Michiruブログ

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浮御堂

2024春ツーリング 「関西・中部」VOL7 2日目(4/14)その4<浮御堂と興福寺>

前回記事の続きです。

垂仁天皇 菅原伏見東陵をお参りし、西に8km弱。

奈良公園周辺でバイクをとめれる駐車場が意外に少なく(自動車専用)、事前に調べておいてよかったです。

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駐車場に向かうのに、奈良公園に接する大街道を通ると、歩道には大勢の観光客であふれかえっていました。Σ(・ω・ノ)ノ  中心部の駐車場はいずこも「満車」で、駐車場を探す自動車がウロウロ・・。

あたいが探していた駐車場は奈良公園中心部から少し離れていたので、中心部駐車場程ではありませんでしたが、それでもけっこう混んでいました。(バイクの駐輪場は余裕でした.(・∀・))


バイクをとめ、てく・てく


奈良公園内の鷺池に浮かぶ「浮御堂」。

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お天気もよく、お堂に腰掛け一休憩。

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穏やかな日。ボートでデートなんて、青春ですね~~~。うらやまし~~~(⌒-⌒)

木立の中の遊歩道を1km近く歩くと、幹線道路に出てきました。

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西に進み・・

鹿と外国からの観光客がいっぱい。(・∀・)

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着きましたぁ~~!

ここは興福寺。

まずは興福寺の国宝館。
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入場料 700円な~~り。

こちらも館内の撮影は禁止なので、興福寺さんのHPや私の持っている書籍を参照しますね。

<千手観音菩薩立像>
s2024-04-14DSC_4609_01千手観音菩薩立像01

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(↑ 興福寺HPより)


<乾漆八部衆立像>
s2024-04-14DSC_4609_02乾漆八部衆立像01

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s2024-04-14DSC_4609_02乾漆八部衆立像03
(↑ 興福寺HPより)


<阿修羅像【八部衆】>

s2024-04-14DSC_4609_03阿修羅像【八部衆】01

s2024-04-14DSC_4609_03阿修羅像【八部衆】02
(↑ 興福寺HPより)


<迦楼羅像【八部衆】(かるらぞう)>

s2024-04-14DSC_4609_04迦楼羅増【八部衆】(かるらぞう)
(↑ 興福寺HPより)

 
<緊那羅像【八部衆】(きんならぞう)>
s2024-04-14DSC_4609_05緊那羅像【八部衆】(きんならぞう)
(↑ 興福寺HPより)


<鳩槃茶像【八部衆】(きばんだぞう)>

s2024-04-14DSC_4609_06鳩槃茶像【八部衆】(きばんだぞう)
(↑ 興福寺HPより)


<乾闥婆像【八部衆】(けんだつばぞう)>

s2024-04-14DSC_4609_07乾闥婆像【八部衆】(けんだつばぞう)
(↑ 興福寺HPより)


<五部浄像【八部衆】(ごぶじょうぞう)>
s2024-04-14DSC_4609_08五部浄像【八部衆】(ごぶじょうぞう)
(↑ 興福寺HPより)


<沙羯羅像【八部衆】(さからぞう)>
s2024-04-14DSC_4609_08沙羯羅像【八部衆】(さからぞう)
(↑ 興福寺HPより)


<畢婆迦羅像【八部衆】(ひばからぞう)>
s2024-04-14DSC_4609_09畢婆迦羅像【八部衆】(ひばからぞう)
(↑ 興福寺HPより)



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(↑ MOOK本「一個人 仏像入門」より)



<乾漆十大弟子立像(じゅうだいでしりゅうぞう)>
s2024-04-14DSC_4609_10乾漆十大弟子立像(じゅうだいでしりゅうぞう)
s2024-04-14DSC_4609_10乾漆十大弟子立像(じゅうだいでしりゅうぞう)02
(↑ 興福寺HPより)


<迦旃延像【十大弟子】(かせんえんぞう)>

s2024-04-14DSC_4609_11迦旃延像【十大弟子】(かせんえんぞう)
(↑ 興福寺HPより)


<舎利弗像【十大弟子】(しゃりほつぞう)>
s2024-04-14DSC_4609_12舎利弗像【十大弟子】(しゃりほつぞう)
(↑ 興福寺HPより)


