Michiruブログ

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日本一周ツーリング「関西」

2023年春・紀伊半島ツーリング VOL9(最終回)

2023年春・紀伊半島ツーリングの記事も、いよいよ最終回です。

高野山を参拝し、高野竜神スカイラインを目指します。

この後の走行ルートは↓のとおり。
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金剛峯寺前の駐車場を出発して3km走ったところで・・(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?
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通行止め!! ノ( ̄0 ̄;)\オー!!ノー!!!!

場所はココ↓
2023-05-27通行止め03

迂回路は、ここから東に戻る感じで、あきらかに計画していた時間よりかかってしまいそうだし、迂回してどこに接続されるのかわかりません・・・

ガードマンさんに聞くと、崩落により4月から通行止めになっているとか・・。

グーグルマップには通行止めの表示はされていませんでしたが、今、ストリートビューで見てみると・・

↓。 左折方向。
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左折方向が通行止め!
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予定では、高野竜神スカイラインを走り、途中 龍神ごまさんスカイタワー他に立ち寄る予定だったのですが・・。

まいりました。・゚(゚`Д)゙

ツーリングマップルをひろげ、この日の宿泊地 御坊市までの道順を考えます。

紀伊半島の真ん中を縦断する高野竜神スカイラインが通れないとすれば、海南市→初日に通った42号線を南下して御坊に行くしか手がありません('A`|||)
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ゴリラ・ナビちゃんの指示に従い、ひたすらトコトコ 

御坊市に入り、ホテル近くのスーパーでこの日の夕食をゲッツ

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お宿にとうちゃこ~~~!!
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ちゃんとしたビジネスホテルだす。(゚∀゚)アヒャ

毎日のおつとめ。 bluetooth送信機とヘルメット内のヘッドセットに充電しまひょ。

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この日の夕食は、黒毛和牛をいただきましたよ。歳で脂が重たかったっす('A`|||)

画像は無し~~~(^^;


この日の走行距離:247.5km。
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翌朝。

この旅 4日目、5月28日(日)。

バイク駐輪所は、あたいのVストちゃん以外は大型車・・(^^;

見た目の大きさは負けてないけど・・(笑)
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往路でも昨日も通ったR42をひたすら北上。

途中、昨日いただいた地域クーポンをコンビニで消化。 平日は2000円のクーポンですが、土・日は1000円っす。(TДT) 

ずいぶん早く、和歌山港フェリーターミナルに着いてしまいました。

乗り場と切符売り場の場所が離れています。 それを知らず、最初乗り場で切符売り場を探してしまいました。(^^;
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復路は、往路の半券を見せると5%値引きで購入できます。
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切符売り場から乗り場に移動
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ポツ~~ン。 フェリー出発まで1時間以上・・・(^^;
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飲んでますよ。(゚∀゚)アヒャ
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Vストちゃんのうしろにママちゃりライダーの外人さん(・∀・)
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フェリーが・・
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クルリン
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”愛”ざんす~~~.。゚+.(・∀・)゚+.゚
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乗船。
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徳島港着。

トコトコ

お家に帰ってきやした~~~v( ̄∇ ̄)v


この日(4日目)の走行距離:146.6km。
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<4日間の走行距離:3999km-3233km=766km>
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<この旅の走行ルート>
全走行ルートmap


2023-05-25~28紀伊半島ツー集計表01


日本分割一周ツー累計表01



今回の旅も全国旅行支援の恩恵をうけ、キャンプ泊はせず 安宿で楽させてもらいました。

44年前の青春の思い出の地をめぐる旅。 潮岬ユースホステル、瀞峡ウォータージェット船乗り場、川湯温泉etc・・・。 少々姿は変わっていましたが、当時の面影が残っていて、本当にうれしかったです。

バイクの走行距離は少なかったけど、熊野古道、高野山で人力での走行時間がけっこう長かったです。(^^;  

剥がれかかった靴底も、なんとか最後まで持ちました。(笑)


さて、今年の秋ツーリングは、日本海を目指しましょうかねえ。(・∀・)

2023年春・紀伊半島ツーリング VOL8「十津川村~高野山へ」

2023年春・紀伊半島ツーリングの続きです。

この旅の3日目(5月27日(土))です。

川湯温泉の宿で、バイキング朝食をしっかりいただいて出発です。

”じゅくじゅく”になったライディングシューズの中も、昨夜 しっかりドライヤーの風を送りこんでいたので、ほぼ乾いていました。 ε-(´∀`*)ホッ

国道168号線を北上します。

国道沿いに、見事な滝!
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そういえば、44年前、同じルートを走っていて撮った1枚の写真があります。

川湯温泉にあったYH河鹿荘で同宿だったライダー3人で↓の場所「下向大橋」に訪れていました。

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当時は、”バイクで渡れる吊り橋”だったように記憶しています。

今回のツーリング当日は、44年前の事を気にとめることもなく、気づかず通り過ぎてしまいましたが・・。

グーグルマップで確認すると・・

グーグル下向橋01


グーグル下向橋02

グーグル下向橋03

なんてことのない車も通れる普通の橋になっていました。(^^;

川湯温泉から二十数キロ北上し、この日の最初の目的地に

ここは、以前 TV番組「三宅裕司のふるさと探訪」で紹介されていたスポット!

野猿三宅裕司のふるさと探訪01a
野猿三宅裕司のふるさと探訪02


野猿三宅裕司のふるさと探訪04
奈良県十津川村の「野猿」!?

事前にグーグルマップで場所を確認し、ホテル昴等のある「昴の里」へ。

昴の里

駐車場を見まわしても「野猿」の場所がわかりません。

ちょうどホテルの専用バスが駐車場に入ってきたので、ドライバーさんに尋ねると・・

「バイクなら野猿のそばまで行けますが(車はとめるところがない)、今は使用禁止になってるんです。」

もともと実際に使う(乗る)気もなく 見たいだけだったので、ノープロブレムっす!

とても親切に道順を教えてもらい、細道をトコトコ。

とうちゃこ ( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
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【野猿 (やえん)】
両岸から川の上に張ったワイヤーロープに、屋形を取り付けた昔の交通機関で、吊り橋が架けられるまでは、村内各地で交通手段として利用されていましたが、今は人力ロープウェイとして観光用に利用しています。「やえん」とは、ちょうど猿がつるを渡って行く様に似ているところから名ずけられたもので、川面の上空を一人で渡るスリルをお楽しみ下さい。

使用上の注意
1. 野猿は一人乗りです。
2. お乗りになる際に、ワイヤーロープと滑車の間に指をつめないように十分注意して下さい。
3. 屋形の床のまん中に座ってロープを引いて下さい。
4.使用中は危険ですので、身を乗り出したり、ゆずったりしないで下さい。

【注意】 ロープを引っ張る時 とても力が必要です! 遠くまで行きすぎないようお気をつけください!

