Michiruブログ

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Vストローム

Vストで行く岡山~兵庫ツーリング VOL7「津山城と津山ホルモンうどん」編

「Vストで行く岡山~兵庫ツーリング 」の続きです。

岡山県津山市。

26~7年程前、トライアル競技をはじめて間もないNB時代に 何度か津山市北部にある黒木トライアル場で行われた試合に泊りがけで来たことがあります。

この頃は、大会が終わると四国までとんぼ返りで、観光らしいことをしたことがありませんでした。(^^;

今回は、津山城も見学してきましたよ。(・∀・)

無料駐車場にVストちゃんをとめ・・
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てくてく・・
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入場料 310万両なり~~~(゚∀゚)アヒャ
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入場前にお勉強しましょうね (^_-)-☆

【津山城跡】    国指定史跡(昭和三八年九月二八日指定)
津山城は、もと山城のあったこの鶴山の地に森忠政が慶長九年(一六〇四)に起工し、元和二年(一六一六)の完成まで一三年の歳月をかけて築いた輪郭式の平山城です。

往時には五層の天守閣がそびえていましたが、この天守閣は弓狭間・鉄砲狭間・石落し等の備えを持ち、 唐破風・千鳥破風等の装飾のない実戦的なものでした。 
また、本丸・二の丸・三の丸には、備中櫓をはじめ、 粟積櫓・月見櫓等数多くの櫓が立ち並び、本丸には七○余の部屋からなる御殿と庭園がありました。

この城が築かれた当時は、我が国の築城技術が最盛期を迎えた時期にあたり、津山城の縄張りの巧妙さは攻守両面において非常に優れたもので、近世平山城の典型とされています。

明治六年(一八七三) 廃城令*によって城郭は公売され、翌年から八年にかけて天守閣をはじめとする一切の建物が取り壊されましたが、豪壮堅固な石垣は残りました。

その後、明治三三年(一九〇〇) 城跡は鶴山公園として津山町の管理となり、昭和三八年に国の史跡に指定されました。


<歴代城主>
(森一家) 森家は清和源氏で、初代津山藩主森忠政は、美濃金山城主森可成の六男に生まれました。 慶長八年(一六〇三) 徳川家への数々の武功が認められて、信濃川中島一三万七五〇〇石の大名から美作一国 一八万六五〇〇石の大名に抜擢されました。この忠政は、本能寺の変で主君の織田信長とともに壮絶な最期を遂げた森蘭丸の末弟にあたります。 森氏は四代九五年にわたって美作国を治めましたが、四代藩主長成に嗣子がなく津山森藩は改易となりました。 その後、森家は二代藩主長継の子長直が備中西江原藩主として森宗家を再興し、さらに宝永三年(一七〇六) 播磨赤穂に移りました。

(松平家) 森家にかわり一〇万石の大名として新たな津山藩主となった松平宣富は、徳川家康の第二子結城 (松平) 秀康の曽孫で越前家と呼ばれ、徳川一門中に重きをなしていました。 そして明治四年(一八七一)に廃藩となるまで、九代一七四年にわたって続きました。


この文中に出てくる"明治六年(一八七三) 廃城令" が気になって調べてみました。

こちらにわかりやすく説明されていました。

https://shirobito.jp/article/1344


昔あったお城が、今ほとんど現存していない事はわかっていましたが、何故そうなったのか?

深く考えたことがないおバカなあたい。(^^;

↑の説明を読んで、よ~~くわかりました。(・∀・) ヒトツオリコウニナッタナ・・(* ̄∇ ̄*)エヘヘ


津山城跡の説明書きのお隣には・・

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初代津山藩主森忠政の銅像と説明書き。

【森 忠政】  (1570~1634)
幼名を千丸。 元亀元年、美濃(岐阜県) 金山城に生まれる。京都本能寺の変で、織田信長を守護し、非運の最期を遂げた森蘭丸の弟。

天正一二年(一五八四)兄長可の戦死後家督を継ぎ、豊臣秀吉に仕えて金山七万石を与えられる。のち徳川家康に仕え、慶長五年(一六〇〇) 信濃(長野県) 川中島一三万七〇〇〇石を領す。同八年美作国一円一八万六五〇〇石を与えられ津山に入封。 翌九年より津山城の築城に着手、また城下の町づくりを始め、現在の津山の基をなした。

寛永一一年(一六三四) 三代将軍家光に随伴して津山より上京するが、食傷により急死す。享年六五才。 なお、この像は、津山市小田中、森家の菩提寺本源寺にある木像を基としたものである。


