Michiruブログ

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日本一周ツーリング「中部」

2024春ツーリング 「関西・中部」 4/13~4/22 総集編(集計・お土産他) 

今回の旅、「2024春ツーリング」 のまとめです。

おおまかな走行ルートです。 
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走行距離 1499.4km。

お寺やミュージアム、お城他 なにせ歩く時間が多かったので、日数の割には走行距離は少な目かも・・。
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<集計表>
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2022-04総括表明細b

今回の旅は市街地泊が多かったので、テントは持参せず すべて安宿泊まりにしました。

宿泊費と施設見学費が、いつもよりかさんだ感じです。(;´Д`)


さて、今回の旅のお土産です。(☆゚∀゚)
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まずは、愛知県北設楽郡豊根村 「道の駅 豊根グリーンポート宮嶋」で買った”栗ようかん”と”もうたま卵”。




・栗ようかん
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栗の実が入っているのかと思ったら違いました。(^^;

うん、羊羹です。はい。(゚∀゚)アヒャ


・もうたま卵(らん)
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奥様がラーメンに投入してくれましたよ。(・∀・)

ピリ辛の担々麺に、これまたピリ辛の”もうたま卵”!

黄身までしっかり味が染み込んでて、美味しかったですよ~~(o^∇^o)ノ
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・妻籠宿のえのき坂満寿庵さんで買ったそば饅頭



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甘さ控えめな素朴なお味でした。(*'-'*)


・岐阜県加茂郡東白川村  「道の駅 茶の里東白川」で購入した”赤かぶら”。




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飛騨名産 赤かぶら漬け。 はじめて食べます。

着色料を使用していない自然発酵食品だとか。

おおお、独特の匂い(香り)ですねぇ。  最初のうちは ちょっと苦手かなあ!?と思っていましたが、油が強い食品の口直しになり、これが癖になっちゃいそうでした。(*゚▽゚*)


岐阜かかみがはら航空宇宙博物館で買った宇宙食(いちごアイス味)



宇宙食!?  興味だけで買ってしまいました。(^^;

開封!

ちっちゃっ

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いざ実食!

ん('д` ;)

たしかに、いちごアイスの味だけど・・。

今まで口にしたことのない たとえようのない食感。 

言えることは・・・

650円も出して買うんじゃあなかった・・・(´;ω;`)

 

さて日本の原風景を求めて、秋はどこに行こうかなあ。('▽'*)ニパッ♪





2024春ツーリング 「関西・中部」VOL24 8日目(4/20)その2<養老の滝、関ケ原古戦場>

前回記事の続きです。

岐阜県各務原市にある「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」をあとにします。

ちなみに・・

各務原市。 最初 読み方がわかりませんでした。(^^;

”かかみがはら”。  ひとつお利口さんになりましたよ。(*゚∀゚)っ



西にVストちゃんを走らせ、とうちゃこ~~(・◇・)ゞ

居酒屋さんの駐車場に着きました。  ((ヽ(`д´;)チャウチャウ(;`д´)ノ));

ここは、養老の滝駐車場。

養老の滝にアクセスできる駐車場は二つ。

ひとつは公営で無料の「養老の滝入口駐車場」。 無料で人気なようですが、養老の滝まで坂道を片道30~40程歩かないといけないようです。

この旅で歩き疲れているあたいは、養老の滝まで近いこちらの民営の有料駐車場にとめました。

この日の駐車料金、車は1000円ですが、バイクは300円! (・∀・)ラッキー
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駐車場横の遊歩道をてくてく。
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ここは岐阜県養老町。
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6~7分で滝につきました。

↓ パネルから顔を出すと、滝にうたれることができますよ。(゚∀゚)アヒャ
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有名な養老の滝。

養老の滝を知ったのは、数十年前。 居酒屋さんの名前で・・(^^;

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養老の滝は、「日本の滝百選」 並びに環境庁の「名水百選」に選ばれている名瀑、名水です。また、水がお酒になった親孝行の「養老孝子伝説」など故事来歴のある優れた霊水です。

奈良時代、元正天皇は「万病を癒す薬の水」 との報告を受けられ、美濃の国多度山の美泉に行幸されました。
史書 「続日本記」 に記述されている元正天皇のお言葉があります。
「自分で手や顔を洗ったら、 皮膚はつるつると綺麗になり、 痛むところも治った。 また、この水を飲み、浴した人は、白髪も黒くなり、はげた髪も新しく生え、見えにくくなった目も明るくなった。めでたいことです。 この水は、真に老を養う若返りの水です」