 十津川村

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対岸までこの籠?を自力でロープをひっぱって渡る仕組みです。

番組内でも三宅裕司さんが、ヘロヘロになっていました。

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河原では渓流釣りを楽しまれている方もいらっしゃいましたよ。(・∀・)
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野猿から程ないところに・・・

十津川温泉。
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川湯温泉の辺りもいい感じでしたが、こちら十津川温泉もいい感じですね~~。

山間をぬうように走る国道168号線をさらに北上。

44年前にも立ち寄った”日本一のつり橋 「谷瀬のつり橋」”へ。

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着きましたよ~~~v( ̄∇ ̄)v
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44年前にバイクをとめれた場所も、今は駐車禁止です。
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【谷瀬(たにぜ)の吊り橋】
この吊り橋は昭和29年800余万円を投じて架設したもので、長さ297.7m 川からの高さ54m 生活用(村道) の吊り橋としては日本一と言われています。 
付近の川原が水量の割合に広いのは、明治22年の大水害まで集落や耕地があったところだからで、村内にはこうしたところがかなりあります。
当時の被災者達は新天地を北海道に求めで移住した。 それが今日の新十津川町です。
谷瀬の人々はこの橋ができるまで川に丸木橋を架けて行き来していたが、洪水のたびに流されるので1戸当たり20万円という、当時としては思い切った出費に耐え村の協力を得て完成をみたのです。

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44年前は向こう側まで歩き、往復したようですが・・。

今は、わざわざ怖い思いもしたくなかったので、数メートルだけ進み写真を撮るだけとって満足しました。 (゚∀゚)アヒャ

谷底の河原ではキャンプを楽しむ人達♪♪

さらに北上。
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44年前の写真横には「168号線は細くて路面も荒れているが景色はサイコ~」って書いていましたが、今もそれは変わっていないようです。(^^;

その割には交通量もけっこう多かったです。

特にこの日は土曜日ということもあって、マス・ツーリングのライダーの多かったこと。

道の駅があったので、トイレ休憩っす。
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「道の駅 吉野路大塔」。

こちらも、マスツーリングのライダーばかり。

ソロは、あたいぐらい。 まあどっちでもいいけど・・(゚∀゚)アヒャ

この後 さらに北上し、奈良県五條市→橋本市。

そして、どのルートを南下したのか忘れましたが、山間の森の中を延々と走り・・・

 キタ━(゚∀゚)━!   キタ━(゚∀゚)━! 
 
きましたよ~~~、高野山!! 高野山の詳しい説明は後程。

予定していた金剛峯寺(こんごうぶじ)前の駐車場にバイクをのめることができました。(^_^)

高野山map01

ここからは、徒歩で参拝しまひょ

高野山というと、四国八十八ケ所巡礼が終わり結願するとお礼参りに訪れるところ。

八十八ヵ所を無事巡り終えた同行二人のご報告と感謝の気持ちをお大師様にお伝えする場所。

四国八十八ケ所。15番札所でストップしたままですが、やってきました。高野山!(゚∀゚)アヒャ

お大師さま、ゆるちて~~~(><)


<金剛峯寺>

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【金剛峯寺(こんごうぶじ)】
金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗の総本山の寺院。正式には高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)と号する。

高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの盆地状の平坦地に位置する。100か寺以上の寺院が密集する日本では他に例を見ない宗教都市である。京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が修禅の道場として開創し、真言密教の聖地、また、弘法大師入定信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部。

「金剛峯寺」という寺号は、明治期以降は1つの寺院の名称になっている。しかし高野山は「一山境内地」といわれ高野山全域が寺の境内地とされ、金剛峯寺の山号が高野山であることからも分かるように、元来は真言宗の総本山としての高野山全体と同義であった。寺紋は五三桐紋と三つ巴紋。

引用: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


金剛峯寺を参拝後、蛇腹路(じゃばらみち)から壇上伽藍へ向かいました。
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【蛇腹路(じゃばらみち)】は壇上伽藍から金剛峯寺方面へ向かう小道。高野山の地形を東西に横たわる龍の姿になぞらえて、このあたりがお腹にあたることからこの名があります。

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根本道場 大伽藍
高野山
伽藍とは梵語(サンスクリット)のサンガ・アーラーマの音訳で、本来 僧侶が集い修行をする閑静清浄な所という意味です。
高野山金剛峯寺は816(弘仁7) 年 弘法大師さまによって開創され ました。
お大師さまは、高野山の造営にあたり壇上伽藍からお始めになり、密教思想に基づく金堂、大塔、西塔、僧房等の建立に心血を注がれました。


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【高野山の草創】
高野山は和歌山県伊都郡の紀ノ川の南方 海抜820メートルの山上にある。 東西5キロ 南北1キロの平地となり八葉の峰々でかこまれている。 今から1200年前、弘法大師は真言密教の修禅の地として朝廷から賜わった。 行者は朝に夕に修行し、この身このままで仏に成るように努めている。 弘法大師は弘仁七年 (816) から弟子とともに高野山(金剛峯寺)の建設にかかった。 先ず西部の小高い台地に壇場をひらき堂塔を建立した。 講堂 (後の金堂)・地主神の御社・僧坊、教理上の中心としての大塔の建設も企て困難を越えその実現に努力した。 壇場の北に中院 (現龍光院)があるが弟子真然大徳以後の歴代の山主は、同院に住したといわれ中興 明算大徳の名も知られている。


<東塔>
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【東塔 (とうとう)】
1127年醍醐寺勝覚権僧正が白河上皇の御願により創建。 尊勝佛頂尊と不動明王・降三世明王を祀る。 1984(昭和59)年に再建。

 尊勝佛頂陀羅尼小呪
  オン アミリタテイジャバチソワカ



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<三昧堂>
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【三昧堂 さんまいどう】
928年、 金剛峯寺座主済高大僧都の創建。 もとは本中院谷の東南院にあったが、1177年西行法師が現在地に移健した。 堂前には法師が植えたとされる「西行桜」がある。 現在の建物は1816年再建。

 大日如来(金剛界) 真言 
  オン バザラダトバン


<大会堂 >

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【大会堂 (だいえどう)】
1175年皇女五辻斎院頌子が父の鳥羽上皇追善のため創建。 東別所にあったが、西行法師が同内親王に勧め、長日不断談義の学堂として壇上に移し蓮華乗院と称した。 後に法会の集会の堂となった。 現存は1848年のもの。