<須菩提像【十大弟子】(すぼだいぞう)>
s2024-04-14DSC_4609_13須菩提像【十大弟子】(すぼだいぞう)
(↑ 興福寺HPより)


<富楼那像【十大弟子】(ふるなぞう)>
s2024-04-14DSC_4609_14富楼那像【十大弟子】(ふるなぞう)
(↑ 興福寺HPより)


<目犍連像【十大弟子】(もくけんれんぞう)>
s2024-04-14DSC_4609_15目犍連像【十大弟子】(もくけんれんぞう)
(↑ 興福寺HPより)


<羅睺羅像【十大弟子】(らごらぞう)>
s2024-04-14DSC_4609_16羅睺羅像【十大弟子】(らごらぞう)

(↑ 興福寺HPより)



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(↑ MOOK本「一個人 仏像入門」より)


<木造金剛力士立像(こんごうりきしりゅうぞう)>
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(↑ 興福寺HPより)


<木造天燈鬼・龍燈鬼立像(てんとうき・りゅうとうきりゅうぞう)>

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(↑ 興福寺HPより)


<銅造仏頭(旧東金堂本尊)(ぶっとう)>
s2024-04-14DSC_4609_19銅造仏頭(旧東金堂本尊)(ぶっとう)
(↑ 興福寺HPより)


<木造仏頭(釈迦如来像頭部)(ぶっとう)>

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s2024-04-14DSC_4609_20木造仏頭(釈迦如来像頭部)(ぶっとう)03
(↑ 興福寺HPより)


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(↑ MOOK本「一個人 仏像入門」より)

国宝館に収蔵されている一部を紹介しました。

以前から仏像に興味があり、持っている書籍「一個人 仏像入門」に載っている仏像を直に見れて、感動しっぱなしでした。

特に千手観音菩薩像、阿修羅・楼羅増・ 五部浄をはじめとする八部衆、 木造金剛力士立像、運慶作といわれる木造仏頭(釈迦如来像頭部)(ぶっとう)諸々 。 

やはり実物は写真と違って、魂を感じますね。('▽'*)ニパッ♪


超満足して国宝館をあとにしました。


五重塔は・・
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残念ながら工事中でした。

国宝館奥(西側)の中金堂。

こちらも拝観料が必要です。
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周りはすごい大勢の人ですが、拝観料がかかるので中金堂に入場される人はわずか・・(^^;
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こちらにも立派な仏像が収蔵されているので入場しました。

<木造四天王立像(中金堂所在)(してんのうりゅうぞう)>
s2024-04-14DSC_4615z_01木造四天王立像(中金堂所在)(してんのうりゅうぞう)00
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(↑ 興福寺HPより)


<木造薬王・薬上菩薩立像(やくおう・やくじょうぼさつりゅうぞう)>
s2024-04-14DSC_4615z_02木造薬王・薬上菩薩立像(やくおう・やくじょうぼさつりゅうぞう)00
s2024-04-14DSC_4615z_02木造薬王・薬上菩薩立像(やくおう・やくじょうぼさつりゅうぞう)03
(↑ 興福寺HPより)


<木造吉祥天倚像(厨子入り)(きっしょうてんいぞう)>


s2024-04-14DSC_4615z_03木造吉祥天倚像(厨子入り)(きっしょうてんいぞう)

(↑ 興福寺HPより)


<木造大黒天立像(だいこくてんりゅうぞう)>
s2024-04-14DSC_4615z_04木造大黒天立像(だいこくてんりゅうぞう)
(↑ 興福寺HPより)

いやぁ~、こちらもすばらしかったです。(*´Д`*)

興福寺の収蔵仏像。 ほんとすごいです! 

↓ 中金堂の広場から東をみた風景。
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↓ 中金堂 広場から西をみた風景。
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中金堂をいったん出て、西に向かいます。 

↓は、西に向かい振り返った風景。
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南円堂。
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ちゃんとお参りする人の少ないこと。

外国からの観光客さんは仕方ないのかもしれないけど、日本の方も・・。

お寺に来ているんだから、お賽銭を入れて、ちゃんとお参りしてほしいなあ~。

(お寺さん側も、参拝の仕方を外国語で表記しておいたほうがいいんじゃあないかなあ。)


ところが、南円堂横の納経所には御朱印を頂く人達の長い列。 御朱印を頂くことはいいことなんだけど、あわせてお参りして~~。(^^;
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北円堂。
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北円堂奥(西)から見た中金堂。
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北円堂奥(西)から見た五重塔。
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こちらに咲く桜は?