元正天皇は、「醴泉(れいせん)は、美泉なり。 以て老を養うべし、蓋し水の精なればなり。 天下に大赦して、霊亀三年を改め、養老元年と為すべし」と詔なさって、 西暦71 7年に年号を「養老」と改められました。

名水百選 「養老の滝・菊水泉」の「菊水泉」は、滝から約500m下の養老神社境内にあります。 今では、滝と泉が上と下に分かれていますが、もともとは滝の瀬として一つの流れでした。
養老山から流れ出る水は、石灰岩層を浸透してきたもので、炭酸分やミネラルを含み爽やかで甘美な水です。 元正天皇がお言葉された長寿、若返り、健康」の霊水でもあります。

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若返りの水! 飲めばよかったなぁ~~~(*´Д`*)

駐車場に戻り、駐車場の同年代っぽいお姉さんと ひとしきり世間話をしたあと、西に向かいます。


着きやした!
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ジャ~~ン。.。゚+.(・∀・)゚+.゚

ここは岐阜関ケ原古戦場記念館。

おじゃましまんねやわ 

2階の展示室。
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大筒。 けっこう重いんですね。Σ(´д`;)


関ケ原は東西の境目にあたるようで、東西でこんな↓違いが紹介されていました。
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「確かに!」と思うことや、「そうなん??」と思うことも・・。(*´Д`*)



1階はシアターとグラウンド・ビジョンの視聴ブース。

行列ができていたので、予約以外の列に並びました。

あとでネットで調べるとwebから事前予約ができるみたいです。 (予約者は優先入場。)
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迫力ある映像と音響!  

関ケ原の合戦をわかりやすく学ぶには、このシアターとグラウンド・ビジョンの視聴はおすすめです!


5階の展望室から。

赤枠の場所が、決戦地と石田三成陣跡。
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行ってみましょ

関ケ原古戦場決戦地。

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西軍は総兵力で東軍を上回っていたが、開戦から積極的に戦っていたのは石田三成、宇喜多秀家、小西行長、大谷吉継らごく一部だった。

西軍に与しながら、事前に東軍へ内通していた松尾山の小早川秀秋は去就を決めかね戦況を傍観。南宮山 (垂井町)の毛利秀元は、やはり東軍に内通した一族の吉川広家に進路を塞がれ、南宮山麓の安国寺恵瓊ら諸隊も動くことができない。 小池村に布陣した島津義弘に至っては専守防衛の姿勢で敵味方構わず討ち払っていた。

それでも、黒田長政らの猛攻を幾度も押し返した石田隊をはじめ西軍諸将は善戦し、正午頃まで一進一退の攻防が続いていた。桃配山に布陣した徳川家康は、いち早く陣を進めて全軍を指揮したが、この状況に極めていらだったといい、煮え切らない秀秋に向け鉄砲を撃ちかけたと言われている。

しかし、秀秋が寝返りを決意し、迎撃した大谷隊は善戦むなしく壊滅、西軍は総崩れとなる。 その時ここ決戦地一帯は、 最後に残った石田隊や島津隊に押し寄せる東軍諸隊で埋めつくされていたと考えられる。 東軍の最後の一押しに石田隊もついに壊滅、島津隊は家康の本陣を横切り敵中突破して戦線を離脱 して戦いは終わる。

天下分け目と言われる国内最大級の戦いは、わずか半日程度でその幕を閉じた。
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織田信長から豊臣秀吉の時代になり、秀吉死後の日本の行方を決めることになる関ケ原の戦い。

そこには、小早川秀秋他数人の戦国大名の”裏切り”によって歴史が動いたんですね。

↑の説明書きでも、あったように「東西どちらの陣営につくか迷った秀秋の陣に家康が鉄砲を打ち込んだため意を決した秀秋が西軍に襲いかかった」とは従来いわれてきたことですが、これは江戸時代成立の二次史料に記されているものであり、合戦後すぐに作成された9月17日付の石川康通、彦坂元正による連署書状には秀秋が開戦直後に裏切ったと記されているようです。