それでは入場しまひょ
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てくてく・・
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【津山城つるまる広場】
津山城が築かれた頃は、我が国の築城技術が最盛期を迎えた時期であり、 津山城の縄張りの巧妙さは攻守両面において非常に優れたもので、近世平山城の典型とされています。当時、この場所は広さを活かし「火薬庫」として使用されていました。

廃城後、昭和三十年には岡山県北唯一 の「鶴山動物園」として開園し、観光地として賑わいましたが、平成二十三年に津山城の石垣の修繕にともない惜しまれながらも閉園しました。

閉園以降は「動物園跡地」としてイベントなどに使用されていましたが、 平成二十九年に公園を管理する(公社) 津山市観光協会の創立六十周年記念事業の企画として跡地の愛称が公募され 「津山城つるまる広場」と命名されました。

命名者 赤坂健太郎氏

(¯∧¯)(_ _)フムフム・・  さらにてくてく・・

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【城郭構成】
津山城は、吉井川と宮川の合流点を見下ろす小高い山 (鶴山)を利用して築かれた「平山城」といわれる形式の城郭です。 山頂を平坦に削って本丸と本丸を囲むように二の丸、三の丸が高い石垣によって階段状に配置され、南を大手、北を搦手としています。

三の丸下段の南、西、北側は総曲輪を形成し、その周囲を土塁と堀で固めています。一方の東側は急な断崖であ り、その直下に南北に流れる宮川を自然の防御線としています。
本丸への通路は、大手、搦手とも鍵の手状に曲がる「枡形虎口」が繰り返し形成されており、きわめて防御を意識した構成となっています。

城内の櫓の数は六〇棟を数えます。 これは全国にある他の近世城郭と比べても多い方で、城内には建造物がひしめき合うように建ちならぶ堅固な城郭構成をなしていました。


【城内最大の表中門】
表中門は、三の丸から二の丸にいたる通路の正門にあたります。門の形式は、一階部分が城門、二階部分が櫓となる、いわゆる櫓門で、城内に存在する門の中で最大です。櫓の東側は 袖石垣上に載り、西側は鉄砲櫓の高石垣に取り付いていました。門の櫓部分の長さは十六間(約三十二メートル) もありました。これは大阪城や江戸城の城門に匹敵するほどの規模です。
発掘調査により、東西方向に三列、 南北方向に五列(東端五石、西端四石) の礎石が確認できました。


さらに石段をトボトボ・・・
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【備中櫓】  平成17年3月竣工
―概要―
備中櫓は本丸御殿の南西端に位置し、その名は鳥取城主池田備中守長幸に由来すると伝えられる。 森藩時代の基本的な史料である 『森家先代実録』には 「備中矢倉 池田備中守長幸入来之節出来」とある。 森忠政は長女於松を池田備中守長幸に嫁がせており、 長幸は忠政の娘婿にあたる。その長幸が津山城を訪れるのを機に完成したのが備中櫓であったと考えられている。 備中櫓跡の発掘調査で池田家の揚羽蝶紋の瓦が出土したことも、この建物が池田家と深い関係にあったことを物語っている。

備中櫓の外観は漆喰仕上げで通常の櫓と同様だが、本丸御殿指図には備中櫓がその東に接続する長局・到来櫓とともに描かれており、これらの建物が御殿の一部として認識されていたことを示している。 さらに指図よると内部には御座之間や茶室を備え、建具には「唐紙」を用いるなど、内部は完全に御殿建築であり、なおかつ繊細で女性的な仕上げであったことがわかる。 そのためこの櫓は、本丸御殿の最奥部という位置からしても、城主にごく近い間柄の女性もしくは城主自身の生活空間の一部として用いられたと考えられている
このような特異な構造をもつ櫓は類例が少なく、津山城の建物の中でも特徴的なものであるため、 復元整備の対象となったものである。


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(上左) 明治初年に撮影された古写真。 中央が備中櫓。
(上右) 17世紀末頃の絵図に描かれた備中櫓。
(右) 備中櫓跡発掘調査の状況。
備中櫓の復元整備にあたっては、①発掘調査 ②文献及び絵図 ③古写真のデータを集積し、様々な角度から検討することにより、できる限り正確な形の復元を目指している。
備中櫓は慶長年間に建てられ、江戸時代を通して存在していたことが判明している。 ただ、途中で何度か改変が行われてお り、今回復元された備中櫓は、慶長年間に森忠政が築いた「備中櫓」を目標としている。 外観・内装・構造作事の技術に至 るまで、できる限り当時のものに忠実に再現している。


復元されたのは天守閣ではなく、備中櫓でした。

廃城前の写真も載っていました。大きな立派なお城であったことがわかりますよね。(^_-)-☆

せっかくここまで来たので、備中櫓の中も入ってみました。

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この部屋で殿様は、「おおお、くるしゅうない。近うよれ (*´థ.థ`*) 」って言ってたんでしょうか??

