前回記事の続きです。

古墳にねむるのは誰なのか?と古代ロマンに思いをはせつつ・・

Vストちゃんにまたがり、10分程 トコトコ

着きましたよ。(・∀・)
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駐車場はここで合ってるのか??

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ポツ~~~ン 

屏の周りを歩き・・・

入口発見!!
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ここは、法起寺さん。
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【法起寺】
法起寺は別名、岡本尼寺、岡本寺、池後寺、池後尼寺と呼ばれ、法隆寺や四天王寺、中宮寺などとともに、聖徳太子御建立七ヵ寺の1つに数えられる。

鎌倉時代に著された 『聖徳太子伝私記』に、かつて法起寺三重塔の露盤銘に創建の由来が刻まれていたという「塔露盤銘文」が 掲載されている。 それによると、太子は推古30年 (622)2月22日、薨去にあたって、長子の山背大兄王に岡本宮を寺院とすることを勅したとある。 発掘調査においても法起寺の前身建物の遺構が確認されており、聖徳太子が推古14年(606) に法華経を講説した岡本宮であると考えられている。 また舒明10年 (638) に福亮僧正が、太子のために弥勒像1軀と金堂を造立、さらに天武14年(685) には、恵施僧正が宝塔の建立を発願し、慶雲3年(706) に塔の露盤を造ったという。 寺は盛衰を繰り返し、その後江戸時代、17世紀後半には真政圓忍とその弟子達が塔を修復し、講堂を再建した。 また文久3年(1863) には聖天堂も造営された。 講堂の本尊であった木造十一面観音菩薩立像はスギの一材から造られ、10世紀後半の作と考えられており、現在は収蔵庫に安置されている。 法起寺は平成5年(1993) 法隆寺とともに「法隆寺地域の仏教建造物」として世界文化遺産に登録された。


おじゃましま~~す♪

拝観料300円。安い!!

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<法起寺の由来>
法起寺は、聖徳太子の建立にかかる七寺の一にして、「岡本尼寺」「池後尼寺」 とも呼ばれ、もとは太子の岡本の宮があったところと伝える。 創建当時は七堂伽藍も整った大寺院であったが、中古のころより衰徴の一路をたどったと云う。 しかし幸いにも、三重塔だけが当時の姿そのままに、いまもいかるがの空に高く聳え立っている。 とくに1993年12月にはユネスコの世界文化遺産のリストに日本で初めて登録された。

<国宝三重塔 (飛鳥時代)>
塔の規模は方 6.42米、高さ約24.5米で三重塔としては最大最古である。 一重基壇の上に立ち、屋根の勾配緩く、軒深く、雲形肘木、井籠組の構架法など何れも飛鳥時代の様式を伝えている。 遠くより見る安定感、なだらかないかるがの里に調和した美しさをただよわせている。

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■法起寺(ほうきじ)の沿革
法起寺は奈良県生駒郡斑鳩町大字岡本にあり、岡本尼寺、岡本寺、池後寺、池後尼寺と呼ばれている。

この寺は、推古十四年(六〇六)に聖徳太子が法華経を講説されたという岡本宮を寺に改めたものと伝え、法隆寺、四天王寺、中宮寺などと共に、太子御建立七ヵ寺の一つにかぞえられている。

創建の由来については『聖徳太子伝私記』に記録する当寺の三重塔にあった露盤銘によって判明する。それによると、推古三十年(六二二)二月二十二日、聖徳太子はその薨去に臨み、長子の山背大兄王に宮殿(岡本宮)を改めて寺とすることを遺命し、山背大兄王は大倭国田十二町、近江国の田三十町を施入したという。

その後、舒明十年(六三八)に福亮僧正が聖徳太子のために、弥勒像一軀と金堂を造立し、天武十四年(六八五)には恵施僧正が宝塔の構立を発願し、 慶雲三年(七〇六) 三月に塔の露盤を作ったと している。

この露盤銘に記すように近年境内の発掘調査の結果、前身建物の遺構の一部が確認されており、法起寺の建立以前に岡本宮と見られる宮殿が存在していたことが明らかとなった。同時に、中門を入って右に三重塔、左に金堂、中央正面奥に講堂があり、廻廊は中門左右から堂塔を囲み、講堂の左右に接続する様式の伽藍であったと推測されている。

当寺のことは、『正倉院文書』や『日本霊異記』にも見え、奈良時代には相当栄えていたらしいが、平安時代から法隆寺の指揮下に入り、寺運も徐々に衰微したが、鎌倉時代には講堂や三重塔が修復されている。しかし、室町時代に再び衰え、江戸時代のはじめごろには三重塔のみを残すのみであったという。

その荒廃を憂い、当寺の再興を発願した寺僧の真政圓忍とその弟子たちは、延宝六年(一六七八)に三重塔を修復した。それ以降も、寺僧たちの努力によって浄財を集め、元禄七年(一六九四)に講堂を再建、文久三年(一八六三)に聖天堂を建立し、現在の寺観が整えられている。