 阿弥陀如来真言 
  オン アミリタテイゼイカラウン

<愛染堂>
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【愛染堂 (あいぜんどう)】
1334年後醍醐天皇の勅願により天下泰平を祈るため不断愛染護摩並びに長日談義を修する目的で建立された。本尊は同天皇等身の愛染明王で現在の建物は1848年のもの。

 愛染明王真言
  オン マカラギャバゾロシュニシャ
  バザラサトバ ジャクウンバンコク


<不動堂>
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【不動堂 ふどうどう】
国宝 (指定昭和27年3月29日)
1198年一心谷に行勝上人が創建。 現在の堂は14世紀初頭再建、鎌倉時代の和様建築で、平安期住宅様式を仏堂建築に応用したもの。 1908(明治41)年現在地に移された。 1996(平成8)年、解体修理が行われた。 

 不動明王真言
  ノウマクサ マンダ パザラダン
  センダマカロシャダ ソワタヤウン 
  タラタカンマン

見るからに時代を感じるこの不動堂。 国宝に指定されているだけあって、たくさんの堂のなかでも違う佇まいを感じましたが・・・。

パッと見た目が地味なせいでしょうか? 何故かこちらを参拝される方が少なかったように見えました(^^; モッタイナイ・・


<中門>
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中門
高野山の総門である大門に対して、壇上伽藍の門は中門と呼ばれている。 創建は高野山開創期にさかのぼる。 当初は結界の意味が強い鳥居状のものであったが、焼失と再建を繰り返しながら五間二階の楼門となった。 江戸時代には3回焼失したことが知られており、地中には焼失前の礎石が埋まっている。
天保14年(1843) 焼失後は再建されず、礎石だけが露出した中門跡としてその痕跡を残していたが、平成27年に厳修された高野山開創1200年記念大法会の特別事業として172年ぶりに再建された。 なお、正面に配置されている持国・ 多聞の二天像は文政3年(1820) 再建時のものである。

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【中門 (ちゅうもん)】
一山の総門である大門に対して、伽藍の正門として南側入口には中門が建つ。 御開創間もない819年の創建。以来、他の堂塔同様に焼失・再建をくり返す。 1843年の焼失以来、礎石を残すのみであったが、2015(平成27年) の高野山開創1200年記念大法会を期して、伝統的な様式・工法で再建された。焼失を免れた持国天・多聞天に、新たに増長天・広目天を加えて、四天王を安置する。

 四天王総真言
  オン ゼンバラ シャレンダラヤソワカ

<持国天>
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<多聞天>・・一尊で祀られる場合は毘沙門天
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<広目天>
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<増長天>
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仏像に興味があり、ずいぶん以前購入したmook本↓。
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四天王  東西南北を守る守護神たち
見どころは四体のバランス 個性豊かな邪鬼にも注目

四天王は、須弥山の中腹の四方に住み、それぞれの方角から仏土を守護する四人の神である。堂内では、須弥壇の四隅に安置される。 東方持国天、南方増長天、西方広目天、北方多聞天である。
四天王は、武器をとり、武装した忿怒(ふんぬ)形である。 持ち物は一定していないが、 持国天と増長天は、剣、戟(げき)、鉾などを持つ。 広目天は筆と巻物をもつことが多く、多聞天は宝塔を持つ。
四天王は普通、一頭か二頭の邪鬼を足で踏みつけて、邪悪なものを退治しているが、岩座の上に立つこともある。 邪鬼は、仏法に逆らうものを鬼の形に表わしたもので、法隆寺金堂の四天王の邪鬼は、四天王の大きさに対して大きく、まるで乗り物のように抵抗することなくうずくまっている。東大寺戒壇院の四天王の邪鬼は、それぞれ異なる姿勢で踏みつけられ、抵抗し、耐えている。 時代が下がると、さらに激しく抵抗し、オーバーアク ションになっているものもある。 邪鬼の姿に注目して見るのも面白い。
四天王も四人で一セットなので、動きや表情に変化をつけ、四体セットとしてのバランスが考えられている。 武将の配下や芸道の門下で、優れた四人を四天王と呼ぶのも、ここからきている。


金剛力士が門を守る事が多いと思いますが、ここ高野山の中門は持国天、多聞天、広目天、増長天の四天王で守られていました。

どの天も立派な姿のものばかり。 よく見てみると広目天の胸のあたりは蝉、増長天の胸のあたりには蜻蛉がついていました。

他では見られない特徴ある蝉のついた広目天、蜻蛉のついた増長天。 きっと仏師の方の思い入れが込められているんでしょうね。

あいにく邪鬼の姿をのぞき込むことができなかったのが心残りです。


<金堂 /大塔の鐘>
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<金堂 >
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【金堂 (こんどう)】
高野山一山の総本堂で、年中行事の大半がここで勤修される。本尊と両部曼荼羅を修法する3壇をもつ密教の大堂である。
大師私願の堂として造営が進められ、 完成後は嵯峨天皇御願の堂とされた。 現在の堂は1932(昭和7)年再建、1934(昭和9)年落慶、四隅の八供養菩薩と裏堂の壁画は木村武山画伯の筆、両部曼荼羅は平清盛が自らの額を割った血で中尊を描かせた「血曼荼羅」である。

 薬師如来真言 
  オン コロコロセンダリマトウギソワカ


<大塔の鐘>
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国史跡 大塔の鐘   指定 昭和52年7月14日
古くから高野四郎の名称で親しまれてきた高野山を代表する名鐘である。 弘法大師が鋳造を発願され、高野山第二世真然大徳時代に完成した。度重なる火災のため三度の改鋳を繰り返した後、現在の銅鐘は天文十六年(1547)に 再興したものである。現在も午前4時、午後1時、午後6時(冬期は午後5時)、午後9時、午後11時、1日5回厳粛な鐘の音を響かせている。

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【大塔の鐘 (だいとうのうのかね)】
大師が発願され、第二世真然大徳の代に完成。 焼失して三度ほど改鋳された。 現存は1547年の鋳造で直径7尺、重量1,600貫(約6トン)、高野四郎の名で親しまれている。1日5回、計108の鐘の音を響く。


1日5回、計108の鐘をつくんですね。オオーw(*゚o゚*)w 

昨今のせちがない世の中だと、「うるさい!」って文句言う人もでてきたりして・・(^^;コマッタモンダ・・


<根本大塔>
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根本大塔
根本大塔は高野山内の建造物としては最大級の高さを誇る。 弘仁七年 (816) 嵯峨天皇より高野山を下賜された弘法大師は、金堂の後方東西に二基の巨大な宝塔を配置する世界最初の本格的密教伽藍建立を決意された。 しかし、高さ十六丈 (約48.5m) という巨大な根本大塔の建設であったため、 完成したのは弘法大師御入定後40年あまりを経た貞観十八年 (876) 頃とされている。その後、落雷などの火災により5回の焼失を余儀なくされ、天保十四年(1843)の大火以降は礎石だけを残していた。 現在の根本大塔は昭和十二年(1937) に再建されたものである。 構造的には初期の多宝塔に分類される。 円筒形の塔身に方形屋根を有する一重塔に、裳階(もこし)と呼ばれる庇(ひさし)と壁が施されている。 創建当時と変わらない根本大塔の偉容は高野山のシンボルとしてひろく知られている。