知らんけど。


天守閣跡とその周りも、てくてく・・・

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敵が攻めてきたら、この櫓に開けた穴から迎え撃つんでしょうかねえ??


天守台跡です。
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ん!? ?q|゚Д゚|p
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このパターン。よく見るなあ~~(^^;

ここからは津山市街が一望できましたよ。
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歩き回ってヘロヘロになりながら、来た道を下っていきました。

おっ!! カッパさんも発見!! w(゚o゚)w オオー!
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津山城、美作滝尾駅を見終え、せっかく津山に来たのであの有名な「津山ホルモンうどん」を食べていかんとあかんよね。(^_-)-☆

事前に調べておいたお店にとうちゃこ~~。
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11時開店の30分前に着いたので、店前の椅子に腰かけて開店を待ちました。

「くいしん坊」さん・・ 岡山県津山市川崎138−2
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メニューも置いていたので、キョロキョロ。
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おおお、どれも美味しそう~~(☆゚∀゚)

開店、一番のり~~!

店内には私だけですが、じゃんじゃんお好み焼きを焼きだしていました。

予約の数も相当なんでしょうね。
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しばらくすると、お昼前にもかかわらず、お客さんも続々入ってきていました。

myホルモンうどん! キタ━(゚∀゚)━! キタ━(゚∀゚)━!
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おおお! ホルモン たっぷりヾ(=^▽^=)ノ

いっただきま~~す。

うまい!!

このお店オリジナルでしょうか。柚の酸味がホルモンの”脂っこさ”をやわらげ、どんどん口に入っていきます。

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満足、満足!!

お腹もいっぱいになりました。

さてと・・。

岡山から、兵庫に向かいましょ


―旅は続きまんねやわ-



Vストで行く岡山~兵庫ツーリング VOL5「津山市の夜は」編

「Vストで行く岡山~兵庫ツーリング 」の続きです。

「男はつらいよ 第48作 寅次郎紅の花」のオープニングに登場する勝山町をあとにし、この日の宿泊場所 津山市を目指し東進。

津山市の「道の駅 久米の里」に立ち寄りました。
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なんでも岡山県の津山市では、「干し肉」とか「そずり肉」なるものが好まれて食べられているんだとか?

それが販売されている「道の駅 久米の里」に来たわけですが・・
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売り切れ。  からっぽ・・・。

今晩の晩飯にするつもりでいたんですが・・

仕方なく地元のスーパーに立ち寄りましたよ。
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なんにしようかなあ~~~。

アッ!! これいいんじゃあない!!
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おおお、あの有名な松尾のジンギスカンもありましたが・・

プ~太郎貧乏ツーリングなので・・

いっちゃん安い牛ホルモンコチジャン味にしました。(^^;


そして・・

今日のお宿にとうちゃこ~~~。

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津山鶴山ホテル。

今回も全国旅行支援制度で割引がついていましたよ~~。

ホテル代金の値引き+ 地域クーポン2千円分も、ゲットだぜ~~~v( ̄∇ ̄)v
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ホテルのロビーには、ちょうど地域クーポンが使えるように、2千円分のレトルトカレーセット商品を売っていたので、買っちゃいました。 商売上手やなあ~(゚∀゚)アヒャ

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お部屋で お風呂に入り汗を流した後は、お楽しみの晩ごはんざんす.。゚+.(・∀・)゚+.゚

スーパーで買ったレトルトの牛ホルモン!
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投入・・
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いっただきま~~す。

モグモグ・・。噛み切れない・・・モグっ(飲み込む音) (^^;


でも、うまい! これがまたビールに合いまんがな~~('▽'*)ニパッ♪

ホルモンを食べ終え・・・。

この美味しい出汁を捨てるのはもったいないなあ~~。

スーパーで買っておいた焼きそばを・・
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投入!! 
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正解! めちゃうまでやんした。( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \


この日(2023/5/10)の走行ルート。
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この日の走行距離、200kmな~~り。
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Vストちゃん累計走行距離:2886km。
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―旅は続きまんねやわ-