調べてみましたが、奈良の固有品種の奈良九重桜(ならのここのえざくら)なのか奈良八重桜(ならのやえざくら)のどちらかのようです。 よくわかりましぇ~~ん(^^;


↓ 青線が駐車場から ここまで歩いてきたルート。

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↓ 興福寺仏像の参照文献。 MOOK本「一個人 仏像入門」。
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-続く-




京都から滋賀へ「浮御堂、八幡堀」

京都 二日目の・・

アサー2

ホテルの駐車場には・・
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高級車がズラリ・・・・ε=ε=(;´Д`)

肩身の狭いノア子ちゃん・・(^^;

こんなバスも横づけしてました。
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ググってみたら、世界最大手の工作機械製造会社 DMG森精機(株)さんの専用バスのようです。w(゚o゚)w オオー!

いつもなら、京都市内のどこかに行くか、帰路に向かうのですが、今回は滋賀の方へ足をのばしてみました。

最初に向かったのがこちら。
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「浮御堂(うきみどう)」!
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【琵琶湖とその水辺景観--祈りと暮らしの水遺産】
人々は、琵琶湖の水や山からの湧き水を生活の中に巧みに取り入れ、水を汚さないように工夫をしながら生活を営んできました。 また、水を神として敬い、信仰の対象としてきました。 さらに、 湖辺の集落では、湖魚を用いた独自の食生活や伝統的な漁法が育まれ、 独自の景観を生み出してきました。 滋賀では、このような水と人との関わりが今も息づき、大切に受け継がれています。

【浮御堂(満月寺)】
近江八景「堅田の落雁」で名高い浮御堂は、寺名を海門山満月寺といいます。 現在の建物は昭和12年の再建によるもので、昭和57年にも修理が行われ、 昔の情緒をそのまま残しています。 境内の観音堂には、重要文化財である 聖観音座像が安置されています。

中に入ってみまひょ


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琵琶湖が一望できます。

琵琶湖大橋も間近に見えています。
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浮御堂の詳細です。
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【浮御堂の歴史】
近江八景の一つ堅田の落雁として有名な堅田の浮御堂は、びわ湖の最狭部に位置し、海門山満月寺と称する禅寺で京都紫野大徳寺に属する。

昔一条天皇の長徳年間(西暦九九五年頃) 比叡山横川恵心院に住した源信 (恵心僧都が、びわ湖を山上より眺め 湖中に一宇を建立し 自ら一千体の阿弥陀仏を刻んで「千仏閣」「千体仏堂」と称し 湖上通船の安全と衆生済度を 発願したに始まる。  因みに僧都は、我が国の宗教思想に大きな影響を与え、浄土教学の基礎 を樹立した「往生要集」の著者である。真宗伝灯第六祖と仰がれている。

堅田の地は、その後、建武の始めより元亀天正に至る間に、度々戦場となり、当寺も漸次 荒廃に帰したが、徳川時代になり、大徳寺の住持、湘南宗沅大岫宗般、等によって復興された。江戸時代より昭和九年迄の浮御堂は桜町天皇より御能舞台の御下賜を仰いで建立したものである。

観音堂の聖観音座像は、重要文化財であり平安時代、約九百年前の尊像である。 現在の浮御堂は、昭和十二年の再建で「阿弥陀仏一千体」を安置して「千体仏」と称している。「多数功徳作善信仰」という平安時代の信仰、一体よりも二体、三体と数多く仏像を作る事に、功徳ありと考えた様子を今日に伝えている。

浮御堂は湖中に突出している為、 次頁裏の版画の如く東に伊吹山、長命寺山、近江富士 (三上山)、沖の島、西に比良連峰、比叡山等、眼前に湖水を一眺出来る。  風景絶佳の地点で 風花雪月それぞれの趣があり、境内の老松も閑寂な寺域にふさわしい。 古くより堅田は京都に近く湖上交通の要地で、一休和尚、蓮如上人が錫をとどめ、芭蕉、一茶、広重、 北斎等が 杖をひいて多くの詩歌、絵画を残している。

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あらためて思いました。 琵琶湖って大きいなあ~。(・∀・)


浮御堂入口すぐそばのお店!
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奥様が「このお店、以前放映された『三宅裕司のふるさと探訪』で見たことがある~~!」

ホントだ。Σ(・ω・ノ)ノ ↓
ふるさと探訪魚富商店a

魚富商店さん、浮御堂前にある「究極のつくだ煮」! だって!!

