2023年春・紀伊半島ツーリングの続きです。
44年前(1979年)の旅では、千畳敷、三段壁のあと南紀白浜ワールドサファリ(現アドベンチャーワールド)に行ってますね~。
調べてみると、「1978年4月22日のオープン当初は「南紀白浜ワールドサファリ」という名称であった。」となっているので、開園して1年ぐらいだったんですね。
そういえば、当時(京都) テレビでよく南紀白浜ワールドサファリのCMをやっていたような記憶があります。
サファリバスに乗っていろんな動物を見学していましたよ。(・∀・)
当時の入園料2500円な~~り。
その後、串本海中公園でお魚さんを見たあと、この日の宿「潮岬ユースホステル」へ。
当時の若者は、安いユースホステルをよく利用していました。
当然 貧乏学生だったあたいも、この旅ではユースホステルを利用することに。
ユースホステルを利用するには、まずはユースホステルの会員になる必要がありました。
四条河原町近くの藤井大丸の中にユースホステル協会があり、そこで入会手続きをしました。
44年前の紀伊半島・奈良ツーリングの4泊は、すべてユースホステルを利用しました。
2日目に泊まった潮岬ユースホステル。
ヘルパーの方がとても素敵な方で、ミーティングもこの日の宿泊者皆で楽しい一時をすごせました。
ヘルパーのUさん。大学卒業後、大企業に就職したものの肌があわず退職し、このYHのヘルパーになったとか・・。 この話を今でも覚えています。
左からヘルパのUさん。河内長野からお越しの短大生のFさん、Hさん。東京のSさん。慶大GT380乗りのNさん。沖縄に帰省途中のホークⅡ乗りのIさん。
翌朝は「潮岬から日の出を見よう!」と早起きして、YHから歩いて目の前の潮岬に行きました。
あいにくの曇り空で、残念ながら日の出はみることはできませんでした。(^^;
当時のYHの料金¥2050! 貧乏学生にはありがたいお値段でした。
当時は、宿泊者のミーティング有、飲酒ダメって規則。
今のあたいには、無理っすねえ。 相部屋も無理・・。 だったらキャンプ泊のほうがいいかな(^^;
44年前の3日目は、潮岬YHを出発してGT380乗りのNさんと潮岬灯台まで足をのばしていました。
さて、44年後!
今回のツーリングで一番訪れたかったのが、この潮岬ユースホステル!
すでになくなっていたのは、ネットで調べてわかっていたのですが、今はどんな姿になっているのか?
ググってみても情報は無し。
とにかく潮岬に行ってみました。
白浜から国道42号線を南下し、和歌山県道41号潮岬周遊線に。
潮岬灯台が見えてきましたが、今回はパス
そのまま潮岬へ。
潮岬のタワーの前にひろがる草原&海岸線。
↑そうそう。この景色!
【吉野熊野国立公園】
↑潮岬に設置されていながら、潮岬の事が触れられてないがな~~~(^^;
先端からタワーの方に戻ります。
草原&先端には、潮岬YHからまっすぐ歩いていった記憶があるんですが、周辺を見まわしても観光タワーのまわりは民家がちらほら。
YHが取り壊され、民家が建ってしまったのかなあ?
せめてどこにあったかだけは知りたかったので、観光タワーのお隣の売店に入り・・
「すいません。もうずいぶん昔の話なんですが、この近くに潮岬ユースホステルってありませんでした?」
すると・・
「ああ、今はその場所はカラオケ喫茶になっていますが、この横(タワーと売店棟の間)を通っていったところにありましたよ。」
おおお! .。゚+.(・∀・)゚+.゚ ヤッタ~~!!
数十メートル先に!!
「潮岬YH」のペイントが!!
もう一度44年前の写真を並べてみます。
発見した時は、涙がちょちょぎれましたよ~~~(*´Д`*)
何故か自分でもわかりませんが、今回の旅で一番来たかったところ!
今回のツーリングは、青春の思い出を辿る旅だったんでしょうね。
皆さんも、若い頃に訪れた思い出の場所を訪れてみたい衝動にかられたことはありませんか?