Vストローム250 慣らしツーリング2日目中編

「Vストローム250 慣らしツーリング2日目前編」の続きだす


室戸岬を周り、国道55号線を東進し安芸方面に。

お次に向かったのは、ちょっとマイナーな観光スポット。

何度もこのあたりを通っているあたいも、はじめて立ち寄ります。

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伊尾木洞(いおきどう)
シダの生い茂るこの天然の洞穴は、水成岩が渓谷から流れ出た水の浸食によってできたもの。 高さは約5m、幅約3mの広さ。延長は約100mにも及びます。 足元を浸すほどの田に水が流れる薄暗い洞内を進むと、急に空が開け、見えるのは木漏れ日の中の山の縁。
年間を通して20度ほどのひんやりとした空気がたちこめ、幻想的な世界に引き込まれる。

おおお! なんか すごそうですよ~~v( ̄∇ ̄)v

入口っす。 ドキドキ。
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ゲッ!! コウモリ 嫌い!! (TДT)
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洞窟に入ると・・

空気感が違います。 なんか神秘的!

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あっという間に洞窟を抜けると・・

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ゴロゴロ岩場をテクテク・・。

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ここまで来たからには、滝まで行ってみたいわな~~~。

あ~~、しんど・・('A`|||)

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ε=ε=(;´Д`)ヒ~~~~

ロープつかまんと下りれんがな・・・。

えらいところ、きてもうたがな・・Σ(´д`;)


で・・

(つд⊂)ゴシゴシ  (゚Д゚≡゚д゚)エッ!?  

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こ、これが 滝なのね・・ノ( ̄0 ̄;)\オー!!ノー!!!!

わざわざ しんどい思いをしてまで ここまで来ることはなかったかも・・('A`|||)

最初の洞窟のところだけ見ればよかったような・・(^^;

またまた 長い道のりをえっちら・おっちらとフラフラになりながら戻りましたよ


伊尾木洞から歩いて数分。

寅さんファンのあたいとしては、ここははずせません!
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ここに寅さん地蔵がある訳
この地から始まった寅さん映画のロケ誘致運動で、 平成8年に男はつらいよ第 49作「寅次郎花へんろ」 高知ロケが決定していましたが、主演の渥美清さんが 亡くなり幻となりました。 多くの人々に愛され笑いと 感動をくれた寅さんをたたえここに記念碑として平成 9年8月に建立しました。
ゆうとぴあ伊尾木村議会
寅さんを土佐に呼ぶ会


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寅さん地蔵とゆうとぴあ伊尾木村議会
この地にある「寅さん地蔵」は地域住民による活動の積み重ねの中からつくり出されたものです。
昭和8年に伊尾木公民館の新築落成を記念して、住民有志により企画された「公民館落成記念文化祭」が開催され、その後、芸能祭・産業祭も同時開催へと発展し、現在に引き継がれています。

「この集まりを地域活性に生かそう」と昭和8年4月に 「ゆうとぴあ伊尾木村議会」が結成されました。当時、無名だった伊尾木洞を世に出す活動として五年にわた り「伊尾木村祭り」が開催され、伊尾木洞が広く知られるきっ かけとなりました。又、特色ある地域づくりとして「全国彫刻の村」づくりや、人のつながりを広げる「村立伊尾木大学」の開校や安芸市特産のなすを販売する「ナスの大市」を開催するなど、「行政に頼らず、住民の自らが考える地域活動」が展開 され、公民館活動に貢献する取り組みとなりました。

それらの取り組みが新聞紙上にも数多く登場し、伊尾木洞の名をさらに高める事にも繋がりました。
これらの活動を通じて「安芸市に映画『男はつらいよ』のロケを誘致し、安芸市を全国に売り出そう」と提案されたことで 平成6年11月の「寅さんを土佐に呼ぶ会」への結成へと発展し、伊尾木公民館での「寅さん一座」の結成と県下各地での 一座公演を皮切りに、寅さんのロケ誘致が県下全域へと広がり ました。様々な活動努力の結果、平成8年秋に映画のロケが 安芸市をはじめ、高知県下で行われる事が決定しました。

しかし、その直後に主演の渥美清さんが急逝され「第49作 男はつらいよ・寅次郎花へんろ」は幻となりました。
ここにある「寅さん地蔵」はロケ誘致運動の記念と「男はつらいよ」の寅さんを称え、住民により制作・建立に至ったもの です。これら、すべての始まりは「伊尾木公民館落成記念文化祭」の開催であったと言っても過言ではありません。
そして「ゆうとぴあ伊尾木村議会」の存在と活動における人のつながりが大きな役割を果たしました。