これは何か買って帰らないとあかんでしょ (゚∀゚)アヒャ

おじゃましまんねやわ。
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おおお、鮒ずしもありまんがな。

↓ これが美味しそう!! 「琵琶湖産佃煮三種盛」ゲット!! (* ̄∇ ̄*)エヘヘ
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このあと、琵琶湖大橋を渡り湖東 近江八幡市のこちらへ。

日牟禮八幡宮。
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日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)は、滋賀県近江八幡市宮内町にある神社。古くから近江商人の信仰を集め、二大火祭の「左義長まつり」と「八幡まつり」は国の選択無形民俗文化財である。境内地は八幡伝統的建造物群保存地区の構成要素。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。

歴史
-創建-
伝承によれば、成務天皇元年(131年)、成務天皇が高穴穂の宮に即位の時、武内宿禰に命じてこの地に大嶋大神(大国主神)を祀ったのが草創とされている(この大嶋大神を祀ったのが、現在の大嶋神社奥津嶋神社なのか、境内社の大嶋神社なのかは定かではない)。応神天皇6年(275年)、応神天皇が奥津嶋神社から還幸の時、社の近辺に御座所を設けられ休憩した。その後、その仮屋跡に日輪の形を2つ見るという不思議な現象があり、祠を建て、日群之社八幡宮と名付けられたという。

持統天皇5年(691年)、藤原不比等が参拝し、詠んだ和歌に因んで比牟禮社と改められたと云われる(「天降りの 神の誕生の八幡かも ひむれの杜に なびく白雲」)。

正暦2年(991年)、一条天皇の勅願により、八幡山(法華峰)上に社を建立し、宇佐八幡宮を勧請して、上の八幡宮を祀った。さらに、寛弘2年(1005年)、遥拝社を山麓に建立し、下の社と名付ける(現在の社殿は下の社に相当)。

-中世以降-
室町時代には足利将軍家や六角氏より寄進を受けている。

天正13年(1585年)に豊臣秀次が八幡山城を築城するため、上の八幡宮を下の社に合祀した。その代替地として日杉山に祀りなおすこととなった。ところが、天正18年(1590年)、秀次が領地替えにより、自身の居城を尾張国清州城に移したため、移転作業は行われなかった。次代の城主として京極高次が入るが、文禄4年(1595年)に前城主であった秀次が高野山で自害したことにより、秀次ゆかりの八幡山城は廃城とされ高次は大津城に移った。これによって、日杉山への社殿の移転は全面中止とされ、現在のように一社の姿となった。八幡山城は廃城となったが城下町は近江商人の町として発展し、当社はその守護神として崇敬を集めた。

慶長5年(1600年)9月18日、徳川家康が関ヶ原の戦い後に武運長久の祈願を込めて参詣し、御供領五十石の地を寄附した。後に、徳川家光や徳川家綱も御朱印を下している。

1876年(明治9年)に郷社、1916年(大正5年)には県社に列せられる。1966年(昭和41年)に神社本庁の別表神社に加列され、神社名を日牟禮八幡宮と改称する。

<ウイッキペディアより引用>

日牟禮八幡宮を参拝後 参道の前の八幡堀を散策しました。
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【八幡堀の歴史】
八幡堀は、天正13年(1585年)、 豊臣 (羽柴) 秀次により、八幡山城の 築城に際し琵琶湖に繋がる運河として建設され、その長さは約4.7kmに及びます。

特に江戸時代は、 水運の流通拠点として賑わい、この地から八幡商人たちが全国に商いを展開しました。 昭和の経済成長期になると、 運河としての利用価値は失われ、 埋立て計画が持ち上がるほど荒廃しました。

しかし「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」を合言葉に市民有志の保存再生運動が展開され、 埋立ては 中止され、堀はかつての姿を取り戻 しました。

今日も、市民による清掃と美化活 動が続けられることで、映画やドラ マのロケ地になるなど、 四季折々情緒ある風景を見せてくれます。

*重要伝統的建造物群保存地区
*重要文化的景觀

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【近江商人とは】
近江商人とは近江で商いを行う商人ではなく、近江を本宅・本店とし、他国へ行商した商人の総称で、個別には「高島商人、八幡商人、日野商人、湖東商人」などと呼ばれ ます。 それぞれ特定の地域から発祥し、活躍した場所や取り扱う商品にも様々な違いがあるのも特徴です。