いずれにせよ、豊臣家の養子として出世したにもかかわらず、西軍を裏切り、瓦解させた事は、卑怯な奴!のレッテルは避けれないですね。

この小早川秀秋。 関ケ原の合戦の2年後。 アルコール依存症よる内臓疾患が原因で22才で早世したようです。


決戦地から少し移動

こちらは、石田三成陣跡。
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階段を上がっていきます。
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さらに続く階段・・('A`|||)
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つきました。(・∀・)
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笹尾山は北国街道を押さえる位置にあり、高所で盆地を一望でき、防御に適している。
石田三成隊約6千は、西軍諸隊とともに前日の夜半に大垣城を出て、合戦当日の午前1時頃ここへ布陣した。

午前8時頃に戦いの火蓋が切られると、 黒田長政や細川忠興ら兵力で勝る東軍諸隊が猛攻を仕掛けるが、 島左近(清興) を中心に石田隊は獅子奮迅の働きを見せ、東軍を幾度も押し返す。 しかし、左近が黒田隊の射撃で負傷し戦線から脱落すると、石田隊も徐々に押し込まれる。

西軍は善戦していたが戦っていたのは一部の部隊だけだった。島津義弘は三成の度重なる参戦要請を拒否。 午前11時頃、三成はここから総攻撃の烽火を上げたが、松尾山の小早川秀秋、 南宮山 (垂井町)の毛利秀元らは動こうとしない。

その最中、正午頃に秀秋が東軍へ寝返り均衡は崩れる。大谷吉継隊が壊滅すると、西軍諸隊は次々に崩れ敗走。 勢いに乗って押し寄せる東軍諸隊を相手に、石田隊は決死の覚悟で踏み止まり奮闘したが、午後2時頃にはついに壊滅。 三成は再起を期して、背後の伊吹山方面へ逃れていった。
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三成のこの後ですが、ウィキペディアには↓のように書かれていました。

戦いに敗れた三成は、伊吹山の東にある相川山を越えて春日村に逃れた。その後、春日村から新穂峠を迂回して姉川に出た三成は、曲谷を出て七廻り峠から草野谷に入った。そして、小谷山の谷口から高時川の上流に出て古橋に逃れた。しかし9月21日、家康の命令を受けて三成を捜索していた田中吉政の追捕隊に捕縛された。

一方、9月18日に東軍の攻撃を受けて三成の居城・佐和山城は落城し、三成の父・正継、兄・正澄を含む石田一族の多くは自刃した。9月22日、大津城に護送されて城の門前で生き曝しにされ、その後、家康と会見した。9月27日、大坂に護送され、9月28日には小西行長、安国寺恵瓊らとともに大坂・堺を罪人として引き回された。9月29日、京都に護送され、奥平信昌(京都所司代)の監視下に置かれた。

10月1日、家康の命により六条河原で斬首された。享年41。辞世は「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり」。首は三条河原に晒された後、生前親交のあった春屋宗園、沢庵宗彭に引き取られ、京都大徳寺の三玄院に葬られた。

『ウィキペディア(Wikipedia)』より。


残酷ですね・・・。

切ない気持ちになりました・・・(ノд・。) グスン


この日のお宿に向かいましょ

岐阜県から滋賀県に。

滋賀県犬上郡豊郷町の「ビジネスホテルくらま」さん。
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いつものように・・・

ディスクロックをして、万が一の盗難予防。(・∀・)

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最近のgoogleマップさん。 宿泊施設をクリックすると、予約サイトごとの料金を表示してくれます。

ビジネスホテルくらまさんの場合、この日 一番安いTabistからの予約で素泊まり4230円/日な~~り。
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お風呂からあがり、近くのローソンで買ってきたホルモン鍋で・・
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パスタも湯がき、ホルモンパスタ!? (゚∀゚)アヒャ
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今晩から雨!!
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この旅に出てから1週間以上。  宿到着後翌日の出発までに雨が降ったことが3度ありましたが、今まではなんとか雨に降られず ここまでやってこれました。

が、翌日は間違いなく雨!! どうしよう?(TДT)


<この日の走行ルート>
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<この日の走行距離:110.1km>
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<この日の会計>
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-9日目に続く-











 

2024春ツーリング 「関西・中部」VOL23 8日目(4/20)その1<岐阜駅前~岐阜かかみがはら航空宇宙博物館>

この旅 8日目の朝。

岐阜駅すぐ近くのビジホに泊まったあたい。 
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ちょっくら朝のお散歩。

岐阜駅南側の加納口から・・
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構内を突き抜け・・
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北側の長良川口に。