寅さん50周年に当たって
2019年ゆうとぴあ伊尾木村議会


寅さんがご存命やったら第49作は「寅さん花へんろ」だったんですね。

国道から一本奥に入った小道(伊尾木公民館裏)に、この寅さん地蔵がひっそり佇んでいます。


ここからほど近くの安芸市内。

何度か訪れたことはあるのですが・・

駐車場にバイクをとめ・・。 以前来た時はこんな立派な駐車場じゃあなかったような・・。
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【野良時計】
家ごとに時計のなかった明治の中頃、土地の旧家で地主であった畠中源馬氏が自分で時計組み立ての技術を身につけ、歯車から分銅まで手づくりで作り上げた時計台。
この時計台の原型は、当時畠中家の台所にかかっていた八角形の米国製の掛時計で、これを何度も分解しては組み立てて時計の構造を学んだといわれています。
古くから周辺で農作業をしていても遠くから時間を知ることができ、「野良時計」として現在も多くの人々に親しまれています。


このお屋敷は今でも個人の方の住居なので、中へは入れません。
残念ながら時計は壊れているのか、とまっていました。


ここからほど近くに岩崎弥太郎の生家もあるのですが、以前も訪れたことがあるのでパスしやした。

お次にむかったのは、漁港近くの・・
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この場所。

橋の近くに遮断機!

あれ!?  線路はどこどこ??

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さて、ここで問題です!

この遮断機、なんのための遮断機でしょうか??



-「Vストローム250 慣らしツーリング2日目後編」に続く-


Vストローム250 慣らしツーリング2日目前編

徳島県海部郡海陽町の「民宿 大砂」さんでむかえた「Vスト慣らしツーリング」二日目の朝。

体が・・というより、腰がパキパキ・・('A`|||)

今年になって、バイクに乗った日や、バイクをいじった日の夜から、腰が全然あきまへん。

昨夜もロキソニンテープを腰に貼って寝ましたが、どうなることやら(´;ω;`)


さてと・・

一泊夕食込のプランで、朝食はつけていませんでしたが・・。

お料理上手の女将さんのご厚意で、手作りのクリームブリュレ&果物+コーヒーをご馳走になりました。

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食後、お部屋から見渡せる目の前の砂浜へお散歩してきました。

南側
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北側
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(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?  海に人の姿が・・ (つд⊂)ゴシゴシ

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!?(゚〇゚;)マ、マジ...

いくら天気がえいっちゅうても・・・(( ;゚Д゚))ブルブル 

こんな看板も。
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このあたりは、もし南海トラフ地震が起こった際は、甚大な被害が予想されています・・。

砂浜には・・
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ここからそう遠くない室戸へ毎週のように潜りに(スキューバダイビング:水中写真撮影)行ってた時期がありました。

室戸の浜にも、このように大陸(台湾?)から流れついた海洋ごみが多くみられました。

これは何なんでしょうね?

Googleレンズで調べてみました。

饿了么⇒  お腹がすきましたか

支付宝⇒アリペイ

商品,並叫外卖!超级会员服高高减10元。⇒グッズ、テイクアウト注文! スーパーメンバーの服が 10 元の大幅割引。


わかりましぇん(^^;

公告入りの使い捨てライターなのかな???

砂浜をテクテク

ええところやね~~~。 近くに住んでいたら、毎日でも散歩したくなりますよ(・∀・)
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先ほど海に入っていたのは女性でした。 風邪ひかないでね (´∀`*)
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さてと・・。

民宿に戻って、出発の用意をしましょうかねえ。

お料理の美味しかった民宿 大砂さん、お世話になりました~~~(*^・ェ・)ノ
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前日にいただいた徳島県の地域クーポン券3千円分。

事前に調べていた近くのクーポン券の使えるスーパーにGO 

奥様のお土産に、お饅頭と食料品を・・

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購入品に、あたいの貧乏臭さがでてまんねやわ・・ σ(^_^;)ポリポリ

でも普段買い物に行く奥様はよろこんでくれましたよ 


すぐ近くで線路を走るバスを・・

(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?  (つд⊂)ゴシゴシ w(゚o゚)w オオー!

発見!!

