ここ最近、7月に訪れたタイ旅行の記事を書いている最中でしたが、タイ国民に絶大な信頼と尊敬の念を抱かれていたプミポン国王が13日にご逝去されました。
今回 タイを訪れた際、国際協力機構 JAICAの方から、タイのいろいろなお話しを聞く機会に恵まれました。
その中でも、政治的対立の調整とかetc ・・・、国民のよりどころとしてプミポン国王が存在しているとのお話しもありました。
タイの10バーツコインにも、プミポン国王のお顔が描かれています。
もう片面は、ワット・アルン。
それでは、タイ旅行記事の続きです 。
タイ最高の地位と格式を誇る仏教寺院 エメラルド寺院(ワットプラケオ) /王宮 を後にし、着いたのはバンコクを中心に流れるチャオプラヤー川の船乗り場。
最新のバイクもとまっていました。
ここから↓ 船に乗って対岸に向かいます。
たくさんの船が行き来していました。
小さな艇にどでかいエンジンの舟 ↓
エンジンに直接シャフト+プロペラがついていて、これの向きを操作して方向を変えているようです。
「暁の寺」としてタイでもっとも有名な寺院のひとつのワット・アルンがあります。
ワット・アルン
「暁の寺」としてタイでもっとも有名な寺院のひとつ。
1767年、タークシン将軍はビルマによる侵攻で荒廃したアユタヤの地を離れてチャオプラヤー川をくだり、とある夜明けにこの寺に辿り着きました。そしてこの周辺を拠点に、現在のバンコク王朝の前身にあたるトンブリー王朝を開き初代の王に。
当時ワット・マコークと呼ばれていた小さな寺院は、そのことから「暁の寺」と呼ばれるようになったという言い伝えがあります。
また、ヴィエンチャン攻略で戦利品として持ち帰えられたエメラルド仏(持ち帰ったのは当時タークシン王の部下だったところの後のラーマ1世)が祀られ、「王宮寺院」となっていた時期もありました(現在エメラルド仏はワット・プラケオ内でみることができます)。
ラーマ2世の頃に建設が始まり、ラーマ3世の時代に完成した現在の美しい仏塔は、バンコク様式で、10B硬貨にも描かれています
<タイ国政府観光庁HPより引用>
再び船に乗り、元の場所に戻り、バスで向かったのはワット・ポー。
ここにはどでかい涅槃像があります。
<ワット・ポー>
アユタヤ王朝末期のプラペートラチャ王時代(1688~1703年)に建立されたといわれる、バンコク最古の寺院。
その後、バンコク王朝のラーマ3世(1824~1851年)が17年をかけて長さ46メートルの涅槃像を祀る本堂とその回廊、礼拝堂、71もの仏塔を建立させました。
また同時に、タイに古くから伝わる医薬資料を集め、それが後にタイ初の古典医療の拠点として発展することにつながりました。
見どころとしては、巨大な涅槃像をはじめ、お釈迦様にまつわる言い伝えやインドから伝わった古典文学のラーマヤナなどを描いた本堂の壁画、そして境内のいたるところに見られる石造の面白いレプリカなどがあげられます。
<タイ国政府観光庁HPより引用>
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