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そして、信長像に・・おはようさん v(*゚∀゚)っ!
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永禄十年(一五六七年)「井の口」から「岐阜」へと地名を改めた織田信長公は、楽市楽座など、新な政策を取り入れ、岐阜のまちの発展に尽力しました。 
マントを羽織り、右手に種子島(鉄砲)、 左手に西洋兜を持ち、まっすぐ前を見つめるこの像は、常に時代の最先端を歩き 『変革』を目指した信長公の姿を象徴しており、都市再生を図る岐阜のまちの未来を表現するものとなっています

平成二十一年九月二十六日
岐阜市

寄贈「信長公の銅像を贈る会」(市制一二〇周年記念)
製作 田畑功


織田信長に関しても、時代とともにさまざまな考証がされているようです。

史実だけを見てみると、かなり恐ろしいことをやっていますが、戦国時代の世の中にあっては現代の感覚は通用しないのかもしれませんね。(((((゚Д゚;)))ガクガクブルブル


さて、出発しまひょ。(・∀・)

Vストちゃんに乗り、30分程でとうちゃこ~~。

ここは「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」。

10時開館ですが、10分以上前に着いちゃった。  
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ゲートは時間前ですが開いていました。
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このあたりは、フリー区間。
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↓ おおお! YS11だあぁ!!

昔、出張でよく乗りました。 まぁ揺れる揺れる。 エアポケットでガクンっと機体が下がった時はビビりましたよ。('A`|||) 
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開館時間まであと数分。
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いざ入館。 入館料800円な~~り。
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<陸軍 乙式一型偵察機(サルムソン2A2)>

”赤とんぼ”の呼称で有名な九三式中間練習機かと思いきや、赤とんぼが登場する数年前の陸軍の機体でした。

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<陸軍 三式戦闘機二型 「飛燕」>

おおお! 飛燕だああ! 美しいフォルムですね~~。

そういえば、最近 岡山県浅口市金光町にあるバイクパーツ製造販売のドレミさんのドレミコレクションミュージアムで飛燕レプリカが公開されて話題になっていますね。


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その他の展示・・
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「戦後」のブースへ移動。

オオーw(*゚o゚*)w  圧巻!! 

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<T-33A ジェット練習機>
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<富士 T-1B ジェット練習機>
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<F-104J 要撃戦闘機>
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<三菱 T-2 高等練習機>
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<F-4EJ改 戦闘機>

ファントムだぁ~。
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<三菱 T-2 CCV研究機>
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<UF-XS実験飛行艇>
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<川崎 KAT-1 練習機>
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その他・・
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<飛鳥>

でっかいジェットエンジンですね~~(・∀・)

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このフロアの全体像。
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奥の方で、係員の方から「フライトシュミレーターできますよ~~」と声をかけていただきました。

何かわからず誘われるままに・・

搭乗! (*'-'*)
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おおお、本格的~~~(´∀`*)
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( *゚ェ゚))フムフム
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テイクオフ!!
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飛んでますよ~~~(*゚▽゚*)
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このあと、輪っかがでてきて そこをくぐってスモークを出すのですが・・・

終わって着陸・・。
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採点が出てきます。  うまく出来たと思ったのに・・・

Cランクでした。(´;ω;`)
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これ、面白かったです。(゚∀゚)アヒャ


さて、宇宙の旅へ 
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↓ 実物大の模型ですが、よくできてますね~~( ಠдಠ)
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ひととおり見て、1階の売店へ。
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おおお! 宇宙食だって!?
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いろいろなお味の宇宙食!!
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お土産にいちごアイス味の宇宙食を買いましたよ~~v( ̄∇ ̄)v

ちなみに650円な~~り。
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入館して1時間後。

ガラガラだった駐車場は、けっこういっぱいになっていました。

人気スポットなんですね。
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さて、次に向かいましょうかねぇ (。・ω・)ノ゙

-続く-





2024春ツーリング 「関西・中部」VOL22 7日目(4/19)その2<飛水峡、岐阜城>

前回記事の続きです。

妻籠宿から国道256号線を通り西進。

長野県から岐阜県に 
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あっ! お蕎麦屋さん発見! 11時。 ちょっと早いけど、お昼にしましょ(*´Д`*)
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「そば茶屋 付知店」さん・・ 岐阜県中津川市付知町。