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なんと線路の上にバスが走ってますよ Σ(゚д゚;)

そういえば聞いた事がありました。

【阿佐海岸鉄道株式会社(あさかいがんてつどう)】
徳島県海陽町と高知県東洋町を結ぶ海岸線を、DMV(デュアル・モード・ビークル)が走ります。太平洋の海原を横目に、道路から線路へ、線路から道路へモードチェンジ。


スゲ~~~!! はじめてみました。

駅で待ち構えた人達も写真を撮ってました。(´∀`)
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海岸線を南下します。

道路脇の駐車場に車がいっぱい!  なんだろ? バイクを停めると・・

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海にはサーファーの姿が・・
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ここ宍喰から室戸方面は、サーファーのメッカで有名っす。

駐車場に車をとめ、海にむかうサーファーさん。
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そして歩き遍路さんの姿も・・。
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ここを過ぎると、徳島県から高知県に入ります。

南国特有の強い日差し。

一面に広がる海。 瀬戸内とは全く違った海の表情。 砂浜の色も違います。

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海岸線を快走・・といきたいところですが、慣らし走行で62~65km/hでトコトコ。(^^:

でも気持ちいいっす(* ̄∇ ̄*)エヘヘ

この画像↓を見たら、おわかりになってくれると思いまつよ.。゚+.(・∀・)゚+.゚
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そして、お次に立ち寄ったのは・・
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御厨人窟(みくろどう)と神明窟(しんめいくつ) 
【室戸市指定文化財・史跡】
2つの窟を通称「みくら洞」もしくは「みくろ洞」と呼んでいる。若き日の空海が修行をした場所と伝えられている。
正面向かって右側の 洞窟が修行をしていたとされる「神明窟」で、左側が生活をしていたとされる「御厨人窟」である。
修行中に悟りを開き、その際に口の中に明星が飛び込んでくるといった神秘的な体験をした後、その当時 この場所から見た空と海だけの景色に感銘を受け、名前を「空海」と 名乗るようになったと言われている。

この前に通る国道は何度も通ったことがあるのに、ここ御厨人窟/神明窟は いつも通り過ぎていて、初めて立ち寄りました(^^;

まずは御厨人窟から。
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ほ~~~~。

右側の神明窟へ。
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ほ~~~。


【空海はもっと近くで海を見た!?】
御厨人窟と神明窟は「海食洞」、海食洞入り口の広場は「波食棚」、背後の急崖は「海食崖」と呼ばれる海岸の地形である。いずれもかつては波打ち際にあって、波の浸食によって地層が削られたもの。現在、御厨人窟と神明窟は海水面から10m近い標高に位置している。南海地震などの巨大地震にともなう土地の隆起によって、高い場所に持ち上げられたためである。

これらの離水地形には波打ち際に生息するゴカイの仲間である“ヤッコカンザシ”の石灰質の巣穴痕が付着しており、その年代測定結果から、地震の発生と隆起の歴史を知ることができる。
みくろ洞は空海が訪れたとされる 1200 年前には、今よりも約5 m低く、海面が近かったと考えられている。

ほ~~、ほ~~~。(゜ー゜)(。_。)ウンウン

お勉強になりやした (・∀・)ホンマカイナ・・


ここからすぐ近くの・・

やはり室戸というと室戸岬ですよね(*゚▽゚*)
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鯨さんがいましたよ。
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「風見鯨」って書いていました。

なんで風見??  

この時は、鯨がちょうど海方向にまっすぐ向いているもんだから、てっきり動かない鯨のモニュメントだと思っていたのですが、旅を終え帰宅してから調べてみると、黒い鯨の部分が風速5~6mで風上を向くようになっているんだって Σ(・ω・ノ)ノ

もっとじっくり見たら良かったなあ・・(^^;

そしてその向こうには・・

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この像が見る先は・・
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有名な中岡慎太郎像です。

中岡慎太郎。坂本龍馬とともに活躍した明治維新の勤王の志士。
慶応3年11月15日(1867年)京都河原町の近江屋で刺客に襲われ、龍馬とともに落命。この時慎太郎は30才。

激動の日本史に名を刻んだ人ですね。


-Vストローム250 慣らしツーリング2日目中編に続く-

Vストローム250 慣らしツーリング初日

旅バイク用に購入したVストローム250。

マニュアルには、「1000kmまでは5千回転までの慣らし運転を推奨」と書かれています。

トップギア6速で5千回転というと、時速67kmあたり。

香川から本州側の岡山へ渡るには、高松~宇野間のフェリーが廃止となってからは、瀬戸大橋(高速道)を渡るしか実質的な手段がありましぇん(島経由なら可能)。

とっとと慣らし運転を終わらさないと、本州に渡れんのよね~~(TДT)


ちゅうことで、Vストちゃんで四国内を旅してきましたよ~~。


<10月20日初日>

出発前の走行距離(オドメータ)  357km

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通り慣れた海岸線をトコトコ 

1時間ちょいでまずは休憩。  老化の著しいあたいのオンボロな体は、休憩が必須です(;´Д`)

ええ天気やなあ~~。 

出発時の外気温18℃。 1時間後には20℃ですよ。

この日も おだやかな瀬戸の海ざんす(・∀・)

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徳島に入り、いつも通っている歯医者さんに向かう徳島環状線に。

阿波しらさぎ大橋で・・ Σ(゚д゚;)

ネズミ捕りやってました!