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【根本大塔 (こんぼんだいとう)】
伽藍中心の塔として816年高野山開創の頃より着手し、大師と真然の二代を費やして887年頃完成した。高さ約50メートル 四面30メートル中央に胎蔵大日如来、四方に金剛界四仏、周囲 16本の柱には堂本印象画伯筆の十六大菩薩を配して曼荼羅を立体に顕す。 壁には同画伯筆の八祖大師を描く。現在の建物は1937(昭和12)年再建、外壁塗り替えは1996(平成8)年完成。

 大日如来 (胎蔵界) 真言 
 ノウマクサマンダボダナン アビラウンケン

拝観料をお納めし内覧できました。 撮影禁止なので写真はありませんが、見ごたえがありました。

高野山を訪れたら、こちらの内陣の参拝はしたほうがいいですね~~(^_-)-☆


<御影堂 >
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【御影堂 (みえどう)】
元は大師の持仏堂であったが、ご入定後、実恵僧都が師の御影を安置する堂とした。 御影は真如親王が大師の生身を写され、大師御自らのご開眼にかかる。 最も尊厳を尊ぶ御堂である。 旧暦3月21日旧正御影供の前日、 御逮夜の時には年一度だけ内拝ができる。

 御宝号 南無大師遍照金剛


<准胝堂/孔雀堂/西塔>
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一番手前から順に・・
【准胝堂 (じゅんていどう)】
973年以前の創建。 本尊准胝観音、大師得度剃髪の際、自らの本尊としてお祀りされたと伝えられる。 現在の堂は1883(明治16)年の再建。 

 准胝観音真言
  オン シャレイソレイ ソンデイソワカ

【孔雀堂 (くじゃくどう)】
1200年、 延杲大僧正が干天に雨を祈って成就し、 後鳥羽上皇の賞賜として建立。 祈雨の本尊である孔雀明王をお祀りする。 現在の堂は1984(昭和59)年の再建。

 孔雀明王真言
  オン マユラギランデイソワカ

【西塔 (さいとう)】
887年、光孝天皇の勅命により、当山二世真然僧正が、大師の遺された「御図記」に従って大塔に続いて建立。 現在の塔は1834年の再建。 塔前の石灯籠は医聖 華岡青洲の寄進 にかかる。

 大日如来 (金剛界) 真言 
  オン バザラダトバン


<六角経蔵>
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国史跡 六角経蔵  指定 昭和52年7月14日
平治元年(1159) に建てられ、美福門院御寄進の紺紙金字一切経を容れていたが、経蔵は昭和のはじめに焼けて建て直した。 重要文化財の一切経は霊宝館大宝蔵に保存される。

和歌山県教育委員会
(公財) 高野山文化財保存会


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【六角経蔵 (荒川経蔵) ろっかくきょうぞう (あらかわきょうぞう)】
1159年、皇后であった美福門院得子が夫の鳥羽上皇の菩提を弔うために創建。紺紙金泥一切経を納置するとともに、一切経会料として紀伊国荒川荘を寄進した。 金泥一切経蔵、荒川経蔵とも呼ばれる。 現在の蔵は1934(昭和9)年の再建。

 釈迦如来真言
  ノウマクサマンダボダナン バク


基壇の把手を押しながらぐるりと回ると読経した功徳が得られるそうですよ。(^_-)-☆


金剛峯寺、そして壇上伽藍の高野山。 体力と時間の関係で奥の院まで参拝できませんでしたが、訪れて本当に良かったです。

次回来るときは、奥の院まで立ち寄りたいものです。

今回の記事では、特に高野山の各堂の説明書き等の文字起こし/校正に、結構な時間を要しました。

おそらくほとんどの人には、読み飛ばしされるのはわかっているんですが、いいんです。

文字起こし/校正することで、自分の頭に入っていけば・・・。 

といっても、翌日には 忘れているんですが・・(゚∀゚)アヒャ


次回記事は、いよいよこの旅の最終回でやんす。 たぶん・・

知らんけど 



2023年春・紀伊半島ツーリング VOL7「熊野本宮大社、川湯温泉」

2023年春・紀伊半島ツーリングの続きです。

瀞峡ウォータージェット船のりばで出会ったおじさんに、オロナミンC2本もらって大感激だったあたい。

今日の記事を書いていて、思い出した事が。 

昨日の記事では、「この日は車でこられていたおじさん。 バイクはメグロのKだったかカワサキのWを乗っているとおっしゃっていた」と昨日の記事で書きましたが、「サイドカー付きのカワサキWを乗っている」とおっしゃっていたことを思い出しました。

そしてオロナミンCだったかリポビタンDだったかが、思い出せません。(^^;

まあ、どっちでもいいっすよね。


さて、瀞峡ウォータージェット船のりば(現「瀞峡めぐりの里 熊野川」)をあとにして、R168をすすみます。

そして・・・、とうちゃこ

熊野三山のひとつ、熊野本宮大社。

この日は、熊野那智大社に続いての参拝です。
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うげっ、また階段だあ~~(;´Д`)
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東御前—(若宮) 天照大神
御本社—(證誠殿(しょうじょうでん)) 家津御子大神(けつみみこのおおかみ)(素盞鳴尊(すさのおのみこと))
西御前—(速玉宮)速玉大神(伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ))
   —(結宮)夫須美大神(ふすみのみこと)(伊邪那美大神(いざなみのおおかみ))

当宮は熊野三山(本宮・新宮・那智)の首位を占め、全国に散在する熊野神社の総本宮で、熊野大権現として広く世に知られています。 御主神は家津御子大神、すなわち素盞鳴尊と申し、樹木を支配される神であり、紀国(木ノ国)の語源もここから起っております。

大神は植林を御奨励になり、造船の技術を教えられて、外国との交通を開かれ、人民の幸福を図られるとともに、生命の育成発展を司られた霊神で、第十代崇神天皇の御代に熊野連(くまのむらじ)が当地に社殿を造営して鎮祭したと伝えられています。

奈良朝のころから修験の行者が頻繁にここに出入りして修行し、ますます神威が広まりました。延㐂*七年(約千年前)宇多法皇の御幸をはじめ約三百年にわたり法皇・上皇・女院の御幸は百数十回に及びました。これが史上有名な熊野御幸(くまのごこう)であります。