中津川・・

中津川といえば「中津川フォークジャンボリー」の場所ですよね。 古すぎてわからない!?(゚∀゚)アヒャ

先ほどまでは、松本ナンバーの車ばかりでしたが、このあたりになると車は岐阜ナンバーですね。(・∀・)


天丼セット(天丼+ざる蕎麦)注文。
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キタ━(゚∀゚)━! キタ━(゚∀゚)━!
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て、天丼??  天かすの天丼なの?? (/TДT)/ 

すてきな景色が続く快走路・・
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「道の駅 茶の里東白川」でトイレ休憩。
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売店で・・。

飛騨名産 赤かぶら!!  なにかわかんないけど、お土産にゲット!!('▽'*)ニパッ♪
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岐阜県道62号~国道41号=白川街道を西にすすみます。
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まもなく飛水峡に・・
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飛騨川を渡る勝橋から見る飛水峡。
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国道から勝橋を渡り川向うのJR高山本線沿いの細道を数百メートル トコトコ

飛水峡駐車場のはずですが、誰もいません・・・(^^; 
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どこを降りていったらいいの??
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も、もしかして、この急な階段を!?  画像で見る以上に急角度です。Σ(´д`;)
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しかも、階段を降りてからも、道らしい道はなく とてもキ・ケ・ン・・(; ̄Д ̄)

あきらめました。 勝橋からの風景で”良し”としまひょ

引き返そうとした時、ちょうど小路横スレスレに電車がε=ε=(;´Д`)

ここはデンジャラスゾーンですね。(; ̄Д ̄)

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このあとはいくつかの市街地を走抜け・・・

いっきに岐阜市内へ

岐阜公園駐輪所にVストちゃんをとめ・・
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岐阜公園内をてくてく
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金華山ロープウェイ乗り場。
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ロープウェイにのりましょ(*゚∀゚)っ
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バビュ~~ン
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とうちゃこ。

でも、ここから階段+坂道を歩かんとあかんのよね~~('A`|||)
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目指すは岐阜城。

岐阜城の歴代城主の説明書き。

なんと12人(代)も城主が変わっていたんですね。
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そのうち あたいが知っていたのは、3代城主の斎藤道三と、6 代城主の織田信長だけですね~~(^^;

<3 斎藤道三>
【生没年】 生年不詳~弘治2年(1556年)
【城主期間】 天文8年(1539年)~天文23年(1554年)

長井新左衛門尉(ながい しんざえもんのじょうの子)。 長井規秀と名乗り父の跡を継いだ後、長井氏の惣領となった。さらに守護代・斎藤氏の名を継いで、「斎藤利政」と名乗った。
利政は、稲葉山城と井口 (現:岐阜) の城下町を整備し力を蓄えていた。 遂には、主君である守護・土岐氏を追放して、本格的に美濃の実権を握り、井口は美濃の中心となった。 尾張の織田信秀とも戦うが、後に和睦して娘を信秀の息子・信長に嫁がせる。 晩年、出家して「道三」と名乗る。
天文23年 (1554年)、 家督を息子の義龍に譲って隠居したが、 2年後の弘治2年(1556年) に、義龍と長良川で戦い、討たれてしまう。
道三が油売りの行商から美濃国へ来て、国盗りに成功した物語はあまりにも有名だが、これは父・長井新左衛門尉と親子2代で成し遂げたものであることが明らかになっている。


<6 織田信長>
【生没年】 天文3年(1534年) ~天正10年(1582年)
【城主期間】 永禄10年(1567年)~天正4年(1576年)
尾張の戦国武将・ 織田信秀の嫡男。 信長の家系は尾張の守護代・織田氏の分家であったが、信長は弟・信勝を殺して家督争いに勝利し、尾張の他の織田家を滅ぼし、遂には守護・斯波(しば)氏も追放して、尾張を統一した。また、永禄3年(1560年) には桶狭間の戦いで今川義元を撃破した。
永禄4年(1561年)に稲葉山城主・ 斎藤義龍が死亡し、跡を子の龍興(たつおき)が継ぐと、信長は美濃への侵攻を強め、永禄10年(1567年)、 遂に稲葉山城を奪取し本拠を小牧から移した。 信長は、城に大規模な改修を加え 「岐阜城」と改めた。 また、城下町も「岐阜」と改めて整備した。
以後、天正4年 (1576年) に安土に移るまでの約10年間、岐阜を天下統一の拠点として勢力を拡大していった。

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歩きます。
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ひたすら歩きます。 

