後、四国狸総大将津田浦の六右衛門の許に修行に出て、化学(ばけがく)に勤しんだ。六右衛門は、頭角をあらわした金長の才覚に目を付け娘の小芝姫の婿にと望んだが、金長は「大和屋」への恩義から 六右衛門の申し出を辞退した。 六右衛門の家来、作右衛門ら四天王はこれを主君への逆心と思い込み金長とその家来を襲った。

 かろうじてひとり日開野へ逃れた金長。 津田山の高坊主の仲裁も叶わず、両軍兵を挙げた。この戦いは、 阿波の狸界を二分する激しさとなった。世にいう「阿波狸合戦」である。両軍激闘の末、ついに六右衛門は討死。金長も深手を負い、せめてご主人の茂右衛門に別れを告げようと、やっとの思いで「大和屋」に帰ってきた。金長は茂右衛門に優しくしてもらった礼を言い、 静かに息を引き取った。彼の生き様に感激した茂右衛門は、正一位金長大明神として長くたたえたという。
(金長たぬきの民話)

素材・青銅製
第八十八番 たぬき広場 (金だぬき)

でっかい金長たぬき像でしたよ。 (・∀・)
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「金長たぬきの前に立って手をたたいて下さい。 なにかおもしろいことがおこりますよ。」だって!?

何がおこるか、わかりますか~~~????

正解は、この記事の最後に動画をアップしてます。 そこで確認してみてくださいね~~。
なお、この動画は、必ず最後まで見てくださいね~~!!(゚∀゚)アヒャ

その他、公園のまわりには、いろんなお狸さんもいましたよ。(・∀・)
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<金長・小松島側大将>
日本や中国の古い諺に通じ、恩義に厚いたぬきで、修行のために訪れていた四国の総大将 津田の六右衛門に将来たぬき界の総大将となって自分の地位を危うくするのではないかと、その器量を恐れられていました。
そのことが、 後の阿波のたぬき合戦の原因になったわけですが、 金長にしてみれば自分の栄達など考えたこともなく、ただただ衛門への恩返しを考えていただけなのでビックリしたと伝えられています。


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<衛門三郎・参謀長>
若い頃は非常に勇敢で、数々の武勇伝を持つたぬきでした。家来からの信頼も厚く、 金長側の参謀長と
して金長をおおいに助けました。 阿波のたぬき合戦では、緻密な作戦 (忍者を使って集めた情報を基礎に) を企て、 金長側(勝浦川を挟んで小松島市側)を勝利に導いたと伝えられています。


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<田浦太左衛門・軍師>
北辰一刀流の達人で、 金長と大鷹の剣の師匠でした。 年寄りのたぬきで、たくさんの家来と門下生を引きつれていました。 阿波のたぬき合戦では、軍師として衛門三郎とともに見事な采配で小松島側を助けたと伝えられています。


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<藤の樹寺の大鷹(旗本)・小鷹 熊鷹>
金長がもっとも信頼していた家臣で、 金長とともに田浦太左衛門に剣を学びました。金長とともに修行を行っていた津田穴観音 から逃げ帰る途中、 金長を庇って亡くなりました。 父が亡くなった後、 小鷹と熊鷹の兄弟は若くして阿波のたぬき合戦に参加して父の仇をとりました。 金長の亡き後、 兄小鷹は金長を襲名したと伝えられています。


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<一本松のおたけ・忍者 (くの一) >
小松島側の女たぬきの中の一人です。 阿波のたぬき合戦では、金の鶏・火の玉・天真などの仲間とともに敵状の偵察などを行ない、御門三郎が戦略を企てる役に立ちました。
その他の女たぬきで忘れてならないのが津田六右衛門の娘、 鹿の子姫です。 鹿の子姫は、修行中の金長を慕うやさしいたぬきで、 六右衛門が金長を襲撃したことを悲しみ、 川に身を投げて死んでしまったと伝 えられています。


なかなか面白そうそうなストーリーですね。(^_-)-☆

お狸さん以外にも、こんな像が・・。
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いったん このたぬき広場を出てみると・・

周辺にも たぬき・たぬき・たぬき・・・(・∀・)

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たぬき広場の北側にも広場がありましたよ。('▽'*)ニパッ♪
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こちらは「SL記念ひろば」!

周辺は、汽車・電車関連っすね~~~(☆゚∀゚)
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こちらは、汽車・電車に関係ないニャンコちゃん! (゚∀゚)アヒャ
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広場正面には・・

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電車の前のベンチでは・・

煙草をふかしながらデ~ンとすわる女性。  撮影時の少し前にも この女性の他 数人の女性がベンチを陣取り、煙草をプカプカ・・(-。-)y-゜゜゜

いくら屋外とはいえ、こういう公共の場の日陰+ベンチの特等席を陣取って お昼休みに煙草をプカプカって、いかがなもんなんでしょうね!? Σ(´д`;)


さて、お小言のあとは、金長たぬきの答え動画です。 v( ̄∇ ̄)v


皆さん、正解でしたか~~~?