これと前後して当時の神仏習合によって、御主神を阿弥陀如来といって尊び、日本一といわれた霊験を仰ごうとする参詣者は全国各地から熊野の深山幽谷を埋め「蟻の熊野詣」とか「伊勢に七度熊野に三度どちらが欠けても片参り」などとうたわれるとともに全国に御分社を祭り、その数は現在五千数社を教えています。その後源平の争乱、承久の変、南北朝の戦乱と様々な変災の渦中にありながら人心の信仰はますます高まり、当宮の神威は熊野牛王(くまのごおう)(おからす様) の神符とともに全国に伝播して、明治時代に至りました。

現在の社殿は享和二年、徳川家斉将軍の命によって紀州侯治宝卿が音無里、現本宮町大斎原(おおゆのはら)(指定文化財)に建立されましたが、明治二十二年の大出水にあって現在地に修造して遷座されたものであります。この社殿のつくり方を「熊野造」と申し上げます。

なお旧社地は大斎原と呼び、石祠二殿を仮官として、西方に中四社、下四社を、東方に元境内摂末社を合詞してあります。


開寅神事 一月一日
八咫烏神事 一月七日
木苗祭 四月第一日曜日

春例大祭(本宮祭り)
湯登神事 四月十三日
宮渡神事 四月十三日
船 玉 祭 四月十四日
本殿祭(神輿渡御) 四月十五日
御竈木祭 十二月十日


*注)
㐂・・辞書変換しても、IMEパッドを使っても、あたいのPC環境では入力できませんでした。('A`|||)

読み方「キ」。「喜」という漢字の草書体に基づく俗字。 2つないし3つの同じ漢字の組み合わせで構成される漢字の「理義字(りぎじ)」。

案内板表記では、”延㐂”となっていますが、延喜(えんぎ)の表記が一般的かと思います。


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参拝順番の案内もありました。

ただこれを読まず参拝されている方が多数だったかも~~(^^;

立派なお社です。

こちらでも・・

チャリ~ン。←お賽銭
ペコペコ。 パンパン。 ペコリ。←二礼二拍手一礼
×5(祭神)  

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【八咫烏 (やたがらす)(由来)】
熊野では八咫烏を神の使者と言われています。三本足とは熊野三党(宇井・ 鈴木・榎本)表わすとも言われ、当社では主祭神家津美御子大神(素盞鳴尊) の御神徳である智・仁・勇、又天・地・人の意をあらわしています。

烏は一般に不吉の鳥とされてているが、方角を知るので未知の地へ行く道案内や、遠隔地へ送る使者の役目をする鳥とされており、熊野の地へ神武天皇 御東征の折、天皇が奥深い熊野の山野に迷い給うた時、八咫烏が御導き申し上げたという意があります。又、歴史上の一端より触れて述べれば源平合戦の折 那須与一出身地(栃木県) 烏山城は鳥が金の御幣(神のお告げ)をこの地にもたらしたので築城したといわれています。

次に世界各国の一部を記せば、
スカンジナビア  オーディンの神の肩に止まった烏が二羽、一つは思考、一つは記憶と名づけて 毎朝二羽の鳥を放って、世界中のことを報告させたといわれている。
古代ギリシャ  烏はアポロの神の標識。
ツリンキート族 火を最初にもってきて、光を人にあたえたのは烏であると伝えられている。

日本サッカー協会のマークは八咫鳥です。2011,2017 女子サッカー ワールドカップでは、なでしこジャパンが強豪を破り見事優勝しました。 選手達全員がこの八咫烏の御守りを持参して戦いました。幾多の強豪と対戦する困難を乗り越え、優勝という目的に向かって進むチームを導いてくれるのがこの八咫鳥です。

尚、右の意より、当大社では今も変わらず、
◎人の道開きの開運、人生、目的達成、勝利への導き
◎現在地~目的地の間、無事に到達する意・海上安全・交通安全 (車・二輪車等)旅行安全・通学安全の守護として仰がれています。

※八咫烏のお祭りに関わる祭典(八咫烏神事 無形文化財)
毎年一月七日、夕闇深き時刻(午後五時)に厳修斎行される (年初め牛王刷り初め・宝印神事)があり当社の年中行事の中でも中心となるお祭りです。

熊野本宮大社社務所


烏(からす)。鳥(とり)ではありません。 18歳で京都に住み、「烏丸」を”とりまる”でなく”からすま”と読み、烏と鳥の字の違いを知りましたよ。(゚∀゚)アヒャ


大斎原(おおゆのはら)にも行ってみまひょ。
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右に曲がると大斎原ですが、産田社の案内板もあったので、こちらにも行ってみます。

女性の守り神と書いてありますが、ジェンダーレスの時代なので・・(゚∀゚)アヒャ

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こじんまりとした社です。
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あたいは場違いだったかもしれませんが・・

チャリ~ン。←お賽銭
ペコペコ。 パンパン。 ペコリ。←二礼二拍手一礼

神様、仏様、ア~メンってな、能天気なあたいなので、お許しを~~~。

でっかい鳥居の大斎原。

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【日本第一大鳥居建立の意義】
人心が神と自然から離れつつある今日、当社の最も危惧するところは「命脈の護持」であり次の世代への日本の心(精神・ 魂)の復活を祈念することであります。

神代の時代、(家津御子大神)が大地の荒れ果てているのを嘆かれ、自ら木を御手植えになられて「木の国=紀の国」と名付けられました。

皇紀二六六一年を迎えた日本国にとって、大なる節目であることは無論の事、この節目の始めに当たり「日本人の精神(心) の蘇り、日本経済の再生、熊野の山々より環境の大切さの再認識、国内は基より世界人類平和」を確固たる事を祈念し、今こそこの壮大なる熊野の山・川は申すまでもなく、大斎原を発信基地として熊野の大神の広大なる御神徳を得て、新たなる世紀が神と自然と人が共にある様、皇紀二六六一年、熊野の大神の御神徳が発揚かつ千木高く厳然として鎮まりますよう、熊野本宮大社・熊野信仰の原点となる大斎原に、日本最大の第一大鳥居を建立する運びとなった次第です。 八咫烏を掲げた天下一大鳥居であります。竣工は、平成十二年五月十一日です。

(幅)約四十二メートル
(高さ)約三十四メートル

日本には天照大神を祭る神宮(伊勢)や、 素盞鳴尊を祭るここ本宮(熊野)、大国主尊を祭る大社(出雲)を始め、たくさんの神社がありますが、神社で最初に目に付く物といえば鳥居です。鳥居は神社が神聖で清らかな場所であること、つまり神様のおはしますことを示す一種の門です。


