いよいよ この旅の記事もラストになります。
長々とごめんなさい(^^;
奥の院から展望公園エリアへ。
こんな道をトコ・トコ・トコ
展望公園のあるエリアにでてきました。(・∀・)
<金剛堂>
金剛堂南側は展望台(展望公園)。
手前の木々と、天候も曇り空で、眺望はいまひとつでした。(^^;
このエリアの一角にあった石仏?
↓↓↓仏様の下の刻字です。

「〇泊院静??・・」
最初の文字を書き写してみたらこんな字です。↓↓↓
旧字か異体字のようですが、調べても何の字かわかりませんでした。


この石仏の説明書きも設置されていませんでした。
〇泊院の名から、この円教寺の僧坊や隠居坊に住んでいた昔の僧侶を祀った供養塔だと推測しました。
どうしても気になるので、さきほど円教寺に直接電話して確認してみると、想像通り「円教寺の昔の僧侶のお墓」との回答でした。 ただ最初の文字は、円教寺でもわかっていないそうです。(^^;
<薬師堂>
<法華堂>
<鐘楼>
円教寺内の主要施設のあらかたを参拝し、てくてくと摩尼堂近くのバス停へ。
ロープウェイ山頂バス停から円教寺摩尼堂近くのバス停までの往路はミニバンでしたが、復路は乗客も多かったのでマイクロバスでした。
左右に大木のある曲がりくねった細い山道を、ブオ~~ンとマイクロバスが疾走します。 木々すれすれにハンドルを切って進むマイクロバス! ジェットコースターです。( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
ロープウェイ山上駅からロープウェイに乗り下山。
お昼前です。
滞在時間3時間弱。 書寫山円教寺、見ごたえありました



さて高松に向いて帰りましょう(*゚∀゚)っ
ポンコツ腰のおかげで、1時間以上バイクに乗りっ放しだと腰がかたまってしまいます。
高速道路のSAで何度か休憩をとりながら・・
お家に・・
とうちゃこ
1泊2日の今回のツーリングの走行距離=362km
(到着時:9015kmー出発時:8653km=362km)
今回は1泊2日の短い旅でしたが、2024年8月発症した腰椎椎間板ヘルニア以降はじめてのお泊りツーリングでした。
2年弱経って、左足に痺れが残ってしまった後遺症をかかえながらも、なんとかツーリングに行けるまで回復しました。
赤穂浪士を偲んで赤穂大石神社の参拝。 風情のあるたつのの町の散策。 想像以上に素晴らしかった書寫山円教寺。 そして生姜醤油の出汁で食べる姫路おでん。
短い期間ながらも思い出に残る旅になりました。
寅さんのロケ地でもあるたつのの町は、もう一度聖地巡礼の旅で再訪したいと思います。
腰の具合次第ですが、秋にはもう少し長旅に出れたらいいなあ~~('▽'*)ニパッ♪
長々とごめんなさい(^^;
奥の院から展望公園エリアへ。
こんな道をトコ・トコ・トコ
展望公園のあるエリアにでてきました。(・∀・)
<金剛堂>
【重要文化財 金剛堂】
金剛堂は、圓教寺の開祖性空上人 (910-1007) にとって特別に重要な場所である。 書写山で修行を始めたころ、性空上人はかつてこの場所にあった普賢院の塔頭に住んでいたと考えられている。 普賢院に住んでいたときに、金剛薩埵菩薩 (サンスクリット語: ヴァジュラサトヴァ) が性空上人を訪問された。 金剛薩埵は、悟りへの揺るぎない願望を象徴し、天台宗では中心となっている仏である。 金剛薩埵は伝えられるところによると、金剛界曼荼羅と退蔵界曼荼羅を表す神聖な印相 (ムドラ)を性空上人に伝えたとされる。 これら二つの曼荼羅は蜜教の修行の基本である形而上学的領域を表現している。
室町時代 (1336年~1572年)に、普賢院の茅葺きの仏殿がここに移されて、性空上人との奇跡的な出会いを記念するために金剛薩埵菩薩像が祀られた。 建物の内部は、元々その像が安置されていた金色に輝くお堂が中心になっている。像は、現在は食堂の2階に展示されている。この像は、1359年に奈良の東大寺の仏師である康俊によって彫刻された。
1544年に金剛堂は改装された。 当時の屋根は瓦葺で、天井にはさまざまなアジアの宗教的な神聖な事物や生き物が色鮮やかに描写されていた。その中には仏教ではしばしば悟りを表す2頭の龍が描かれている。 天井の別の箇所には、半分鳥で半分人間の姿をした不死の迦陵頻伽 (サンスクリット語: カラヴィンカ) が飛び、崇高な声で仏陀の教えを伝えている。
金剛堂南側は展望台(展望公園)。
手前の木々と、天候も曇り空で、眺望はいまひとつでした。(^^;
このエリアの一角にあった石仏?
↓↓↓仏様の下の刻字です。