正解は、〇玉が大きくなる!?  チャウチャウ!!  (´゚艸゚)∴ブッ

この後は、ダブ子ちゃんに乗って、この日のお土産を買いに行きましたよ~~。

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ステキな鴨之越と残念だった鳥坂まんじゅう

ただいま~~~!  お出かけ先から帰ってきました~。v( ̄∇ ̄)v

さて、今日の記事は、2週間以上前の4月初旬のことでやんす

この日の相棒は、クロスカブ子ちゃん。

只今 走行距離 7843km、絶好調~~~!!
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しゅっぱ~~つ

うどん県らしい ひょっこりひょうたん島に出てくるような ポッコリ山を眺めながら・・
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目指したのは、うどん県西部の紫雲出山(しうでやま)!

近づくにつれ、途中、途中で気になる立て看板を目にしましたが・・

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紫雲出山にアクセスする車道入口に、二人のガードマンさん。

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「桜のシーズン中、事前予約されている方以外の車でお越しの方は、入山できません。」

えええっ、ここまで来たのに・・・

そ、そういえば、ちょっと前の新聞に「桜のシーズン中は、事前予約者以外は入山できません。」って書いてたっけ

ちなみに、桜のシーズンではありませんが、紫雲出山からの風景はこんな↓感じっす。(2019/9撮影)

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仕方ないっす。 次にむかいまひょ。('A`|||)
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【鴨之越(かものこし)】
鴨之越の海岸に潮干狩の名所、丸山島があり ます。 太郎はここで子供にいじめられている亀を助け、弱りきった亀にきびの酒を飲ませ、 海に放してやりました。 丸山島の海辺には、 浦島神社が祭られています。


ここ香川県三豊市北西部にある荘内半島(しょうないはんとう)は、浦島伝説の残る地です。

香川県道234号大浜仁尾線から丸山島が見下せます。
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丸山島の北側の鴨之越海岸風景。
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海岸の方に下りていきましょう。

海岸手前のこちらにクロスカブ子ちゃんを置き、てくてく・・。
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丸山島っす!
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干潮になると歩いて渡ることのできる道が現れるトンボロ現象。

この1ケ月の間に、小豆島のエンジェルロード(土庄町)、希望の道(小豆島町内海)に続いて3つめのトンボロ現象の地を訪れています。

うどん県って、トンボロ現象の宝庫?? (゚∀゚)アヒャ


この時は、潮がひいていなかったので、丸山島まで行くことはできませんでした。

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次回は、干潮時に訪れ、浦島神社を参拝しないといけませんね。(^_-)-☆

海岸の北側はこんな感じ。

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こちらの小さな島?山?のてっぺんにも・・
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祠がありますね(・∀・)

砂浜には・・
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おおお、潮干狩りもよさげ~~~~.。゚+.(・∀・)゚+.゚

のんびりしていたら、お昼になっていました。


鴨之越を後にして・・・

ブイ~~ン、とことことこ・・

以前も訪れた観音寺港の目の前にある「伊吹いりこセンター」さんに、とうちゃこ
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懐かしい「TOBACCO」の売り場。 昔はタバコ屋さんだったんでしょうね。(´∀`)

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何にしようかなあ~~。
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前回は「濃厚伊吹そば」にしましたが、今回は「濃厚伊吹つけめん」を注文。

 キタ━(゚∀゚)━!   キタ━(゚∀゚)━!   キタ━(゚∀゚)━! 

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おきまりの~~~、麺・リフト~~~~・アップ
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ズルルルル・・
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ウッーウッーウマウマ(゚∀゚)  うま~~い!!

お味は「濃厚伊吹そば」と一緒。 つけ麺もまた美味しいっす('▽'*)ニパッ♪

当然・・・

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THE 完食!! v( ̄∇ ̄)v


さて、帰りましょうかねえ~~。


帰り道、ひさしぶりにコチラへ。

「鳥坂(とっさか)まんじゅう」!

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10個入りをゲッツ(*゚∀゚)っ
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お家に持って帰って、さっそく奥様と一緒にいただきましたよ。v( ̄∇ ̄)v

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いっただきま~~す。

ん!?

なんか違うぞ!!

鳥坂まんじゅう。 ちょっと塩気があって、皮はモチモチのおいしいおまんじゅうだったんですが・・。

皮が相当分厚くなり、その分 餡子の量がめちゃ少なくなってます!!

モチモチ感がなくなり、ただ硬い皮だけの食感が残ります。

最悪・・  

人気にあぐらをかいたのか、はたまた原材料費が上がったので質を落としたのか・・。

いずれにせよ、あたいは もうここで買うことはないと思います。

長年 お気に入りのおまんじゅうだっただけに、残念で仕方ありません。(p_q*)シクシク


本日の走行距離:7977km-7843km=134km
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<走行ルート>
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