今回の春ツーリング、歩いてばかりで かなり痩せました(やつれました)。(゚∀゚)アヒャ
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やっと、天守閣が見えてきましたよ。
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【岐阜城の由来】
鎌倉時代の建仁元年(一二〇一)、幕府の執事 二階堂山城守行政が軍事目的のためにここに初めて 砦を築いたと伝えられているが、稲葉山城として日本史に大きく登場してくるのは斎藤道三以後のことです。

斎藤道三は天文八年(一五三九)二月に稲葉山城修築して入城し、続いて子の義龍、孫の龍興が城主となりました。

永禄十年(一五六七) 織田信長は斎藤龍興と戦って稲葉山城を落し、九月新城主として入城しました。 信長は稲葉山城を岐阜城と改め、楽市場を保護し、「天下布武」の朱印を用いるなど天下統一の本拠地としました。永禄十二年に宣教師ルイス・フロイスが岐阜城を訪れ、その壮麗さに驚いたことを書簡に記して本国ポルトガルへ送り、西洋にまで岐阜城のことが知られるようになりました。

その後、織田信忠・神戶信孝・池田元助・池田輝政・ 豊臣秀勝が岐阜城主となりましたが、慶長五年 (一六〇〇)八月二十三日岐阜城主織田秀信は西軍の豊臣方に味方して東軍の徳川方と戦い、福島正則・ 池田輝政に攻められて開城しました。慶長六年、岐阜城は廃城となり天守閣・櫓などは取り壊されて加納城に移築され、江戸時代には金華山頂に天守閣が建てられることはありませんでした。

明治四十三年(一九一〇) 木造の模擬城が建てられましたが、昭和十八年(一九四三) 焼失しました。その後、観光岐阜のシンボルとして、また安土桃山時代の華麗な城郭を再現したいという岐阜市民の熱意と浄財により昭和三十一年に現在の三層四階の天守閣を再建しました。

平成九年(一九九七) 大改修工事を行い、織田信長の頃の壮麗な天守閣の姿を再現しました。

平成十三年三月  岐阜市

・・・ちゅうことです。

んじゃあ、いざ 入城~~!! v( ̄∇ ̄)v



天守閣の中のモニター映像でお勉強。

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こ、これが織田信長時代の岐阜城!?  スゲ~~~!!Σ(・ω・ノ)ノ

今の再現された天守閣も立派ですが、はるかにスケールの大きいお城だったようです。


その他の展示物。
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木造のレプリカの織田信長像。

よく出てくる↓ のお顔とは違うような・・(^^;
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天守閣からは長良川が!!
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長良川といえば思い出があります。

1988年のぎふ未来博開催の時期にこの地を訪れました。

夜は長良川で鵜飼を見ながら屋形船で飲食しながら川下り。 ちょうど未来博で同時開催していた”ミス・インターナショナル” 出場者さんご一行をのせた屋形船が、川下りの屋形船に手を振り振りサービス。

屋形船にのったおっちゃん連中は、あたいも含めてみなさん鼻の下を伸ばしていましたよ。(゚∀゚)アヒャ

ホント、キレイダッタナア~~


さて、ロープェイを降りましょうかねぇ。
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この日の宿に向かいます。

駅前の繁華街をとおり・・
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スーパーに立ち寄り・・
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とうちゃこ~~(・∀・)つ
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岐阜駅すぐ裏の1泊3980円のビジホ。  ボンビーなあたいには、安くてありがたいです。
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狭いながらもユニットバス/トイレ付。
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お風呂につかり・・

スーパーで買ってきたお弁当で、カンパ~~イヾ(´ω`=´ω`)ノ

赤ワインを飲み過ぎました・・('A`|||)
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この日もPM8時過ぎには就寝・・。


<この日の走行ルート>
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<この日の走行距離:179.8km>
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<この日の会計>

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-8日目に続く-



2024春ツーリング 「関西・中部」VOL21 7日目(4/19)その1<天竜峡、妻籠宿>

この旅7日目。

昨晩は雨/雷 予報だった長野県下伊那郡泰阜村(やすおかむら)。
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雨も雷も気づかず、pm8時過ぎには こてっと寝てしまっていました。

翌朝 バイクを見ると、雨の降ったあとがありました。(^^;

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前日とうってかわって、晴れ模様。

とはいえ、1日の寒暖差がけっこう激しいです。
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お宿から長野県道・愛知県道・静岡県道1号飯田富山佐久間線を北上。

さ、寒い・・・。  ネックシールド(ガード)持ってくればよかったなぁ・・('A`|||)


30分ほどで、とうちゃこ~~(* ̄∇ ̄*)
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ここは天龍峡!

