Michiruブログ

バイク、ツーリング他 グルメ、日常生活などをつれづれに・・・(^^)

1.初コメ大歓迎です。コメ主様のブログのリンク機能がありませんので、コメント欄でurlをお教えいただけますと、お邪魔させていただきます。

2.記事のコメントとは別に、ブログ主(michiru)に直接メッセージをされたい方は「メッセージ」をご利用ください。このメッセージの内容は、他の方は閲覧できません。メッセージをされる方は、メッセージ文末にご自身のE-mailアドレスも記載いただけるとありがたいです。

城山

クロスカブで古代山城「城山(きやま)」に vol2

昨日の記事の続きだす 

クロスカブで古代山城の「城山(きやま)」にやってきました。

山頂部分には展望台が設けられていました。

20s-DSC01695

めちゃ見晴らしいいっす 

東には高松市内方面。

21s-DSC01693

讃岐富士こと飯野山。

22s-DSC01680

そこから西の方。

そうそう。 香川県の山って特徴があるらしいですね。

私はこれが普通だと思ってたんやけど、サラリーマン時代 転勤でこの地を訪れた人達が決まってビックリするのが香川の山。

「ポコッ、ポコッとした山ばかり」

言われてみればそうかも~~

23s-DSC01692

画像だとわかりにくいけど、奥に広がるのは瀬戸内海。

こんな案内板もありましたよ。

25s-DSC01674

 瀬戸内海の生い立ち

今から約200万年前に始まった日本列島の新しい地殻変動によって、中国山地と四国山地が隆起し、瀬戸内一帯は、沈降して東西に広がる大き な平坦地ができました。

その後、50万年前には、北東一南西方向にいくつかの隆起があり、淡路島や、小豆島、備讃諸島、芸予諸島などの骨格ができ、平坦部、盆地に分断されました。

そして、1万年前までくりかえされた、氷期と間氷期によって、海面も上昇と低下をくりかえし、 陸地が大きくひろがったり、海水が陸地の奥まで 進入したりする時期が続きました。

しかし、約3万年前のウルム氷期最盛期を最後 に世界の気候が温暖になり、大陸の氷河がとけて 海面が上昇し、瀬戸内に海水が進入して内海となりました。

そして、6000年前には現在の瀬戸内海の姿となりました。

平成4年度 香川県


いろいろ年代が出てくるけど、どういう時代だったか? 学校のお勉強が苦手だったmichiruくんはピンとこんがな・・ 


ちゅうことで調べましたよ。

中生代(約2億5000万 - 約6500万年前)

2億5000万年前 - 爬虫類から双弓類を経て進化した恐竜の出現。中生代の三畳紀、ジュラ紀、白亜紀を通して恐竜が繁栄。
恐竜は気嚢をもち低酸素環境に対応できた。哺乳類の祖先の横隔膜をもつ単弓類は低酸素環境に対応できずに衰退した。

1億年前 恐竜の全盛時代

6550万年前 - 生物の大量絶滅(白亜紀末)。この頃、恐竜が絶滅。アンモナイトも絶滅。
隕石の落下による環境の激変を原因とする説が有力と考えられている。

恐竜は、2億 3000万年前から6600万年前までの約1億 6000万年もの長い間生きていたのです。


新生代(約6500万年前 - 現代)

推定約600万 - 400万年前 - 琵琶湖の形成。
琵琶湖は世界に現存する湖の中では3番目に古い湖と考えられている。

370万 - 100万年前 - アウストラロピテクス(猿人)
最初の人類とされる。一定の道具使用した。

約200万年前 - フィリピン海プレートに乗って移動してきた伊豆半島が北アメリカプレートに衝突し、富士山や箱根などの噴火の引き金になった。

⇒この頃に、中国山地と四国山地が隆起し、瀬戸内一帯は、沈降して東西に広がる大き な平坦地ができたようですね。 中四国だけでなく、日本各地で地殻変動があったんでしょうか?