・・センテンス毎に言わんとしていることはわかりますが、アンポンタンなあたいのおつむでは、全体の文脈がつかみきれましぇん。(^^;


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ここから歩いていくと旧社地の大斎原だと思うのですが、那智大社で雨に降られてびしょ濡れの靴の中&剥がれかかっているライディングシューズの靴底が心配で、ここから引き返しました。(^^;

熊野本宮大社近くのコンビニ?酒屋さん?でビールとおつまみを買い、この日のお宿に向かいます。

やってきました。

ここは川湯温泉。  川の中から温泉が湧き出ています。

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ズーム・アップ 
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若者が川湯を楽しんでいましたよ。 (´∀`*)

ここ川湯温泉も44年前に訪れたところ。

川湯温泉にもユースホステルがあり、その時のツーリング3日目に宿泊したんですよね~。
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当時の写真&アルバムを見るとYH河鹿荘となっていました。

YHの登録もされていましたが、実際に訪れると 普通の旅館で、YH加入者にもYHとして受け入れている感じでした。

ユース料金で、普通の旅館に泊まれてラッキー! と思ったものでした。(* ̄∇ ̄*)エヘヘ

今回の旅の出発前に「川湯温泉」「ユースホステル」でネット検索したものの、和歌山県内での情報は無し。

だいたいの場所は覚えていたのですが、その辺りは道が狭く、フルパニアのVストちゃんをとめるところがありませんでした。 仕方なくバイクをとめれそうなところまで移動して、画像におさめたのが↓。

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記事を書くにあたって、アルバムをひっぱりだしてわかったのが、前述のユースホテル名「YH河鹿荘」。

#川湯温泉 ”河鹿荘”で検索して、20年ほど前の情報がひっかかってきて、さらにそこから調べていくと・・

わかりました。 今は川湯温泉の「温泉民宿 大村屋」さんに屋号が変わっていました。

上記の画像の赤矢印のところです。

記憶していた場所と合致します。

さらにグーグルマップで見てみると・・
河鹿荘→大村屋04

河鹿荘→大村屋03

「民宿 大村屋」の下に”かじかの宿”と書かれています。

間違いなく、ここが「YH河鹿荘」だったところです('▽'*)ニパッ♪ 


この日のお宿。 大村屋さんから300m程 西に行った「山水館 川湯まつや」さんに、とうちゃこ。

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駐車場には、かっちょいいバイクが!!
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90度V型2気筒エンジン。 モト・グッツィでしょうか? めちゃカッコいい!

はじめて見ました('▽'*)ニパッ♪


ボンビーなあたい。 安宿+全国旅行支援対象宿でここにしました。
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なんとも、不思議なお部屋でした(^^;

まあ、野営よりかは快適なんですが・(笑)

びしょ濡れになった靴、靴下、カッパ、傘等をお部屋の中にひろげ・・・(明朝までに乾くかなあ・・?)

大浴場の温泉につかり・・

ビールをプシュ~~~
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ふ~~~、生き返ったよ~~~~~(☆゚∀゚)

この日も地域クーポン2000円分ゲッツ!!
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この日は、めずらしく1泊2食のプランで予約していました。

朝・夕食は、数軒先の同系列の「山水館 川湯みどりや」(まつやさんより上等な宿)でいただきます。


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朝・夕食ともバイキング形式です。

いっただきま~~す。
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品数は、それなりにありましたが・・。

う~~ん、あまり美味しくないかも・・('A`|||) 素泊まり+コンビニ弁当で良かったか・・。


この日(2日目)の走行距離:79.9km。 歩いてばかりだったもんね~~(;´Д`)
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<この日(2日目)の走行ルート>
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—旅は3日目に続く-



2023年春・紀伊半島ツーリング VOL6「オロナミンC2本を貰った思い出」

2023年春・紀伊半島ツーリングの続きです。

熊野那智大社、青岸渡寺を参拝し、ずぶ濡れになって大門坂駐車場に戻ってきました。

折り畳み傘をしまい、再度カッパを着こんで出発

往路で使った自動車専用道路の「那智勝浦新宮道路」で引き返して新宮市に。

新宮市内、雨はやんでいました。 どうも熊野那智大社あたりの山間部だけ雨がザーザー降りだったみたいっす('A`|||)

お目当てのお店にとうちゃこ。

ちょうどお昼どき。 

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和歌山といえば、和歌山ラーメンでしょ! v( ̄∇ ̄)v

和歌山ラーメン。 あたいの大好きな徳島ラーメンと同じ豚骨醤油ラーメン。 

和歌山と徳島は紀伊水道を隔ててお隣なので、きっとどちらかがルーツで、どちらかに伝わったんでしょうね。(^_-)-☆

和歌山市内では、時間的に食べることができなかったので、有名店 井出商店直伝をうたうこちらの「中華そば 速水」さんにやってきました。

おじゃましまんねやわ。
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メニューだす。
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井出商店さんには、20年ほど前に訪れたことがあります。 当時テーブルの上には「早なれ寿司(鯖すし)」が何個か置かれていましたが、こちら速水さんには 早なれ寿司はありませんでした。

 キタ━(゚∀゚)━!   キタ━(゚∀゚)━!   キタ━(゚∀゚)━! 
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お決まりの~~~

麺・リフト~~~・アップ

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いっただきま~~す

ズルルルル・・・

うまい・・・・けど・・

豚骨の臭みがけっこうあって・・・(´;ω;`)ウッ

ごちそうさまでした。


新宮から熊野川沿いに国道168号線を北上します。

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この道筋で来たかったのが、「瀞峡(どろきょう)ウォータージェット船乗り場」。

44年前のことです。京都からの紀伊半島/奈良ツーリングの3日目。

那智大社、青岸渡寺のあと、新宮市の「浮島の森」、熊野三山のひとつである「熊野速玉大社」に・・。

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そして今回の旅と同じルートで北上し、「瀞峡(どろきょう)ウォータージェット船乗り場」に。

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この時は3日目の宿のユースホステルのチェックイン時間もあったので、瀞峡ウォータージェット船の乗り場では、運行時間の確認をしただけ。

翌朝 瀞峡ウォータージェット船に乗って遊覧しました。v( ̄∇ ̄)v

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アルバムを引っ張りだして、これらの写真を見るまでは、ウォータージェット船に乗ったのかどうかも忘れていました。(^^;

それよりも、鮮明に覚えていた この地の出来事があります。

乗り場の駐車場にバイクをとめ明朝の運行時間を確認していた時です。

知らないおじさんが話しかけてこられました。

京都から4泊5日のツーリングで来ていることをお話しました。

おじさんは、60歳代ぐらいだったでしょうか。

うろ覚えですが、ふだんメグロのKだったかカワサキのWを乗っている、とおっしゃっていたように記憶しています。

そしてそのおじさんが「ちょっと待ってて」と言って、小走りに自販機の方に走っていき、「これ飲んで。 道中気をつけてね。」とオロナミンC2本を差し出してくれたんです。
瀞峡ウオータージェット船乗り場

ほんと、うれしかったです。('▽'*)ニパッ♪

旅っていいなあ!と心の底から思った出来事でした。

どこだったかなあ???