いいですね~~~('▽'*)ニパッ♪   時間があれば川下りも楽しそう~~(・∀・)

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橋の上から見た天竜川下流方向。
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この天竜川、長野県から愛知県、静岡県を経て太平洋へ。スゴイデスネ~~w(*゚o゚*)wオオー


天龍峡のある長野県飯田市から国道256号線をとおり西進。

走りやすい峠道。 景色もよく快走路です。

道路脇に「はなもも街道」の看板があちこちに・・。

なかなかバイクをとめれる場所がなく、やっと とめれそうな場所で・・パチリ!
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<はなもも街道>
伊那谷と木曽谷を結ぶ国道256号線は「はなもも街道」と呼ばれ、清内路を通り南木曽町妻籠宿までの街道沿いに5,000本の花桃が植えられています。


ちなみに↑の画像の場所は、
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すてきな風景の中をバイクで走れるって・・・

し・あ・わ・せ (゚∀゚)アヒャ

天竜峡から一時間弱。

ここは・・
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【重要伝統的建造物群保存地区
南木曽町妻籠宿保存地区】

<選定年月日>
昭和五十一年九月四日

<選定理由>
妻籠宿は、宿場の建造物を中心に旧中山道に沿った在郷および周囲の自然環境が一体となって、歴史的風致を形成しており、江戸時代の宿場の姿をよく伝えている。

<説明>
妻籠宿は室町時代末期には、すでに宿場として成立していたと考えられ、慶長七年(一六〇二) 幕府が中山道 に六十七宿を定めたとき、妻もその一つとなった。 

保存地区は東西約三・八キロメートル、南北約五・五キロメートル、面積約一二四五・四ヘクタールで地区内に二三三棟の伝統的建造物があり、地域的に宿場、寺下、在郷の三地区に分けられる。

宿場は、上、中、下町を中心とし、本陣、脇本陣、問屋がおかれた。建物は出梁により二階を張り出した切妻造平入が特徴で、江戸時代末期から明治にかけて再建されたものが多く、大規模な建物が多い。

寺下は光徳寺の門前町の形態となし一般に間口が狭く 建物は小規模である。

在郷には旧中山道に面した町家風の建物と附近に点在する農家がある。

妻籠宿では、昭和四十三年から町並保存事業が行われ、五十三棟の復原を完了し、今後長期わたり整備を行う予定である。

宿場保存の中心は住民の総意で宣言した「妻籠宿を守る住民憲章」といえよう。

昭和五十二年三月
文部省
南木曽町

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妻籠宿!!

以前から妻籠宿(つまごじゅく)か馬籠宿(まごめじゅく)には、来たかったんですよね~~。

双方、近い場所にあるものの、両方散策するのはきびしいので、馬籠宿はこの次の機会に・・(^^;

Vストちゃんを駐車場にとめ、てくてく
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外国人の方のコスプレ!? (´゚艸゚)∴ブッ

侍とか忍者に憧れるんでしょうね(´∀`*)
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↓妻籠郵便局。
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郵便資料館が館内に併設された妻籠郵便局です。
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あ、あった!!

”妻籠郵便局”の名前の入ったポストカード。

購入して、自分あてにポストへ投函。

この旅がおわって自宅に戻ると、あたいより先に届いていました。(・∀・)
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いい旅の記念になりまんねやわ v( ̄∇ ̄)v
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さらに散策

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江戸時代の宿場町の風情がそのまま残っている妻籠宿。

貴重ですね~~d( ̄◇ ̄)b グッ♪


海外からの観光客さん。  他の観光地よりヨーロッパから来られている方の比率が多く感じました。

あたいが行った時がたまたまかどうかわかりませんが・・

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↓厩(うまや)。  馬はいませんでした。(・∀・)
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車もバイクも、鉄道もなかった時代。

この道を歩いて旅を続けた人達と一瞬シンクロできたような気持ちになれますね。
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立派な蔵ですね~~。お金持ちだったんでしょうね。(゚∀゚)アヒャ
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風情のあるお菓子屋さん。
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”そばまんじゅう”!  珍しいなぁ~。
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お家のお土産に”そばまんじゅう”ゲッツ!! 
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-続く-

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