概ね70万年前頃
この頃から10万年周期の気候変動が見られるようになる(氷期・間氷期)。

約50万年前 - 北京原人。

⇒北東一南西方向にいくつかの隆起があり、淡路島や、小豆島、備讃諸島、芸予諸島などの骨格ができ、平坦部、盆地に分断されたのがこの頃。
今の香川と岡山、愛媛と広島、徳島/淡路島/兵庫あたりが陸続きだったんですね。


約40万年前 - マンモスは、北東シベリアで誕生したとされている。

約23万年前 - ネアンデルタール人の出現。
この頃、温暖期のピーク。
この後、緩やかに寒冷化へと向かい、14万年前頃に氷期のピークとなった。

約20万 - 19万年前 - ホモ・サピエンス(現在のヒト)の出現。16±4万年前のミトコンドリア・イブの存在。
アフリカに出現、10万年前頃にユーラシア大陸にも拡大したと考えられている。

約14万年前 - 氷期(リス氷期)のピーク。
この後、急速に温暖化へと向かった。

約13万 - 12万年前 - 温暖期のピーク。
現在よりも温暖であったと考えられている。この後、急速に寒冷化し、約11万年前頃から緩やかに
上下を繰り返しながら徐々に氷期へと向かった。


約2万年前 - ウルム氷期(最終氷期)のピーク。気温は年平均で7 - 8℃も下がった。そのため地球上で氷河が発達し、海水面が現在よりも100mから最大で130mほど低かったと考えられている(海水準変動を参照)。
その後、温暖化と寒冷化の小さな波をうちながら、長期では徐々に温暖化に向かった。


約1万6000年前 - 東南アジアにあったとされるスンダランドが、海面上昇により徐々に後退。
海面の上昇により、他にも、アラスカとロシアの間にあるベーリング海峡(氷期には陸続きだった)の海没や、大陸と地続きだった日本も徐々に島化が進んだ。

約1万3000年前 - 日本列島が大陸から完全に離れ、ほぼ今の形を整えたと考えられている。
マイナス約60mの宗谷海峡が海水面下に没した。対馬暖流は一進一退を繰り返しながら日本海に流入していき、
約1万から8千年前の間に、現在と同じような海洋環境になったと考えられている。

約1万3000 - 1万年前、温暖化が進行しつつあったが寒冷気候に戻った時期である。
グリーンランドの氷河に彗星からの隕石が衝突したのが原因という説もある。北ヨーロッパなどでは「新ドリアス期」と呼ばれている。


約1万年前 - この頃、最後の氷期(最終氷期)が終わったとされる。
約1万年前 - この頃、ヨーロッパ中部の火山活動が終息へ。


前5000年 - 前3000年頃 - 完新世の気候最温暖期。
この頃、海面は現在よりも数m(4mから10mまで諸説あり)程度高かったと考えられている。→ 海面上昇、縄文海進。


こうやって見ると、長い地球の歴史の中では、温暖化と氷期の繰り返しなんですね。

今、しきりに環境破壊による地球温暖化が叫ばれていますが、このままずっと温暖化が加速するのでしょうか?

地球史を見ていると、いつか気候の揺り戻しが起こるんじゃあないかと思ってしまいまいた。

そして、惑星や大隕石の地球衝突なんてことも、絵空事ではないんですね 

コ、コワ~~~ ヽ(TдT)ノ


こんな案内板も。

27-s-DSC01677

 城山の地形・地質

城山は、上部が平坦で、屋根の形をした台 ・地形ですが、どうしてこのような地形ができたのでしょう。
瀬戸内海一帯の大地は、花崗岩を基盤としていますが、花崗岩は、風化が著しく、また、風雨にもろく、浸食に弱い性質をもっています。

しかし、城山は、花崗岩の上を硬い溶岩(讃岐岩質安山岩)が被っているため、まわりの 崗岩が浸食されても、崩れないで残ったものです。
このような地形をメサ形溶岩台地といい紫雲出山、象頭山、五色台、屋島、小豆島等があります。 

サヌカイト(カンカン石)は、讃岐岩質安山岩のなかでも最も硬い性質の岩石で、旧石器時代には、狩猟や獲物の解体、木材・骨などの加工に使われていました。
産地は、城山 ・金山・国分台(五色台)等が知られています。

平成4年度 香川県


s-DSC01678


 城山の野鳥

日本で記録されている野鳥は、約550種です。このうち、香川県では約280種が観察されています。
野鳥には次のような種類があり、季節によって違った種類の鳥を見ることができます。