上図のとおり、広場で手前に切符売り場、奥側が駐車場だったような。


R168を北上していたら、道の駅が。

「道の駅 瀞峡街道・熊野川」。 道の駅なので当然44年前にはなかった施設。
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道の駅のお隣の施設↓

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施設の奥側が駐車場。 手前に切符売り場。

親切なおじさんに出会ったのは、ここだったのか!?

切符売り場と駐車場の位置関係はこんな感じだったけど、ずいぶん変わったような・・。

そりゃあ44年も経つと、自分の記憶もいい加減だし、施設も変わるもんなあ~。

シミジミと昔の出来事を懐かしみつつ出発

ここから5km弱進んだところに・・・

オオーw(*゚o゚*)w

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ここだああああああ!!  絶対ここ!!

44年前におじさんにオロナミンCをもらったところ!! .。゚+.(・∀・)゚+.゚

今は、「瀞峡めぐりの里 熊野川」って施設名称になっていました。

44年前、瀞峡ウオータージェット船に乗った際にもらった記念品の”しおり”に「熊野交通」さんの名前が。
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今は「熊野交通」さんが合併、持ち株会社化(ホールディングカンパニー)し、熊野観光開発(株)さんが事業継承しているようで、44年前の出来事は 間違いなくこちらの駐車場でした。(*゚▽゚*)


ここから河原に出られるのでのぞいてみましたよ。

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すばらしい景色です。

腰をおろし、あのおじさんの事を思い出しながら、しばらく川面をながめていました。

この景色を見れただけで、この旅にきた甲斐がありました。('▽'*)ニパッ♪


-旅はつづく-

2023年春・紀伊半島ツーリング VOL5「ずぶ濡れの熊野那智大社」

2023年春・紀伊半島ツーリングの続きです。

この旅、二日目(5/26金)。

梅雨の合間をぬっての今回の旅。  天気予報では、ずっと晴れor曇りだったのですが、初日の宿に着いてから夜の間 雨が降りました。

朝、雨もあがり良かったあ~~  (*´∀`*)❤

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R42号線を北上。 太地町あたりから自動車専用道路の「那智勝浦新宮道路」にのり、さらに北上していると・・

ザ~~~!! ザ~~~!! 

強い雨が降り出しました。(TДT)

途中バイクをとめるところもなく、那智勝浦ICを降りてすぐにコンビニ発見!

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雨はやみそうになく、軒下でカッパ、ブーツカバーを着込み、グローブは防寒テレコムに履き替え、先へ進みます。

この日最初の目的地にとうちゃこ。

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ここは、世界遺産にも登録されている熊野那智大社の大門坂駐車場。

今回の旅では熊野古道を少しでも歩いてみたかったので、こちらにバイクをとめ歩いて熊野那智大社/青岸渡寺を目指します。

那智山観光案内map02
カッパを脱ぎ、折畳傘ををさして出発

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てくてく・・
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てくてく・・
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ウゲッ(((( ;゚д゚)))  てくてく・・
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てくてく・・

ん!? (・∀・)
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【多富気王子跡  Tafuke-Oji remains】
熊野参詣道中辺路にある最後の王子社です。 おそらく樹叢や峠の神仏に「手向け」をした場所で、それがいつしか王子と呼ばれるようになったと思われます。ただし、王子の名は中世の記録には登場せず、江戸時代の地誌類にみられます。 『熊野道中記』には、「那智山坂ノ内壱町程上り、右ノ方」と記されています。また『紀南郷導記』では若一(にゃくいち)王子、『紀伊続風土記』 では児宮(ちこのみや)と呼んでいますが、『熊野巡覧記』には、若一王子と児宮の両方の名をあげています。 江戸時代には社殿がありましたが、明治十年に熊野夫須美(ふすみ)神社 (現、熊野那智大社)の境内に移され、跡地だけとなりました。

( *゚ェ゚))フムフム

さらに・・

てくてく・・
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団体さんに遭遇。 この横は「熊野古道バス停」でした。
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那智大社まで、まだまだあるのね・・('A`|||)
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ん? 石段に何か書いてますね。 なんなんだろ??
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まだまだ階段は続き・・
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ライディングシューズの中が・・

水が浸入してきてビショビショ (´;ω;`)

靴を確認してみると・・

靴底の一部が剥がれかかってまんがなノ( ̄0 ̄;)\オー!!ノー!!!!

まずいぞ~~~。  まあ最悪ガムテープぐるぐる巻きの刑ですね(゚∀゚)アヒャ

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おおお、着いたかあ??

ん?
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まだ登らんとあかんの? ('A`|||)

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【国指定歴史の道 「熊野古道大門坂」
県指定天然記念物 「那智山旧参道の杉並木」】

那智山は都より山川八〇里・往復一ヶ月の日数をかけ踏み分けた参詣道が「熊野道」である。 熊野九十九王子としても知られた往古の歴史を偲ぶ苔むした道でもあり、那智山の麓から熊野那智大社への旧参道です。

この石畳敷の石段は、二六七段・その距離約六〇〇メートル余、両側の杉並木は、一三二本で他に老楠が並び入口の老杉は「夫婦杉」と呼び、幹周り八・五 メートル余、樹高五五メートル余、樹齢約八〇〇年程と推定されている。

途中には熊野九十九王子最終の多富気王子跡がある。 この所に大門があったので「大門坂」とも呼ばれています。

和歌山県
那智勝浦町
熊野那智大社

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とぼとぼ・・
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ん??
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大門坂の石階段の字はかなり古いものでしたが、このあみだくじ状に削られた格子線は 比較的新しいもののようです。

宗教的なものでなく、いたずらのように見えます。

世界遺産にこんなことして問題にならないのか!?

やっと那智大社の近くまでやってきましたよ  ε-(´∀`*)ホッ

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雨に濡れたうえ、汗で体もビショビショ。 靴の中は雨が侵入して、これまたびしょびしょ。

拭き拭きしたタオルも、ビッショリ(;´Д`)

最後の階段・・。
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とうちゃこ!!