ここは、流れもよくけっこうスピードののるところ。

いつものあたいやったら速攻で捕まっているところでしたが、慣らし運転ってことで極力65km/h以下で走っていたのでセーフでした  ε-(´∀`*)ホッ

こんなスピードで走っているので、常に後ろを注意していて、速度差がありそうな後続車がいたら、ちょっと広くなった道端にバイクを停めて後続車に道を譲っています。

このあたりは6vモンキーで慣れてまんねやわ (´゚艸゚)∴ブッ

それにしても、橋の真ん中でやってるとは!  徳島県警おそるべし!!(((( ;゚д゚)))


お昼は・・

当然のごとく徳島ラーメン!! (゚∀゚)アヒャ

今回もはじめて訪れるラーメン屋さん。

徳島市大原町にある「中華そば お々原家(オオハラヤ)」さん。

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ちょっと市内からはずれたところにありますが、次から次へとお客さんが入ってきていて、地元の人気店のようですね。

メニューだす。
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中華そば(小)+生たまご を注文。

 キタ━(゚∀゚)━!    キタ━(゚∀゚)━!    キタ━(゚∀゚)━! 
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いつもの・・

麺・リフト~~・アップ
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うみゃ~~い 

茶系よりあっさり味の黄系の徳島ラーメンでした。

いつものように、途中からトッピングの生卵に麺をからめて食べましたが、ちょっとまろやかになりすぎました。

スキヤキラーメンと言われる茶系のしっかり味に生卵の相性はバツグンですが、黄系には卵をいれず、そのままいただく方が美味しいかなあ~♪ 

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ごちそうさまでした~~ (*´∇`*)


ちょっと休憩しましょうかねえ (・∀・)

向かったのは、お々原家(オオハラヤ)さんから山手に走ったところにある日峯山展望台。

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阿波三峰(日峯、中津峰、津峯)

●阿波三峰の由来
紀伊水道から阿波のの山々が姿を見せ始める頃、はっきりと、三列に並んだ山々を見渡すことができる。

右から日峯、中津峰、津峯と並ぶ。「阿波三峰」の名称は海上からの素晴らしい眺望をはじめ、海に生きる人々にとってそれぞれが海の守護神であり、自船の現在地を確認するための重要な存在であった。
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-日峯山 Hiromine-
日峯山は古くから海の展望の山として知られており、芝山と呼ばれていた。 
「阿波名所絵図」にも淡路をはじめ、紀州一帯の眺望の良さから「日峯眺望」として海洋の遠景も合わせて描かれている。日峰神社よりも海に近い東の峰、遠見ヶ原の名称もそのためと思われる。

 [日峰神社] 
天平勝宝三年(751年)日峯大権現として創立。主祭神の大日霊貴神(おおひるめのみこと)は、日本の総祖神である天照大神、産業を司る少彦名神(すくなひこのみこと)、海上の守護神・市杵島比女神(いちきしまひみのみこと)を合祀している。 

[名称の由来] 
日峯山の名称の由来は勝浦州の南岸から河口に向いて日峯山から登る朝日の美しさから「日峯」の名称が付いたと思われる。


-中津峰山 Nakatsumine-
阿波三峰と呼ばれる日峯、中津峰、津峯の三峰の中央にどっしりと構える山が中津峰である。山頂からの眺望は、徳島・小松島・阿南の三市を 眺望することができ、小松島市と那賀川町の境あたりから眺めると端 正なピラミッドをなす見事な山である。この山に祀られた神も、海上の守護神として海上運輸業者や漁師たちにあがめられている。中津峰の上を長者ヶ原といい、当時の屋敷跡や馬場、井戸跡も今に残る。

 [如意輪寺] 
通称、中津峰の観音様と称し、観音像は藤原時代のもので国の重要文化財(国宝)となっている。右脚立膝の座像で左右三本づつ、六本の腕を持 つ美しい木像である。

