2023年春・紀伊半島ツーリングの続きです。
この旅、二日目(5/26金)。
梅雨の合間をぬっての今回の旅。 天気予報では、ずっと晴れor曇りだったのですが、初日の宿に着いてから夜の間 雨が降りました。
朝、雨もあがり良かったあ~~ (*´∀`*)❤
R42号線を北上。 太地町あたりから自動車専用道路の「那智勝浦新宮道路」にのり、さらに北上していると・・
ザ~~~!! ザ~~~!!
強い雨が降り出しました。(TДT)
途中バイクをとめるところもなく、那智勝浦ICを降りてすぐにコンビニ発見!
雨はやみそうになく、軒下でカッパ、ブーツカバーを着込み、グローブは防寒テレコムに履き替え、先へ進みます。
この日最初の目的地にとうちゃこ。
ここは、世界遺産にも登録されている熊野那智大社の大門坂駐車場。
今回の旅では熊野古道を少しでも歩いてみたかったので、こちらにバイクをとめ歩いて熊野那智大社/青岸渡寺を目指します。
カッパを脱ぎ、折畳傘ををさして出発
てくてく・・
てくてく・・
ウゲッ(((( ;゚д゚))) てくてく・・
てくてく・・
ん!? (・∀・)
( *゚ェ゚))フムフム
さらに・・
てくてく・・
団体さんに遭遇。 この横は「熊野古道バス停」でした。
那智大社まで、まだまだあるのね・・('A`|||)
ん? 石段に何か書いてますね。 なんなんだろ??
まだまだ階段は続き・・
ライディングシューズの中が・・
水が浸入してきてビショビショ (´;ω;`)
靴を確認してみると・・
靴底の一部が剥がれかかってまんがなノ( ̄0 ̄;)\オー!!ノー!!!!
まずいぞ~~~。 まあ最悪ガムテープぐるぐる巻きの刑ですね(゚∀゚)アヒャ
おおお、着いたかあ??
ん?
まだ登らんとあかんの? ('A`|||)
【国指定歴史の道 「熊野古道大門坂」
この石畳敷の石段は、二六七段・その距離約六〇〇メートル余、両側の杉並木は、一三二本で他に老楠が並び入口の老杉は「夫婦杉」と呼び、幹周り八・五 メートル余、樹高五五メートル余、樹齢約八〇〇年程と推定されている。
途中には熊野九十九王子最終の多富気王子跡がある。 この所に大門があったので「大門坂」とも呼ばれています。
とぼとぼ・・
ん??
大門坂の石階段の字はかなり古いものでしたが、このあみだくじ状に削られた格子線は 比較的新しいもののようです。
宗教的なものでなく、いたずらのように見えます。
世界遺産にこんなことして問題にならないのか!?
やっと那智大社の近くまでやってきましたよ ε-(´∀`*)ホッ
雨に濡れたうえ、汗で体もビショビショ。 靴の中は雨が侵入して、これまたびしょびしょ。
拭き拭きしたタオルも、ビッショリ(;´Д`)
最後の階段・・。
とうちゃこ!!
【熊野那智大社 御由緒】
往古、神武天皇御東征のみぎり、この地に上陸された神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)(神武天皇)が那智の大瀧を神として祀られたのが那智山信仰の始まりとされ、その後、命は熊野の神使である八咫烏の導きにより大和の地に赴かれ、橿原宮で初代天皇に即位されました。
熊野信仰は、我が国に仏教が伝わると早くから神仏習合が進み、修験道の隆盛とも相俟って熊野権現として崇められ、平安中期頃より上皇(法皇)が詣でる熊野御幸は百余回に及び、やがて武将や庶民に至るまで大勢の人々が詣でるようになり、「蟻の熊野詣」と称されました。
【御祭神】
この旅、二日目(5/26金)。
梅雨の合間をぬっての今回の旅。 天気予報では、ずっと晴れor曇りだったのですが、初日の宿に着いてから夜の間 雨が降りました。
朝、雨もあがり良かったあ~~ (*´∀`*)❤
R42号線を北上。 太地町あたりから自動車専用道路の「那智勝浦新宮道路」にのり、さらに北上していると・・
ザ~~~!! ザ~~~!!
