四国西半周ツーリング記事の続きです。

このツーリング3日目の朝。

ホテルのバイキング朝食。
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う~~~ん。 正直なところ、ここのバイキングもイマイチ・・('A`|||)


今まで何度も来たことがある宇和島ですが、そういえば宇和島城に行ったことがありません。

ホテルのチェックアウト時間まで、かなり時間があったので、歩いてお城にむかいました。

グーグル・ナビさんを片手にてくてく・・。

朝も早く、人通りもまばらな商店街を通り・・
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おお! 天守閣が見えてきました。
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宇和島城の駐輪場に・・

おおお! ヤマハのNIKEN!

はじめて実物を見ました。 前輪が2つあるので、迫力ありますね~~。

横浜ナンバー。 ずいぶん遠くからお越しになられてますね。(^_-)-☆

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北側登城口の藩老桑折(こおり)氏武家長屋門から天守閣を目指します。
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宇和島城の説明書きです。
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【南海の伊達 宇和島伊達家九代の居城 宇和島城】
国重要文化財 宇和島城天守 (昭和9年1月30日指定)
国史跡 宇和島城 (昭和12年12月24日指定)    (平成28年3月1日追加指定)

現存12天守の1つがそびえ立つ宇和島城は、慶長20(1615) 年に伊達政宗の長男、 秀宗が入城後、 明治を迎えるまで "南海の伊達"9代の居城でした。

国が定める 「重要文化財 (建造物)」に指定されている天守は、宇和島伊達家2代藩主の宗利が寛文6 (1666) 年頃に建築したものです。 かつて同所には、築城の名手として有名な藤堂高虎が慶長6(1601) 年に建築した天守があり、 幕府には修理の名目で届出をしましたが、天守台の石垣を 含めて宗利により全面的に建て直されたため、 その姿は絵図でしかうかがい知ることができません。

宗利は天守のほかに櫓や門なども改修しましたが、 堀や石垣などの縄張は高虎のものをほぼ引き継いでいます。 堀については、幕府隠密が五角形を四角形と見誤って報告した史実から、高虎の巧みな縄張として語られることとなる “空角の経始(あきかくのなわ)” の話が生まれました。

明治以降、堀は全て埋められましたが、その名残は今の道路に見ることができます。 石垣については、高虎から伊達家によるものまで新旧さまざまな石垣が残されています。 これらの縄張がほぼ当時の姿をとどめており、城全体も国史跡として指定されています。


【城全体の特性】
宇和島城は立地や構造から二つの特性をあわせもっています。

● 水城(みずじろ)
海岸、川、湖や沼の近くに築き、その水を防御に利用する城

●平山城(ひらやまじろ)
天守や郭(くるわ)などがある丘と御殿(ごてん)や屋敷などのある麓の平地が一体化して機能する城

【歴代城主】
●宇和島伊達家9代
慶長20(1615)年~慶応4(1868)年
初代秀宗(ひでむね) 2代宗利(むねとし) 3代宗贇(むねよし)
4代村年(むらとし) 5代村候(むらとき) 6代村寿(むらなが)
7代宗紀(むらただ) 8代宗城(むねなり) 9代 宗徳(むねえ)

●富田信高(とみたのぶたか)
慶長13(1608)年~慶長18(1613) 年

●藤堂高虎(とうどうたかとら)
慶長元 (1596) 年~慶長13(1608) 年

【現存12天守】
江戸時代には170ほどの天守がありま したが、現在では12棟しかない貴重な建造物で、 全て国の文化財となっています。
〇国宝:5棟
・松本城 (長野県) ・犬山城 (愛知県) ・彦根城(滋賀県) ・ 姫路城 (兵庫県) ・松江城 (島根県)
〇重要文化財 : 7棟
・弘前城 (青森県)・ 丸岡城 (福井県)・備中松山城 (岡山県)・丸亀城 (香川県)・ 松山城(愛媛県)・宇和島城 (愛媛県)・ 高知城 (高知県)


なぜ伊達家が宇和島に?? なぜ伊達政宗の長男でありながら宇和島に??

ネットでいろいろ調べていくと、時代背景から政宗、秀宗・・諸々初めて知る事がたくさんありました。

学校で習う歴史の授業って、まる覚えの世界で全然面白くなかったけど、史跡を訪ねて そこから学んで知る歴史って楽しいもんですね (*'-'*)


藤堂高虎についても然り。 なんと昨日お泊りした今治にある今治城も藤堂高虎の縄張のお城でした。

藤堂高虎は、徳川家康から様々な戦の功を認められ、宇和島城8万石の安堵の他、新たに今治城 12万石が加増。 高虎は新たな居城を今治城に定めて改築を行い、宇和島城には高虎の従弟 藤堂良勝が城代として置かれたそうな・・。

しまった! 今治城も立ち寄ればよかったなあ~(^^;

(「縄張」。 お城の設計のことです。 今回 色々調べていて この言葉もあらたに知ったことでした。)


そして現存する天守閣は全国で12城のみなんだって!?

しかもそのうち、丸亀城 (香川県)・ 松山城(愛媛県)・宇和島城 (愛媛県)・ 高知城 (高知県)と4つのお城が四国だったとは w(゚o゚)w オオー!