「〇泊院静??・・」
最初の文字を書き写してみたらこんな字です。↓↓↓

この石仏の説明書きも設置されていませんでした。
〇泊院の名から、この円教寺の僧坊や隠居坊に住んでいた昔の僧侶を祀った供養塔だと推測しました。
どうしても気になるので、さきほど円教寺に直接電話して確認してみると、想像通り「円教寺の昔の僧侶のお墓」との回答でした。 ただ最初の文字は、円教寺でもわかっていないそうです。(^^;
<薬師堂>
【兵庫県指定文化財 薬師堂】
薬師堂は圓教寺で最も古い建物である。 1978年に建物の大規模な改修が行われたとき、奈良時代 (710-794) の遺物が内部から発見された。 これらの遺物の存在は、圓教寺の開祖である性空上人 (910-1007)が966年に書写山に入山する以前から、この場所が宗教的な意味を持っていたことを示している。 何世紀にもわたって、何度も改築や増築が行われてきたため、この建物の建築史を正確に追跡することは困難になっている。 しかしながら、大きな主柱と装飾的な屋根の梁は、それが大仏様 (だいぶつよう)と呼ばれる初期の大陸の寺院建築の様式に基づいていることを示している。
このお堂は 「癒しの仏様」 あるいは「医術の達人」として知られている薬師如来を安置していることから名づけられた。 薬師如来は健康と癒しの仏様であったことから朝廷の人々に親しまれ、6世紀に仏教が伝来した後、早くから崇拝の対象となった仏様の1人であった。 薬師如来崇拝は、仏教が一般庶民階級に受け入れられ、多くの寺院がその像を祀るようになった8世紀に広まった。 ほとんどの場合、薬師如来は薬瓶を左手に持って表現されている。 ここ圓教寺の薬師堂の薬師如来像は、室町時代 (1336-1573)に製作されたもので、食堂の2階に展示されている。
<法華堂>
<鐘楼>
【重要文化財 鐘楼】
近代以前、時計が一般的ではなかった時代に、寺院の鐘は重要な役割を果たし、時間の共同指標となっていた。 中国の計時慣行に従って、1日を12に分割する伝統的な寺院の鐘は通常2時間ごとに鳴らされた。 また、鍾は新年のお祝い、お祭りなどの特別な日や、火災の発生など、危険を知らせる必要があるときにも鳴らされた。
圓教寺の鐘楼は傾斜したピラミッド型の台座の上にある。 これは、袴を着用している人のシルエットに似た格好で袴造と呼ばれている。 下から履く伝統的な服である袴で乗馬するときに着用する。 基部のすぐ上にあるかみ合わせ支えの基礎は、構造の実質的な重量を均等に分散させ、周囲の露台を補助するように設計されている。 瓦葺の屋根の軒下にも同様の組み合わせ支えが見られる。 鐘楼内部の青銅製の鍾は、仏教の象徴である龍や蓮の花などで華やかに装飾されている。 鐘は銘刻されていないが、そのスタイルの特徴は1324年頃に鋳造されたことを示唆しており、兵庫県で最も古く、日本で最も古い鐘の1つとなっている。 鐘楼自体はおよそ1332年にさかのぼり、さらに初期の構造の再建と考えられている。 鐘楼は国の重要文化財、鐘は兵庫県の文化財である。
円教寺内の主要施設のあらかたを参拝し、てくてくと摩尼堂近くのバス停へ。
ロープウェイ山頂バス停から円教寺摩尼堂近くのバス停までの往路はミニバンでしたが、復路は乗客も多かったのでマイクロバスでした。
左右に大木のある曲がりくねった細い山道を、ブオ~~ンとマイクロバスが疾走します。 木々すれすれにハンドルを切って進むマイクロバス! ジェットコースターです。( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
ロープウェイ山上駅からロープウェイに乗り下山。
お昼前です。
滞在時間3時間弱。 書寫山円教寺、見ごたえありました
さて高松に向いて帰りましょう(*゚∀゚)っ
ポンコツ腰のおかげで、1時間以上バイクに乗りっ放しだと腰がかたまってしまいます。
高速道路のSAで何度か休憩をとりながら・・
お家に・・
とうちゃこ
1泊2日の今回のツーリングの走行距離=362km
(到着時:9015kmー出発時:8653km=362km)
今回は1泊2日の短い旅でしたが、2024年8月発症した腰椎椎間板ヘルニア以降はじめてのお泊りツーリングでした。
2年弱経って、左足に痺れが残ってしまった後遺症をかかえながらも、なんとかツーリングに行けるまで回復しました。
赤穂浪士を偲んで赤穂大石神社の参拝。 風情のあるたつのの町の散策。 想像以上に素晴らしかった書寫山円教寺。 そして生姜醤油の出汁で食べる姫路おでん。
短い期間ながらも思い出に残る旅になりました。
寅さんのロケ地でもあるたつのの町は、もう一度聖地巡礼の旅で再訪したいと思います。
腰の具合次第ですが、秋にはもう少し長旅に出れたらいいなあ~~('▽'*)ニパッ♪


























































































































