【近江商人語録】
◎商人の本務
商人に必要なのは才覚と算用と言われます。しかし、近江商人は巧妙な計算や企てを良しとせず、世の中の過不足を補い、需要と供給を調整することを本務としています。

◎三方よし
「売り手よし、買い手よし、世間よし」を表します。売り手と買い手の双方だけの合意ではなく、社会的に正当な商いや行先での経済的貢献を求めています。古くから、企業の社会的責任を果たしてきた近江商人を象徴する言葉です。

◎質素倹約
近江商人は、財の豊かさに見合う、 人格・教養・礼儀作法人間形成を強く求めています。奢ることは即ち身を滅ぼすことに繋がると子孫へ戒めています。八幡商人の中にも、 市田 清兵衛は「互いに申し合わせ質素守 るべく候事」、中村久兵衛は「諸親類別家に至るまで、身分不相応なる普請を致し、又は人並みにすぐれ美麗 なる衣服を着用致し候者あらば、相互に申し合わせ差留め申すべき事」 「別家の内、家業を粗略に致し、酒宴、 遊芸を好み、 身持ち溺堕なる者これ あり候は同じ、早速意見を加え、もし用いざるにおいては出入り差留申すべき事」と記しています。

◎商人倫理と販売戰略
近江商人は江戸中期頃にはすでに複式簿記を確立させ、経営状況を把 握していました。また、行商では、遠い他国まで出かけることで、儲けたいという欲が自ずと出ますが、そうし た欲望を抑えるため神仏への信心を もつことを進めるなど、卓越した経 営感覚と倫理感を持ち合わせていま した。
そのような基礎の元に、人と同じ事をしていてはお客様の気持ちを掴 めないと様々なアイデアを出しています。

◎武士は敬して遠ざけよ
地域経済を左右するほどの実力者となると、大名との付き合いも多 くなります。しかし、近江商人は権 力に依存して利益を得ることを良しとはしませんでした。

◎お助け普請
近江商人は地場産業の育成や地域の活性化があってこそ商いが行えま した。よって、お互い様という観念や 地域への貢献を疎かにすることはあ りませんでした。 凶作や不況がある時には、進んで自宅や神社仏閣への改築等の造作を行っていました。今で言う公共事業的なものを率先して実施 しています。

◎押込隠居
先祖の苦労の賜物により今日の繁栄があるのであって、主人としてはわずか30年ほどの間、奉公する身と思い、家業を守り商いの繁栄に勤める ようにと伝えています。店の運営も、 店と個人(主人)は別々のもので主人の私有財産ではないと考えられてい たため、独断で物事の決定は行われず、今で言う取締役会が開かれてい ました。 よって、不的確な人物なら主人の座を追放したり相続権の剥奪等の事例もあります。

◎薄利多売
一度で大きな利益を得るような商いは良しとせず、長期的な商いを行 うことを求めています。そのため、 日々の努力と始末が欠かせませんでした。

◎博打・投機的商法の禁止
この類の文言は実に多くの商人家訓等の形で残しています。八幡商人の中でも「博打、諸勝負事堅く禁止の こと」(原田四郎左衛門)、「御法度第一、並びに、博打の事」(岡田彌三右衛 門)、「博打、諸勝負事の儀は申すに及ばず、大酒、色情の儀、堅く相慎み互 いに行儀正しく出精致さるべく候」 (市田清兵衛)等と、子孫への戒めと しています。


私が現役でお仕事をしていた際は、「三方よし」他 ここで書かれている本質と同じようなことを経営理念に置いていました。

現代の多くの会社経営に通じる考えが、すでに近江商人にはあったのには驚かされます。

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舟下り・・。 情緒があっていいですね~~~。

乗っている人達は、ほぼ海外から来られた観光客ばかりでしたが・・(・∀・)

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東南アジアから来られた方が多いように思いました。

笑顔で手を振られたので、あたいも手をふってあげましたよ♪ (゚∀゚)アヒャ


3年ぶりの京都へのお墓参りも無事終え、滋賀のすてきなスポットも堪能し、帰路につきました~~ 



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