6月下旬の某日。
バイク仲間との近場ツーリングでやんす。v( ̄∇ ̄)v
香川県さぬき市の羽立(はりゅう)峠近くに集合!
この日は、Uさんのキャドウェル125の初お披露目。
カフェレーサースタイルで、めちゃカッコイイ~~!
以前、このスタイルに魅かれて、まじで購入を考えたことがあったんよね~~。
もうこれ以上増車しても置き場に困るので断念したけど・・・、やっぱりかっこええなあ~(*゚▽゚*)
集合場所からほど近い、最初の目的地にGO
あっという間に着きましたよ。(・∀・)
造成地らしき広場に飛行機!?
幻の特攻用グライダー!?
「神龍」! 皆さん、ご存知でしたか?
私はここに来て、はじめて知りました。
よく似た特攻兵器、「桜花」を思い出しました。
一式陸攻に吊られて目標近くで切り離され、そこからロケット噴射で敵艦に特攻する兵器。
調べてみると、「神龍」の発案時期、作製時期が、「桜花」の数ケ月遅れであることから、「神龍」は「桜花」を参考に製作されたものではないのかなあ?と思うものの、エビデンスを見つけることはできませんでした。
戦闘機、攻撃機、爆撃機等の通常軍用戦闘機以外の特攻航空兵器。
木材と帆布で作られた「神龍」の他・・
古い水上偵察用飛行機で特攻作戦が実施されたことも・・。
他には、機上作業練習機「白菊」での特攻。
↓
「神龍」の後ろ(奥)には、人間魚雷「回天」のレプリカが展示されていました。
ハッチは内部から開閉可能であったが、脱出装置はなく、一度出撃すれば攻撃の成否にかかわらず乗員の命はなかった「回天」。
「回天」の詳細については、ウイキペディア等でご確認ください。
なぜこんな常軌を逸した兵器が作られたのか?
お国のために、家族のためにと、散っていった英霊達のためにも、二度とこんな惨い戦争を起こさないようにしないと!!と深く思いました。
バイク仲間との近場ツーリングでやんす。v( ̄∇ ̄)v
香川県さぬき市の羽立(はりゅう)峠近くに集合!
この日は、Uさんのキャドウェル125の初お披露目。
カフェレーサースタイルで、めちゃカッコイイ~~!
以前、このスタイルに魅かれて、まじで購入を考えたことがあったんよね~~。
もうこれ以上増車しても置き場に困るので断念したけど・・・、やっぱりかっこええなあ~(*゚▽゚*)
集合場所からほど近い、最初の目的地にGO
あっという間に着きましたよ。(・∀・)
造成地らしき広場に飛行機!?
幻の特攻用グライダー!?
【幻の特攻用グライダー 「神龍」(実物大模型) 】
終戦間際、引田町(現:東かがわ市) 出身で海軍15期 飛行専修予備学生卒業の中山秋髙元海軍少尉は「神龍」に搭乗するための訓練を終えていました。
然し「神龍」そのものが試験飛行に問題あったものの、軍の命令で急ぎ製造に取掛り出来たのが数機 8月20日で既に戦は終っていました。 若し中山少尉が特攻で出撃していれば発進後10分以内の命でした。
【幻の特攻グライダー神龍(じんりゅう) Q&A 】
Q1 グライダーの実物大模型を造ったのはどうしてですか?
終戦間際、米軍の本土上陸を阻止しようにも物資がなく、有効な兵器が造れませんでした。 そこで、まだある木材と帆布 (テント用の布) を使い、美津濃グライダー製作所でロケット推進のグライダーを作りました。試作機は試験飛行に成功しました。 本機は、昭和20年8月20日に10機完成しましたが、戦いは既に終わっていました。 この事実を後世に伝えたいと、実物大模型を制作した次第です。 因みに模型の製作費用は300万円です。
Q2 搭乗者は?
《答え》 岩瀬ひろし: 私の小学校の恩師で、 香川県東かがわ市引田出身の中山先生と同期の第15期海軍飛行専修予備学生、同第2期予備生徒等、約1000名の予備士官が搭乗特攻する予定でした。 飛行訓練は従来から有る若草型や光式グライダー等で終えて、特攻グライダー神龍が出来るのを待っていました。
Q3 攻撃はどのようにしますか?
米軍が上陸する海岸から2~3kmの山に隠しておくかトラックで運び組み立て、まず左右のロケットを吹かし200mの高度に達すると、100kgの爆発の安全ピンを外し、 上陸用艇やM4戦車等敵を発見次第、中央のロケットを点火加速して体当たりします。
Q4 なぜこんな無謀な戦争をしたのでしょうか?