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【熊野那智大社 御由緒】
熊野という地名には諸説ありますが、紀伊続風土記には「熊野は隈にてコモル義にして」 とあり、「奥まった処」「隠れたる処」との意が、また「クマ」と「カミ」とは同じ意があ ると考えられ、「クマノ」とは 「カミの野」で神々が住まう地といえます。

往古、神武天皇御東征のみぎり、この地に上陸された神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)(神武天皇)が那智の大瀧を神として祀られたのが那智山信仰の始まりとされ、その後、命は熊野の神使である八咫烏の導きにより大和の地に赴かれ、橿原宮で初代天皇に即位されました。

当社は仁徳天皇五年(三一七年)、この那智山中腹に社殿が創建され、御瀧本より熊野の神々を遷座してお祀りしたと伝えられています。 御祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)と申し上げる我が国の最初の女神「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」を主神として十三所の神々をお祀りし、全国の熊野神社 四千余社の御本社である熊野三山 (本宮大社・速玉大社・那智大社) の一社であり、 「日本第一大霊験所 根本熊野三所権現」として崇められています。 主神の御名「夫須美」は「むすび」と同意であり、諸願成就の御神徳があり、かつては「結宮(むすびのみや)」とも称されました。

熊野信仰は、我が国に仏教が伝わると早くから神仏習合が進み、修験道の隆盛とも相俟って熊野権現として崇められ、平安中期頃より上皇(法皇)が詣でる熊野御幸は百余回に及び、やがて武将や庶民に至るまで大勢の人々が詣でるようになり、「蟻の熊野詣」と称されました。

那智山信仰の根元である那智の御瀧は、当社の別宮 「飛瀧神社(ひろうじんじゃ)」と申し上げ大己貴神(おおなむちのかみ)をお祀りしています。

【御祭神】
第一殿 瀧 宮 大己貴神(おおなむちのかみ)
第二殿 証誠殿 家都御子大神(けつみこのおおかみ)   (素盞嗚尊(すさのおのみこと) )
第三殿 中御前 御子速玉大神(みこはやたまのおおかみ)  (伊弉諾尊(いざなぎのみこと) )
主神 第四殿 西御前 熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ) (伊弉冉尊(いざなみのみこと))
第五殿 若宮 天照大神(あまてらすおおかみ)
第六殿 八社殿 天神地祇八神
御縣彦社 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)(八咫烏)

【例大祭】
七月十四日 例大祭 「那智の扇祭り」(那智の火祭り)は、平成二十七年に国の重要無形民俗文化財に指定されています。 また、同日に奉納される「那智の田楽」も国の重要無形民俗文化財 (昭和五十一年)であるとともに、ユネスコの無形文化遺産(平成二十四年)に登録されています。

【御本殿】
熊野権現造りと称し、正面に五棟・側面に一棟と御縣彦社・鈴門・瑞垣からなっており、現在の建物は豊臣の世に再興し、その後享保・嘉永の年間に大改修され、平成七年に国の重要文化財に指定されています。

【世界遺産登録】
御社殿及び境内域は、平成十六年(二〇〇四年) に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録され、この那智山社域一体は吉野熊野国立公園の特別域でもあります。

( *゚ェ゚))フムフム


チャリ~ン。←お賽銭
ペコペコ。 パンパン。 ペコリ。←二礼二拍手一礼

すぐお隣の青岸渡寺に移動。
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【西国霊場第一番札所 天台宗 那智山青岸渡寺】

補陀洛や岸うつ波は三熊野の那智の御山にひゞく滝津瀬(*)

当山は仁徳帝の頃(三一三‐三九九)印度より裸形上人が熊野の浦に漂着、現在の堂の地に庵を結んだのに始まると伝られている。 その後、推古帝(五九三一六二八)の時大和より生仏上人が耒山し、玉椿の大木をもって、現在の本尊(御大約四米)を彫り、裸形上人感得の観世音菩薩を胸仏として納め安置す。のち 推古帝の勅願寺となり、那智霊場の中心として熊野信仰を育くんできた。従って御本尊如意輪観世音菩薩の霊験を受けんとして、日夜礼拝修業する者その数を知らず、又天皇上皇の尊崇も深く、殊に平安時代人皇六十五代花山上皇が滝の上の山中に庵を造り、三ヶ年御修業の後、当山より西国三十三ヶ所観音礼場巡拝の旅に出られた。当時より長きに亘り巡拝の寺として親しまれている。当山は古くより那智山如意輪堂と称していたが明治の神仏分離によってその形態が変り以来青岸渡寺と称するようになた。(注:「なった」の誤り?)  現在の建物は天正十八年、豊臣秀吉公が、発願再建されたもので桃山時代様式の建物として南紀唯一の重要文化財である。


(*)滝津瀬・滝つ瀬【たきつせ】とは
滝。滝のような急流。

青岸渡寺から那智の滝が拝めます。

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青岸渡寺を参拝後、お寺の方に「那智の滝前バス停」までの道を聞き、下り坂をてくてく・・。

もう水浸しの靴の中は、悲惨なことになってます。(´;ω;`)ウゥゥ

三重の塔のところまで下りてきました。
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バス停と反対方向に那智の滝がありますが・・。

もうこれ以上雨の中をずぶ濡れになって歩く元気がありましぇん。('A`|||)


44年前はというと、熊野古道を歩こうなんて発想はまったく無く・・

バビューンと那智の滝までバイクできて・・
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山頂の熊野那智大社/青岸渡寺にバイクでバビュ~~ン ( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
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三重の塔、那智の滝をバックに青岸渡寺で撮った写真。

若い娘さんを連れた親子3人のお父さんにシャッターを押してもらいました。

カメラを返してもらいお礼を告げると、横からお母さんが・・

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お母さん:「あなた学生さんでしょ? 平日にバイクでこんなところまで来て学校は?」

あたい:「あはは。 学校は自主休校っす。」(・∀・)

お母さん:(ちょっと怪訝そうな顔で)「何年生なの?」

あたい:「2年生です。」(☆゚∀゚)

お母さん:「うちとこの娘と同じ歳じゃないの!? 学校を休んでバイク旅って!! 進学しないにしても・・」

あたい:「あの~~~。私 大学の2回生なんですけど・・(TДT)」

お母さん:「・・・モグモグモグ・・・」


童顔かつ当時髪型が角刈りだったので、高校生に間違われました。(T_T)

こんなことも旅の思い出。44年経った今でも覚えているんですもんね。(^^;



バス停はもうすぐ。

やっと着きました。

時刻表を見ると5分ほど前にバスが出たばかり。 雨の中 30分程バスを待ちました。 泣きたくなりましたよ(ノ◇≦。) ビェーン!!
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この後、外人観光客さんで満員のバスに乗り、バイクをとめている大門坂駐車場まで戻ってきました。

-続く-

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