強い雨が降り出しました。(TДT)
途中バイクをとめるところもなく、那智勝浦ICを降りてすぐにコンビニ発見!
雨はやみそうになく、軒下でカッパ、ブーツカバーを着込み、グローブは防寒テレコムに履き替え、先へ進みます。
この日最初の目的地にとうちゃこ。
ここは、世界遺産にも登録されている熊野那智大社の大門坂駐車場。
今回の旅では熊野古道を少しでも歩いてみたかったので、こちらにバイクをとめ歩いて熊野那智大社/青岸渡寺を目指します。
カッパを脱ぎ、折畳傘ををさして出発

てくてく・・
てくてく・・
ウゲッ(((( ;゚д゚))) てくてく・・
てくてく・・
ん!? (・∀・)
【多富気王子跡 Tafuke-Oji remains】
熊野参詣道中辺路にある最後の王子社です。 おそらく樹叢や峠の神仏に「手向け」をした場所で、それがいつしか王子と呼ばれるようになったと思われます。ただし、王子の名は中世の記録には登場せず、江戸時代の地誌類にみられます。 『熊野道中記』には、「那智山坂ノ内壱町程上り、右ノ方」と記されています。また『紀南郷導記』では若一(にゃくいち)王子、『紀伊続風土記』 では児宮(ちこのみや)と呼んでいますが、『熊野巡覧記』には、若一王子と児宮の両方の名をあげています。 江戸時代には社殿がありましたが、明治十年に熊野夫須美(ふすみ)神社 (現、熊野那智大社)の境内に移され、跡地だけとなりました。
( *゚ェ゚))フムフム
さらに・・
てくてく・・
団体さんに遭遇。 この横は「熊野古道バス停」でした。
那智大社まで、まだまだあるのね・・('A`|||)
ん? 石段に何か書いてますね。 なんなんだろ??
まだまだ階段は続き・・
ライディングシューズの中が・・
水が浸入してきてビショビショ (´;ω;`)
靴を確認してみると・・
靴底の一部が剥がれかかってまんがなノ( ̄0 ̄;)\オー!!ノー!!!!
まずいぞ~~~。 まあ最悪ガムテープぐるぐる巻きの刑ですね(゚∀゚)アヒャ
おおお、着いたかあ??
ん?
まだ登らんとあかんの? ('A`|||)
【国指定歴史の道 「熊野古道大門坂」
県指定天然記念物 「那智山旧参道の杉並木」】
那智山は都より山川八〇里・往復一ヶ月の日数をかけ踏み分けた参詣道が「熊野道」である。 熊野九十九王子としても知られた往古の歴史を偲ぶ苔むした道でもあり、那智山の麓から熊野那智大社への旧参道です。
この石畳敷の石段は、二六七段・その距離約六〇〇メートル余、両側の杉並木は、一三二本で他に老楠が並び入口の老杉は「夫婦杉」と呼び、幹周り八・五 メートル余、樹高五五メートル余、樹齢約八〇〇年程と推定されている。
途中には熊野九十九王子最終の多富気王子跡がある。 この所に大門があったので「大門坂」とも呼ばれています。
和歌山県
那智勝浦町
熊野那智大社
とぼとぼ・・
ん??
大門坂の石階段の字はかなり古いものでしたが、このあみだくじ状に削られた格子線は 比較的新しいもののようです。
宗教的なものでなく、いたずらのように見えます。
世界遺産にこんなことして問題にならないのか!?
やっと那智大社の近くまでやってきましたよ ε-(´∀`*)ホッ
雨に濡れたうえ、汗で体もビショビショ。 靴の中は雨が侵入して、これまたびしょびしょ。
拭き拭きしたタオルも、ビッショリ(;´Д`)
最後の階段・・。
とうちゃこ!!