直接の原因は、陸軍の中国派遣軍司令官が政府の不拡大方針を無視して暴走、戦線は拡大の一途をたどり、米国は中国の働きかけもあり対日石油輸出の禁止に踏み切りました。
困った海軍は日米開戦に反対の山本五十六、井上成美等海軍中枢の人材を実戦部隊の司令長官に更迭してまでも開戦へと傾いてゆき、不幸な第2次世界大戦に突入しました。
しかし、根本的なことはなんといっても明治維新以降の国の在り方が悪かったことです。 特に教育は、義務教育・軍隊教育共に忠君愛国に片寄り、神懸かり的な部分もありました。 また軍隊では暴力が常態化していました。
Q5 これからの日本は?
今の日本の国の有りようは、世界的に見てまあまあの線をいっているのではないでしょうか。 これからも議会制民主主義を堅持して自由、平等、博愛を旨とし、独裁者とか特定の組織、軍隊、宗教団体に国を牛耳られないようにしないといけません。
≪中山秋高先生略歴≫ 大正13年 引田誉田八幡宮司の家に生れる。 昭和17年 旧制香川県立大川中学校卒、大阪天王寺師範学校入学。 昭和19年 師範学校卒、 第15期海軍飛行専修予備学生。 昭和20年 海軍少尉、復員し香川県で教員に就く。 定年退職後、 引田誉田八幡宮司。 平成25年没。
【制作者】企画 山西 淑子 ●木工工事 棟梁 多田 正徳、 佐々木 茂、 片桐 実
●塗装防水工事 森永 照雄 ●防風工事 田中工芸 ●鉄工工事 渡辺 健二
「神龍」! 皆さん、ご存知でしたか?
私はここに来て、はじめて知りました。
よく似た特攻兵器、「桜花」を思い出しました。
一式陸攻に吊られて目標近くで切り離され、そこからロケット噴射で敵艦に特攻する兵器。
調べてみると、「神龍」の発案時期、作製時期が、「桜花」の数ケ月遅れであることから、「神龍」は「桜花」を参考に製作されたものではないのかなあ?と思うものの、エビデンスを見つけることはできませんでした。
戦闘機、攻撃機、爆撃機等の通常軍用戦闘機以外の特攻航空兵器。
木材と帆布で作られた「神龍」の他・・
古い水上偵察用飛行機で特攻作戦が実施されたことも・・。
他には、機上作業練習機「白菊」での特攻。
↓
「神龍」の後ろ(奥)には、人間魚雷「回天」のレプリカが展示されていました。
ハッチは内部から開閉可能であったが、脱出装置はなく、一度出撃すれば攻撃の成否にかかわらず乗員の命はなかった「回天」。
【戦争とは・・・。】
歴史の事実 (日本と世界)を凝視し、戦争の真実を知ることが大切です。
≪ご来場の皆さんに質問します≫ 答えてみてください。
太平洋戦争の戦死者は陸軍165万人、 海軍47万人です。
問1. この内、飢餓と海没による死者は (A **) %でしょうか?
問2. 海軍の海没者は18万人、 陸軍は (B * *) 万人でしょうか?
(海没者とは乗船した輸送船が撃沈されての空しい死亡者です)
問3. 特攻戦没者 (若者)は、陸海軍合せて (C**)千人でしょうか?
* 答えは下記に*
●回天出撃による戦死者は100人余り (殉死者も含む)です。 "回天が撃沈した艦船”を戦争中は大々的に報じました。 ところが、戦後米軍の発表によると油送船・駆逐艦各1隻の計2隻でした。 本当の成功率は2%位です。
●空からの神風特攻も、敵に損害を与えたのは16.5%位で、いかに必死の特攻が、本人及び国の期待に副えなかったか、誠に悲しい限りです。
●特攻グライダー「神龍」は機体が戦争に間に合いませんでした。 もともと敵の本土上陸に備え造ったものです。
戦争の真実と、その愚かさを後世の人に知ってもらうべく、敢てこの施設を造った次第です。
答え A.70%、 B.18万人、 C.7千人です。 (秦郁彦氏資料による)
看板製作: イワセサイン 0879-25-5106
「回天」の詳細については、ウイキペディア等でご確認ください。
なぜこんな常軌を逸した兵器が作られたのか?
お国のために、家族のためにと、散っていった英霊達のためにも、二度とこんな惨い戦争を起こさないようにしないと!!と深く思いました。