夏鳥  繁殖するために日本に渡来する渡り鳥で、春に渡来し夏を過ごし、秋に南方に渡って越冬します。 
冬鳥  越冬するために日本に渡来する渡り鳥で、秋に渡来し冬を過ごし、春に北方に渡って繁殖します。 
旅鳥  渡りの時期に、日本を通過する途中に立ち寄る渡り鳥で、主に春と秋に通過するのが普通です。
留鳥  同じ地域に一年中生息して、季節的な移動はしない鳥です。

城山は、中国地方から四国に渡来するコースになっています。城山で比較的見られる鳥を示しました。 
チッとかピーツと鳥の声が聞こえたら、あたりを見まわしてください。身近なところにたくさんの鳥がいることがわかります。 

夏鳥 アオバズク(290) キビタキ(135) コサメビタキ(130) サシバ(470) ホトトギス(280) 
冬鳥 カシラダカ(150) キダイタダキ(100) ツグミ(244) ハクセキレイ(210) マヒワ(125) 
留鳥 イカル(230) ウグイス(155) エナガ(135) キジ(1250) キジバト(330) コゲラ(150) シジュウカラ(145)

( )内は、全長を示しました。 単位:mm



この日は、気温30℃。

木陰のベンチに腰をおろしました。

31-s-DSC01697


頬をなでる風が気持ちいいっす   聞こえるのはウグイスの「ホーホケキョ」

眼下の風景をボケ~と見ながら、ついつい居心地がよく・・・、30分ほどのんびりしていました。


さて、ぼちぼち次に向かうとしますか。

-続く-

クロスカブで古代山城「城山(きやま)」に vol1

数日前のこと。

梅雨の合間のお天気のいい間にと、ひさびさにクロスカブ子ちゃんでお出かけしてきましたよ。

バビュ~~ン 


国道から山道に。

01s-DSC01645

道も細くなり、さらに上りまんねやわ。

02s-DSC01647

クネクネ道をのぼっていくと 

03s-DSC01651

登山口がありやした。

左右に分かれてました。

04s-DSC01653

05s-DSC01652

この日は、30℃近い気温。

そっこうで歩くのはあきらめました(^^;


再び クロスカブ子ちゃんにまたがり、ブイ~~ン 

05s-DSC01655

「城山城(きやまじょう)石塁」

06s-DSC01657a

そうなんです。

この日、向かっているのは 古代山城の「城山(きやま)」。

詳しくは後程。  赤矢印のところが 山腹にはりめぐられていた石塁跡の一部のようです。


ほどなく、山頂の駐車場にとうちゃこ 

ひとり ポツ~~~ン 

10s-DSC01701

11s-DSC01671

 「城山園地案内図」

瀬戸内海国立公園は、昭和9年(1934)に指定されたわが国最初の国立公園です。
静かな海面とそこに点在する多くの島々、白砂青松の浜と漁村、段々畑など、自然と人文景観が一体となった風景が特徴です。

城山は、昭和25年(1950)に、追加指定されました。 古代の城の総称である城をそのまま山名としています。 

讃岐岩質安山岩(さぬきがんしつあんさんがん)の頂上附近に、朝鮮式山城跡(ちょうせんしきやましろあと)があります。
山頂からは、瀬戸の島々・讃岐山脈などが眺望で きる自然の展望台です。

平成4年度 香川県


駐車場からは、瀬戸大橋も望めましたよ 

13s-DSC01664


城山(きやま)の案内板もありました。

14s-DSC01669

 「史跡  城 山」 

城山は、標高462mと、この付近における最高峰の山であり、視界は極めて広く、 景勝の地であります。

山腹は比較的急峻であるが、山上部は緩やかに起伏しています。 その中に、西北に向かって口を開く凹地を 囲んで城郭の跡があります。

城郭は、山上部を中心に二重の石塁で囲 まれています。 山頂部の礎石群や、内側の石塁の間に城門・水門といった城郭遺構が残っています。

外郭の急峻な斜面付近には 上面が平坦となる石塁・土塁が稜線に沿つ て約6kmにわたつて山頂を囲んでいます。 
城内各所にはホロソ石・マナイタ石と呼ば れる石製加工物も確認されています。