【熊野那智大社 御由緒】
熊野という地名には諸説ありますが、紀伊続風土記には「熊野は隈にてコモル義にして」 とあり、「奥まった処」「隠れたる処」との意が、また「クマ」と「カミ」とは同じ意があ ると考えられ、「クマノ」とは 「カミの野」で神々が住まう地といえます。
往古、神武天皇御東征のみぎり、この地に上陸された神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)(神武天皇)が那智の大瀧を神として祀られたのが那智山信仰の始まりとされ、その後、命は熊野の神使である八咫烏の導きにより大和の地に赴かれ、橿原宮で初代天皇に即位されました。
当社は仁徳天皇五年(三一七年)、この那智山中腹に社殿が創建され、御瀧本より熊野の神々を遷座してお祀りしたと伝えられています。 御祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)と申し上げる我が国の最初の女神「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」を主神として十三所の神々をお祀りし、全国の熊野神社 四千余社の御本社である熊野三山 (本宮大社・速玉大社・那智大社) の一社であり、 「日本第一大霊験所 根本熊野三所権現」として崇められています。 主神の御名「夫須美」は「むすび」と同意であり、諸願成就の御神徳があり、かつては「結宮(むすびのみや)」とも称されました。
熊野信仰は、我が国に仏教が伝わると早くから神仏習合が進み、修験道の隆盛とも相俟って熊野権現として崇められ、平安中期頃より上皇(法皇)が詣でる熊野御幸は百余回に及び、やがて武将や庶民に至るまで大勢の人々が詣でるようになり、「蟻の熊野詣」と称されました。
那智山信仰の根元である那智の御瀧は、当社の別宮 「飛瀧神社(ひろうじんじゃ)」と申し上げ大己貴神(おおなむちのかみ)をお祀りしています。
【御祭神】
第一殿 瀧 宮 大己貴神(おおなむちのかみ)
第二殿 証誠殿 家都御子大神(けつみこのおおかみ) (素盞嗚尊(すさのおのみこと) )
第三殿 中御前 御子速玉大神(みこはやたまのおおかみ) (伊弉諾尊(いざなぎのみこと) )
主神 第四殿 西御前 熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ) (伊弉冉尊(いざなみのみこと))
第五殿 若宮 天照大神(あまてらすおおかみ)
第六殿 八社殿 天神地祇八神
御縣彦社 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)(八咫烏)
【例大祭】
七月十四日 例大祭 「那智の扇祭り」(那智の火祭り)は、平成二十七年に国の重要無形民俗文化財に指定されています。 また、同日に奉納される「那智の田楽」も国の重要無形民俗文化財 (昭和五十一年)であるとともに、ユネスコの無形文化遺産(平成二十四年)に登録されています。
【御本殿】
熊野権現造りと称し、正面に五棟・側面に一棟と御縣彦社・鈴門・瑞垣からなっており、現在の建物は豊臣の世に再興し、その後享保・嘉永の年間に大改修され、平成七年に国の重要文化財に指定されています。
【世界遺産登録】
御社殿及び境内域は、平成十六年(二〇〇四年) に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録され、この那智山社域一体は吉野熊野国立公園の特別域でもあります。
( *゚ェ゚))フムフム
チャリ~ン。←お賽銭
ペコペコ。 パンパン。 ペコリ。←二礼二拍手一礼
すぐお隣の青岸渡寺に移動。
(*)滝津瀬・滝つ瀬【たきつせ】とは
青岸渡寺から那智の滝が拝めます。
青岸渡寺を参拝後、お寺の方に「那智の滝前バス停」までの道を聞き、下り坂をてくてく・・。
もう水浸しの靴の中は、悲惨なことになってます。(´;ω;`)ウゥゥ
三重の塔のところまで下りてきました。
バス停と反対方向に那智の滝がありますが・・。
もうこれ以上雨の中をずぶ濡れになって歩く元気がありましぇん。('A`|||)
44年前はというと、熊野古道を歩こうなんて発想はまったく無く・・
バビューンと那智の滝までバイクできて・・
山頂の熊野那智大社/青岸渡寺にバイクでバビュ~~ン
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
三重の塔、那智の滝をバックに青岸渡寺で撮った写真。
若い娘さんを連れた親子3人のお父さんにシャッターを押してもらいました。
カメラを返してもらいお礼を告げると、横からお母さんが・・
お母さん:「あなた学生さんでしょ? 平日にバイクでこんなところまで来て学校は?」
あたい:「あはは。 学校は自主休校っす。」(・∀・)
お母さん:(ちょっと怪訝そうな顔で)「何年生なの?」
あたい:「2年生です。」(☆゚∀゚)
お母さん:「うちとこの娘と同じ歳じゃないの!? 学校を休んでバイク旅って!! 進学しないにしても・・」
あたい:「あの~~~。私 大学の2回生なんですけど・・(TДT)」
お母さん:「・・・モグモグモグ・・・」
童顔かつ当時髪型が角刈りだったので、高校生に間違われました。(T_T)
こんなことも旅の思い出。44年経った今でも覚えているんですもんね。(^^;
バス停はもうすぐ。
やっと着きました。
時刻表を見ると5分ほど前にバスが出たばかり。 雨の中 30分程バスを待ちました。 泣きたくなりましたよ(ノ◇≦。) ビェーン!!