明治維新後は、本寺法隆寺と共に真言宗の所轄となったが、明治十五年(一八八二) 法隆寺が興福寺と共に法相宗に独立したのにともない、法相宗の小本山となった。
しかし、昭和二十五年(一九五〇) 法隆寺が聖徳宗を開宗したため、 当寺も聖徳宗の本山の一つになっている。
昭和四十七年(一九七二)には三重塔の解体修理に着手し、五十年に完成したのに続いて、五十三年には講堂の修理を行い、五十七年には重要文化財の十一面観音菩薩像を安置する収蔵庫を新設している。

<三重塔(国宝)>
一重の石壇上に立つ、三間四方三層、高さ二十三・九メートルの塔婆で、慶雲三年(七〇六)に建立されたとする現存する我国最古の三重塔として名高い。

<木造十一面観音菩薩立像(重要文化財) >
像高三五0・0cm
この像は講堂(観音堂・本堂ともいう)の本尊であったが、現在は収蔵庫に安置している。造像形式は通常の十一面観音菩薩像で、幹部は杉の一材から彫出しており、十世紀後半ごろの作といわれている。

<造菩薩立像(重要文化財)>
像高二0・0cm
寺伝では虚空蔵菩薩と呼ばれており、全身に火をかぶった形跡がみられる。その形式上、七世紀後半の作といわれている。 現在本像は奈良国立博物館に出陳中である。

・・幾度となく衰退しながらも、頑張って再建されてきたんですね~。



境内に入ると、
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【三重塔】 (飛鳥時代 国宝)
慶雲3年(706)に建立された現存する日本最古の三重塔で、高さは約24m。
初重の円柱の胴張り、雲形組み物などに飛鳥時代の仏教建築様式がみられる。 また塔の柱間は、法隆寺五重塔の初重、三重、五重とそれぞれ同じ寸法で、模したと考えられている。 初重内部は土間で、法隆寺五重塔にみられる塑像群などはなく、四天柱と八角の心柱が見える。 建立以来修理を重ね、昭和47年(1972) から50年(1975) にかけての解体修理では、改造されていた三重目の柱間が三間から二間へと創建時の姿に復元された。

・・法隆寺の五重塔と比べると小ぶりですが、趣きがありました。


収蔵庫に行ってみましょ。
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(↑画像:法起寺HPより)


【十一面觀音菩薩像】(平安時代 重要文化財)
元講堂の本尊であったが、現在は収蔵庫に安置されている。十世紀後半頃の作と考えられており、頭・体の幹部は、杉一材から彫出されている。
また、自然木の根を利用した岩座に立っていたことから、立木仏の代表作として知られているが、岩座は昭和55年に現収蔵庫に移動された際、現在の台座に取り換えられた。


聖天堂。
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【聖天堂】(江戸時代)  Shoten-do
聖天堂は、歓喜天像を安置するお堂である。 法起寺創建時、この場所には金堂があったとされるが、いつ頃、聖天堂が創建されたかは不明である。
現在の御堂は、文久3年(1863) に法起寺僧順光によって再建されたものである。


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こちらの法起寺。コンパクトな敷地なので歩き回らなくてもすんだのですが、いかんせん季節外れの暑さのなか 法隆寺から藤ノ木古墳でしこたま歩きまわったので疲労困憊・・('A`|||)

境内に東屋?屋根付きのベンチがあったので、しばし三重塔を眺めながら休憩させてもらいました。
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さてと・・

宿に向かいましょう

斑鳩にも近く、翌日は奈良公園界隈を周る予定なので、天理市内の安宿を予約しておきました。

ナビの先導で・・この先の角を曲がったところが宿のはず。
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駐車場にVストちゃんをとめ・・
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ホテル?? (^^;

おじゃましまんねやわ。

お部屋は・・
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キャンプよりはいい!! ( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

こちらで連泊です。

この日は土曜日で税込み4500円。 翌日曜日は税込み4000円っす。

7年間プー太郎無収入のボンビーなあたいは、出ていくお金は抑えないとねっ(^^;

それにしても、キャンプ場の高いこと。 一泊2000円を超えるところがザラ。 これで日帰り温泉とか探して行ってたら、安宿と変わらない料金になっちゃう。

ちゅうことで、今回のツーリングはツーリング先が市街地が半分以上だったこともあって、キャンプ泊はしないで安宿泊まりにすることにしました。

晩飯は、近くのコンビニに買い出しに行って・・

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外見はオムライスっぽいですが、お好み焼きです。(゚∀゚)アヒャ

テレビでは、ひこにゃんが4月13日で18才になったとかのニュースが流れていました。
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この旅の最終日前日に、彦根城にも立ち寄るつもりなので楽しみです。(* ̄∇ ̄*)エヘヘ

この日の走行距離 255kmな~~り。
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高速道路の運転と歩きまわって疲れたので、夜9時には床につきました。(^^;

<この日の走行MAP>
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<この日のお会計>
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-明日へと続く-