-旅は続きます-
44年前(1979年)の旅では、千畳敷、三段壁のあと南紀白浜ワールドサファリ(現アドベンチャーワールド)に行ってますね~。
調べてみると、「1978年4月22日のオープン当初は「南紀白浜ワールドサファリ」という名称であった。」となっているので、開園して1年ぐらいだったんですね。
そういえば、当時(京都) テレビでよく南紀白浜ワールドサファリのCMをやっていたような記憶があります。
サファリバスに乗っていろんな動物を見学していましたよ。(・∀・)
当時の入園料2500円な~~り。
その後、串本海中公園でお魚さんを見たあと、この日の宿「潮岬ユースホステル」へ。
当時の若者は、安いユースホステルをよく利用していました。
当然 貧乏学生だったあたいも、この旅ではユースホステルを利用することに。
ユースホステルを利用するには、まずはユースホステルの会員になる必要がありました。
四条河原町近くの藤井大丸の中にユースホステル協会があり、そこで入会手続きをしました。
44年前の紀伊半島・奈良ツーリングの4泊は、すべてユースホステルを利用しました。
2日目に泊まった潮岬ユースホステル。
ヘルパーの方がとても素敵な方で、ミーティングもこの日の宿泊者皆で楽しい一時をすごせました。
ヘルパーのUさん。大学卒業後、大企業に就職したものの肌があわず退職し、このYHのヘルパーになったとか・・。 この話を今でも覚えています。
左からヘルパのUさん。河内長野からお越しの短大生のFさん、Hさん。東京のSさん。慶大GT380乗りのNさん。沖縄に帰省途中のホークⅡ乗りのIさん。
翌朝は「潮岬から日の出を見よう!」と早起きして、YHから歩いて目の前の潮岬に行きました。
あいにくの曇り空で、残念ながら日の出はみることはできませんでした。(^^;
当時のYHの料金¥2050! 貧乏学生にはありがたいお値段でした。
当時は、宿泊者のミーティング有、飲酒ダメって規則。
今のあたいには、無理っすねえ。 相部屋も無理・・。 だったらキャンプ泊のほうがいいかな(^^;
44年前の3日目は、潮岬YHを出発してGT380乗りのNさんと潮岬灯台まで足をのばしていました。
さて、44年後!
今回のツーリングで一番訪れたかったのが、この潮岬ユースホステル!
すでになくなっていたのは、ネットで調べてわかっていたのですが、今はどんな姿になっているのか?
ググってみても情報は無し。
とにかく潮岬に行ってみました。
白浜から国道42号線を南下し、和歌山県道41号潮岬周遊線に。
潮岬灯台が見えてきましたが、今回はパス

そのまま潮岬へ。
潮岬のタワーの前にひろがる草原&海岸線。
↑そうそう。この景色!
【吉野熊野国立公園】
吉野熊野国立公園は、三重県,奈良県,和歌山県の三県にまたがり、紀伊半島の中央山岳地帯と、山間を延々と蛇行して流れる熊野川、及び半島南部の海岸から構成されています。 尾鷲から千里の浜までの海岸線や熊野川沿岸の数多くの断崖、そして波の浸食でできた平らな海底が隆起した地形がみられる千畳敷などの変化に富んだ景色がある一方、ウミガメの産卵地ともなっている王子ヶ浜などといった直線的な海岸も見られます。
また熊野本宮大社、 熊野那智大社、熊野速玉大社の3つの霊場とそこへ至る参詣道(熊野古道)が文化的景観として評価され、世界文化遺産に登録されています。
↑潮岬に設置されていながら、潮岬の事が触れられてないがな~~~(^^;
先端からタワーの方に戻ります。
草原&先端には、潮岬YHからまっすぐ歩いていった記憶があるんですが、周辺を見まわしても観光タワーのまわりは民家がちらほら。
YHが取り壊され、民家が建ってしまったのかなあ?
せめてどこにあったかだけは知りたかったので、観光タワーのお隣の売店に入り・・
「すいません。もうずいぶん昔の話なんですが、この近くに潮岬ユースホステルってありませんでした?」
すると・・
「ああ、今はその場所はカラオケ喫茶になっていますが、この横(タワーと売店棟の間)を通っていったところにありましたよ。」
おおお! .。゚+.(・∀・)゚+.゚ ヤッタ~~!!
数十メートル先に!!
「潮岬YH」のペイントが!!
もう一度44年前の写真を並べてみます。
発見した時は、涙がちょちょぎれましたよ~~~(*´Д`*)
何故か自分でもわかりませんが、今回の旅で一番来たかったところ!
今回のツーリングは、青春の思い出を辿る旅だったんでしょうね。
皆さんも、若い頃に訪れた思い出の場所を訪れてみたい衝動にかられたことはありませんか?
-旅は続きます-