この後、外人観光客さんで満員のバスに乗り、バイクをとめている大門坂駐車場まで戻ってきました。
チャリ~ン。←お賽銭
ペコペコ。 パンパン。 ペコリ。←二礼二拍手一礼
すぐお隣の青岸渡寺に移動。
【西国霊場第一番札所 天台宗 那智山青岸渡寺】
補陀洛や岸うつ波は三熊野の那智の御山にひゞく滝津瀬(*)
当山は仁徳帝の頃(三一三‐三九九)印度より裸形上人が熊野の浦に漂着、現在の堂の地に庵を結んだのに始まると伝られている。 その後、推古帝(五九三一六二八)の時大和より生仏上人が耒山し、玉椿の大木をもって、現在の本尊(御大約四米)を彫り、裸形上人感得の観世音菩薩を胸仏として納め安置す。のち 推古帝の勅願寺となり、那智霊場の中心として熊野信仰を育くんできた。従って御本尊如意輪観世音菩薩の霊験を受けんとして、日夜礼拝修業する者その数を知らず、又天皇上皇の尊崇も深く、殊に平安時代人皇六十五代花山上皇が滝の上の山中に庵を造り、三ヶ年御修業の後、当山より西国三十三ヶ所観音礼場巡拝の旅に出られた。当時より長きに亘り巡拝の寺として親しまれている。当山は古くより那智山如意輪堂と称していたが明治の神仏分離によってその形態が変り以来青岸渡寺と称するようになた。(注:「なった」の誤り?) 現在の建物は天正十八年、豊臣秀吉公が、発願再建されたもので桃山時代様式の建物として南紀唯一の重要文化財である。
(*)滝津瀬・滝つ瀬【たきつせ】とは
滝。滝のような急流。
青岸渡寺から那智の滝が拝めます。
青岸渡寺を参拝後、お寺の方に「那智の滝前バス停」までの道を聞き、下り坂をてくてく・・。
もう水浸しの靴の中は、悲惨なことになってます。(´;ω;`)ウゥゥ
三重の塔のところまで下りてきました。
バス停と反対方向に那智の滝がありますが・・。
もうこれ以上雨の中をずぶ濡れになって歩く元気がありましぇん。('A`|||)
44年前はというと、熊野古道を歩こうなんて発想はまったく無く・・
バビューンと那智の滝までバイクできて・・
山頂の熊野那智大社/青岸渡寺にバイクでバビュ~~ン


三重の塔、那智の滝をバックに青岸渡寺で撮った写真。
若い娘さんを連れた親子3人のお父さんにシャッターを押してもらいました。
カメラを返してもらいお礼を告げると、横からお母さんが・・

あたい:「あはは。 学校は自主休校っす。」(・∀・)
お母さん:(ちょっと怪訝そうな顔で)「何年生なの?」
あたい:「2年生です。」(☆゚∀゚)
お母さん:「うちとこの娘と同じ歳じゃないの!? 学校を休んでバイク旅って!! 進学しないにしても・・」
あたい:「あの~~~。私 大学の2回生なんですけど・・(TДT)」
お母さん:「・・・モグモグモグ・・・」
童顔かつ当時髪型が角刈りだったので、高校生に間違われました。(T_T)
こんなことも旅の思い出。44年経った今でも覚えているんですもんね。(^^;
バス停はもうすぐ。
やっと着きました。
時刻表を見ると5分ほど前にバスが出たばかり。 雨の中 30分程バスを待ちました。 泣きたくなりましたよ(ノ◇≦。) ビェーン!!
この後、外人観光客さんで満員のバスに乗り、バイクをとめている大門坂駐車場まで戻ってきました。
-続く-