 [名称の由来] 津は古語で「の」の意味であるから、文字どうり「中央の山」の意味を持つ。


-津峯山 Tsunomine-
室戸阿南海岸国定公園の一角をなす景勝地。山頂からは、眼下に橘湾、 遠く鳴門海峡、和歌山が展望できる。津峯山は海上の守護神として信仰されている。また山頂駐車場北面には、地質時代に形成され、伝説で名高い「家具の岩屋」などの岩窟がある。

[津峯神社]
神亀元年(724年)、聖武天皇の時代で、国家鎮護のために賀志波比売(かしはびめ)大神を祀る。「延喜式神名帳」にも記載された延命長寿と交通安全の守護神として参詣者がたえない。

[名称の由来]
「津」とは海岸、河口、川の渡し場など、船の停泊するところ、つまりま港??である。海に生きる人々にとって津の峰は港のごとく帰りつく港のよ??うな存在であったと予測される。「港の山」「海の峰」の意を持った名称である。

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大神子(藩政の頃・昭和の頃)

出合い拒む場から、出合い??大神子周辺で生まれる新しい?? コミュニケーション。

藩政の頃
日峯大神子広域公園は阿波藩の?? 地であり、かつて庶民の立入りは?? れなかった。海岸線に長く突出し?? 崎や遠見ヶ原の台地には「誤番所」?? ろし場」などを設け海上からの?? 国船や難破船を見張っていた。ま?? 海岸一帯にあった石垣石等に利??る「おとめ石」は庶民が採取することも禁じられていた。この公園は 御茶屋??「藻風呂 (現在のサウナ風呂のようなもの)」、「御釣場」、「御狩場」など ?? 藩主の清遊の地となっていた。

●大神子の名称の由来
地形・地名?? 変化したもので、おこりは大海子と推・ できる。「海」ということばは「大水」 らかわったということから、「大水処」 が変化したものと思われる。

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昭和の頃 
昭和30年頃より、大神子周辺は徐々に整備され、たくさんの人々が来るようになり、一時期は釣り場、海水浴場 としてにぎわった。 

平成の今 
現在の日峯大神子広域公園にはキャンプ場・テニスコート・ 小公園(遊山苑・潮観広場・待合広場)・遊歩道・憩いの松 原などが整備されている。
このように大神子周辺は、藩政当時は“人と人の出合い を拒む場”であったが、現在は“人と人の出合いの場”と して生まれかわり、人気を博している。

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ベンチに腰掛け、のんびりと・・。

吹きあがる涼しい海風でちょっと肌寒く感じ、ライディングジャケットを羽織りました。


腰をあげ、ブロロン 

ここから50km程南下。

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ここは、”厄除けの寺”として有名な、四国八十八ヶ所第二三番霊場  薬王寺!

ここにお参りにくるの、何十年ぶりだろ??(^^;

まずは仁王様にご挨拶。

おじゃましまんねやわ ヾ(´ω`=´ω`)ノ
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以前来た時は、お線香がたくさん立ってしましたが・・

ちと寂しいっす ('A`|||)
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石段をのぼり・・

本堂と・・
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右手側には瑜祇塔(ゆぎとう)が見えましたが・・
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霊牌堂瓦葺き替え改修工事をしていて瑜祇塔にはアクセスできなさそうでした。


本堂
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大師堂
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南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛 ムニャムニャムニャ・・・

境内のベンチに腰掛け、よっこらしょと

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静かな時間がながれます・・。

境内から見下ろす町の風景も・・  いい感じ (*゚▽゚*)

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もうひとっ走りして、この日のお宿にとうちゃこ~~。

「民宿 大砂」さん。

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屋根付きのバイク用駐車場にとめさせていただきやした ( ̄ー ̄)ニヤリッ
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お部屋ざんす。
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お部屋からの景色。 いいっすね~~('▽'*)ニパッ♪
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いつもは、キャンプかビジネスホテルの利用が多いあたいですが・・。

今回は、例の「全国旅行支援」を使いまんねやわ。

一泊夕食込のプランで、通常なら7200円のところ4320円!

しかも・・

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3千円のクーポン券と500円の観光券をいただきました(゚∀゚)アヒャヒャ

観光券は使わなかったものの、3千円のクーポン券をいただいたので、実質1320円で夕食込で一泊できたことになります。

お風呂からあがり、晩ごはんっす 

じゃ~~ん

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さらに・・
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ビールは、ハートランド。

ごはんもめっちゃ美味しくって、たくさんおかわりしちゃいました (*゚▽゚*)

いやあ、満足、満足!!v( ̄∇ ̄)v


<この日の走行ルート>
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<この日の走行距離>  158.8km
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−2日目に続く−

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