築城の時期は詳らかでないが、七世紀後半頃に築かれた古代山城と考えられています。
また、東の明神原には平安時代に、国司菅原道真が雨乞いをしたという古代祭祀の跡もあります。

城門や石塁など、よく当時の様子をとどめており、古代史上貴重な遺跡として昭和二十六年に国の史跡に指定されています。

平成四年度 香川県


お勉強のためにもう少し知りたくって、帰ってからもう少し調べてみました。


坂出市街の南東にある城山(きやま・462m)は、古代の城の呼称である城(き)をそのまま山名とした山。
山上一帯には、天智天皇時代に(668年~670年)朝鮮勢力の侵攻に備えて築かれた山城と考えられる遺構が残り国の史跡に指定されている。
ホロソ石やまないた石、カガミ石といった石造加工物も点在している。


ちゅうことです。

時代で言うと、飛鳥時代ですね。

飛鳥時代(あすかじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つ。
広義には、飛鳥に宮都が置かれていた崇峻天皇5年(592年)から和銅3年(710年)にかけての118年間を指す。
狭義には、聖徳太子が摂政になった推古天皇元年(593年)から藤原京への遷都が完了した持統天皇8年(694年)にかけての102年間を指す。

当時、朝鮮半島では唐・新羅が連合軍を組み、百済を攻めた時代。

百済は友好国の日本(当時は倭国)に援軍を求め、軍事衝突。 白村江の戦いで、百済・倭国連合軍は大敗をきし、百済滅亡。


白村江での敗戦を受け、唐・新羅による日本侵攻を怖れた天智天皇は防衛網の再構築および強化に着手した。百済帰化人の協力の下、対馬や北部九州の大宰府の水城(みずき)や瀬戸内海沿いの西日本各地(長門、屋嶋城、岡山など)に朝鮮式古代山城の防衛砦を築き、北部九州沿岸には防人(さきもり)を配備した。


この当時、作られたのがこの城山(きやま)を含む古代山城なんですね。

「古代山城」

古代山城(こだいさんじょう)は、古代日本の山城。九州地方北部から瀬戸内地方・近畿地方にかけて分布する。

従来に「朝鮮式山城(ちょうせんしきやまじろ)」・「神籠石(こうごいし)」と呼び分けられてきた2種類の遺跡群の総称として、近年使用される考古学用語である。

概要
飛鳥時代から奈良時代頃に、対朝鮮・中国の情勢に応じて西日本各地の山に築造された防衛施設の総称である。

従来、文献に見える山城は「朝鮮式山城(ちょうせんしきやまじろ(さんじょう)、天智紀山城)」、見えない山城は「神籠石系山城(こうごいしけいやまじろ(さんじょう)、神籠石式山城)」と呼び分けられてきたが、近年の発掘調査により両者の違いが必ずしも明確でなくなりつつあり、これらをして「古代山城」と総称される傾向にある。

文献に見える城は12ヶ所(狭義の朝鮮式山城11ヶ所と中国式山城1ヶ所)、見えない城は16ヶ所(いずれも神籠石系山城)があり、合計28ヶ所を数える。 これらは基本的に山1つを防御施設としたもので、山の頂上付近を土塁・石塁で区画しており、大規模なものでは区画の外郭線が数キロメートルに及ぶ。これらの山城は古代に役目を終え、一部の城跡では中世に山城や寺社などが設置され現在に至っている。


「城山」は、この分類によると 「神籠石系山城 / 神籠石式山城(史書非記載城)」になるようです。

結局、唐・新羅による日本侵攻がなかったのですが、この古代山城は その後 どのような役割を歴史の中で果たしてきたのか? 調べてもわかりませんでした。

どなたかご存じの方がいらっしゃれば、教えてくださいね。

駐車場から少しのぼったところが山頂です。


16s-DSC01694

展望台もあります。

今日は長くなったので、この辺で。

(続く)
記事検索
カテゴリー
アーカイブ
メッセージ

名前
メール
本文
最新コメント
読者登録
LINE読者登録QRコード
PVアクセスランキング にほんブログ村
  • ライブドアブログ