長い石段をヒ~ヒ~いいながらのぼります。
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途中、当時から現存する井戸。
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さらに続く石段・・。 ゆるちて~~ (><)
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本丸まであがってきました。
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おおお! 石垣を登る忍者発見!  石垣のお掃除中でした(^^;
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史跡 宇和島城  本丸石垣 -幕末の修理石垣-

この石垣は、 同じ面で2つの積み方の違いが明確に見て取れます。
①の左上半部は、隅角部は鑿(のみ)加工石材を用いる『切込(きりこみ) ハギ』、築石部は玄翁(げんのう) 加工石材を用いる『打込 (うちこみ) ハギ』で、間詰石はあまり使わず、隙間なく組み合わせて積み上げら れています。 
また隅角部は石材の長さを交互にしながら積む『算木(さんぎ) 積み』が徹底されていません。

②の右下半分は自然石材をもちいた『野面(のづら) 積み』です。 これらの特徴から2は17世紀初頭ごろに築かれ、①は 幕末ごろに修理されたものと考えられます。

匠の覚書
角の部分を隅角部 (ぐうかくぶ)、間の部分を築石部 (つきいしぶ) と呼びます。 さらに隅角部は角石(すみいし) と角脇石 (すみわきいし )に、 築石部は大きな石材の築石とその間を詰める間詰石(まづめいし)に分けられます。
また石材加工の度合いで野面(のづら) 積み※無加エ、打込 (うちこみ) ハギ※粗加工、切込 (きりこみ) ハギ※精加工の3種類に分類されることがあります。


たしかに、石垣を見ると一目瞭然。 石の積み方がまったく違っていました。

藤堂高虎が慶長6(1601) 年に建築した天守を、守台の石垣を含めて伊達家2代藩主の宗利が全面的に建て直したからなんでしょうね。

知らんけど。(゚∀゚)アヒャ


いよいよ天守閣です。

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ジャ~ン!
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ジャ・ジャ・ジャ~~ン!!
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おじゃましまんねやわ

OH!  SAMURAI !!

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狭い急階段をのぼり・・
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もし下から敵方が攻めてきたら、上から槍でブスッと刺しちゃうんでしょうね・・ヽ(ヽ゚ロ゚)ヒイィィィ!!!

最上階・・
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最上階からの景色・・
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今は埋め立てが進んでピンときませんが、
かつては海に面する海城として水軍の拠点にもなっていたというのが なんとなくわかりますね。 (^_-)-☆


なかなかいいお勉強になりました。

現存する天守閣のある他のお城にも、行ってみたくなりました(・∀・)


お城をおり、商店街をとおり ホテルに帰ります。

商店街のあちこちに飾ってあったこのお面。
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なんだろうなあ?と帰ってから調べてみると・・。

牛鬼ってことらしいです。

牛鬼は、西日本に伝わる妖怪なんだって。

特に宇和島では、この牛鬼は有名な存在なんだとか w(゚o゚)w オオー!

こんな牛鬼祭りも例年行われているんだって ヾ(=^▽^=)ノ

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さて、宇和島を出発です 

国道320号線を東進。

最初に立ち寄った道の駅「広見森の三角ぼうし」。

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ん!?  Vストちゃんの後方に、怪しい大男!!

(||゚Д゚)ヒィィィ!  ゆるちて~~(><)
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鬼王丸さん。

鬼北町のHPに名前の由来が書いてありました。

【名前の由来】
一般公募で応募のあった400余の中から、厳正な審査の結果、名付けられた 「鬼王丸」。
この名前は、国史跡となっている等妙寺旧境内に関わる「等妙寺縁起」という古文書に登場する曽我兄弟の家臣「鬼王段三郎」に由来しています。

「鬼王段三郎」は、律儀で才覚に富み、身の丈6尺以上もある怪力をもった大男で、等妙寺を開山した理玉和尚に寺を建立する場所を指し示したと伝えられています。
その名をもらった「鬼王丸」も、きっと私たちに生きる力や知恵を与えてくれることでしょう。


なんだって・・( *゚ェ゚))フムフム

さらに東進。  国道320号線。 信号もあまりなく、のどかな風景が続く快走路です。

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次に立ち寄った道の駅「日吉夢産地」。

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ん!?  Vストちゃんの後方に、セクスィ~~なラムちゃん??

ラムちゃん

ラムちゃんとは ちゃいました σ(^_^;)アセアセ
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【母子鬼誕生】
鬼北町は、町の南方にそびえる鬼ケ城山系の北に位置することから、古より「鬼北地域」と呼ばれています。 全国一七四一の地方公共団体の中で唯一「鬼」の文字入る自治体であり、「鬼」の文字の入った町名を活かすことが、町の独自性や特色ある町づくりを進める起爆剤になるのではないかとの結論に達し、鬼のまちづくりの一環でモニュメントを建立。

名を「柚鬼媛(ゆきひめ)」愛媛県一の生産量を誇る「柚子」、 そして「鬼」の「鬼」、また、古来、山の守り神として崇められたのは女性であることから「愛媛」の「媛」 の文字を組み合わせ名付けました。日吉地区には古来より家内安全・安産祈願を願う伝統行事が脈々と受け継がれ、未来を託す新たな命への祈りと希望が満ち溢れています。

「柚鬼媛」が幼き鬼王丸を抱き優しく見つめる様は、まさに、そのことを具現化したもので、訪れていただいた方に愛と希望を与えます。特別な能力を持つとされる鬼の逸話を生かし、「家内安全」「縁 結び」「安産祈願」の願いが叶う鬼として、今、ここに生誕。

だそうで・・

この人は、柚鬼媛(ゆきひめ)でした。

えっ!?  この説明書きによると、抱いている子は「幼き鬼王丸」・・

このかわいい赤ん坊が、怖ろしい形相の赤鬼さんになるのね・・(T_T)
 
(||゚Д゚)ヒィィィ!  ゆるちて~~(><)


- 続く -